第千百八十八話・それぞれの新年・その二

Side:若狭武田家家臣


 あの忌々しい男の顔を新年から見ねばならぬとはな。昨年の騒動の時に殺しておくべきであったか?


 殿が是非とも上座にと言うと遠慮することなく座ったわ。三好を都から叩き出して戻るのだと大ぼらを吹いておったが、いつの間にかそれも口にしなくなった。


 近頃では早う上様が身罷られればいいとまで言うておるとか。不敬極まりない男よ。いささか人の道を外れておるように思えるわ。


 新年の宴が始まるが、あの男は我らの目の前で鬼役に鬼食いをさせておる。


 毎度宴に呼ぶと必ずすることだ。珍しくもないが、招かれた宴で毒を疑うという非礼を理解しておらぬのか? もっとも、己の側近すら信じずに毎晩のように寝所を変えたかと思えば、影武者を置いてみたりとあの手この手と動く男だ。


 かような無礼な真似も今に始まったことではないがな。




 あの男が料理と酒に手を付けたのは、すっかり酒も汁物も冷めてしまった頃だった。当然、我らが先に手を付けるわけにもいかず、冷めた酒と料理での宴となる。


 興ざめするわ。世話をしておる我らを信じずして都に戻れるとでも思うのか?


 己以外を人とも思わず見下し、公方様ですら身罷られることを望む。かような男をこの地に残して良いのか?


 隣国である越前には尾張から珍しき品々が贈られておるとか。にもかかわらず若狭には商人が稀に売りに来るのみ。


 六角、三好、斯波、朝倉と、管領を無視して公方様に味方する大名は多い。


 近頃は尾張の斯波と織田の噂が聞かれるようになったが、あの男がつまらぬ謀をしたせいで敵に回ったのだと評判だ。


 これが細川京兆家のやり方なのか? 若狭武田家はあの男の所為で公方様に疎まれておるのではないのか?


 冷めた酒を飲んでおるせいか酔いがまわるどころか、心底から冷える気がするわ。


 あの男は新たな酒が運ばれてくると、それもまた毒を疑う。殿も周りの皆も呆れておるのが分かる。もう付き合いきれぬ。疑われとうないのであの男には誰も酒を注ぎにいかぬほどよ。


「今年こそ都に戻ろうぞ。さすれば武田殿には大いに報いよう」


 相も変わらず大ぼらを吹いて機嫌はよいようだが、それとて我らがいかに思うかなど気にしてもおらぬ証であろう。


 正月から気分が悪いわ。




Side:蒲生定秀


 上様の旅の話で新年の宴は大いに盛り上がっておる。


 旅の僧や商人の話を聞くことはあるが、皆、言葉を選ぶからの。その点、上様は己で見聞きしたことをそのまま話される。


 難攻不落の城と噂の城があっても、領内が貧しく荒れておるところの話などは考えさせられるものがある。


「上様、一番忘れられぬ地は、いずこでございましょうか?」


「やはり久遠の本領だな。決して大きな島ではなかったが、皆が力を合わせて日ノ本にはない知恵と技で生きておるのだ。見習うべきところが幾つもあった」


 人の良さげな顔をした破戒僧や家柄を詐称して勝手をする武士など、面白き話はいくつもあったが、久遠諸島の話になると上様が神妙な面持ちとなられた。


 上様の旅は他言無用ということにしてあるが、上様御自身は知られても構わぬとお考えのようにも思える。


 周囲の者や我らを信じることにされたか。


 久遠殿から学んだことであろうな。いささか危ういと思う。久遠殿と上様では御身分が違うのだ。害する者も比ではあるまい。されど上様はそれを承知で、久遠殿に足利家の行く先まで託そうとされておるように思える。


「ここだけの話ぞ。主上も一馬に会うてみたいと仰せになられたようだ。さすがに叶わなんだようだがな」


 周囲が静まり返った。まさか主上が……。


「織田からはここにも贈られてくるが、朝廷にもあれこれと献上しておるからな。近頃はいかがされておられるか聞いておらぬが、今でも御内意は変わるまい」


 久遠殿の怖いところだ。氏素性の怪しき男のはずが、皆が信じてもよいと思うてしまうのだ。わしとてそれは同じじゃがの。


「では……、いずれは?」


「さて、いかがなろうか。一馬はこれ以上の身分など求めてはおらぬ。だが……」


 ひとりの側近が上様の言葉に驚き無言となった。今でも過ぎたる身分だとでも思うておったのであろう。されど上様はまだまだ立身出世すると見ておる。いや、それを望まれておるように思える。


「管領のような小物もおる。家柄と血筋も善し悪しであろう。忠義ある男を疎み、誠意なき男を好むのは愚か者のすることぞ」


「確かに、滝川八郎を出したのは惜しいとさえ思いまするな。我らも少し考えねばならぬやもしれませぬ」


 いかに答えるべきか、苦慮することを口にされた上様に答えたのは御屋形様であった。


 変わられたな。御屋形様も。先代様と比べると未だ至らぬと陰口を言う者もおるが、己の生き方を見定めつつあるようだ。


 以前の御屋形様ならば心中では滝川八郎を惜しいと思うても決して口には出さなんだはず。出ていった者を惜しいといえば己の器が問われかねぬからな。


 先代様に拘らず、御遺言を正しく理解しておられる。それがなにより嬉しく思う。




Side:お市の乳母、冬


「皆で新年を祝いましょう」


 一族の子らを集めた姫様は皆の前でそう告げると笑みを見せました。身分も立場も違う子らでございます。戸惑う子もおりますが、姫様はその子らにも笑みを見せております。


 すべては姫様がお考えになられたこと。男衆や女衆が新年の宴をするならば、幼き子らも集めて宴をするべきだと大殿に進言されたのでございます。


 あの時の大殿の驚かれた顔は忘れられません。まるでエル様のようだと喜ばれて許されました。


 子らの宴をいかがするか。それも姫様がお考えになられました。久遠家の孤児院によく行く姫様は、子らが喜ぶものと料理に菓子も用意させたのでございます。


 私や平手様は事前に話を聞いておりますので、その手伝いをすることになっております。


「では某が紙芝居を読んで差し上げましょう」


 平手様が紙芝居を読み始めると、皆、紙芝居の前に集まり真剣に見ております。


 学校や病院、町や村では紙芝居屋が回っており見ることが出来ます。一族の子などは屋敷に呼ぶこともあるようですが、こうして皆で見ることは初めての子も多く、それだけで楽しそうでございます。


「いいですか。皆で仲良くするのです」


 紙芝居が終わると姫様は、すごろくや積み木、お手玉などの玩具や絵巻物を皆に貸し与え、共に遊ぶようにと仕向けます。


 いかがなるのかと案じておる乳母や傅役が見守っておりますが、学校に通う子らは慣れており、慣れておらぬ子らに声をかけて共に遊び始めると安堵しておりますね。


 いずれ家を背負う者、臣下となり仕える者。皆、各々で立場があります。されど共に過ごすことで得るものがある。


 一族の者で殺し合うようなことのない世が、姫様には見えているのかもしれません。


 姫様、ご立派になられましたね。私は涙が出そうになります。




◆◆

 天文二十三年、年始。織田信秀の娘である市姫が、元服前の織田一族の子供たちを集めて年始の宴を開いたことがいくつかの資料に残っている。


 市姫は久遠一馬や奥方衆に懐き、頻繁に久遠家の屋敷や当時領地であった牧場村に遊びに行っていたとの記録があり、この子供たちの宴も久遠の暮らしを学んだ結果であった。


 大智の方こと久遠エルのようになりたい。そう言っていたとされる市姫の初めての取り組みとして、この件が挙げられることが多い。


 この子供たちの新年の宴は、その時代に合わせて形を変えつつも現代に残っていて、一族が集まる際には子供たちのための宴を用意するところが今もある。



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