第千百八十七話・それぞれの新年
Side:久遠一馬
新年が明けて二日、清洲城に挨拶に行く。これもすっかり恒例になったなと思う。
清洲城には早くも織田一族と斯波一族が集まっているようだ。あちこちから挨拶をする声が聞こえる。
「あけましておめでとうございます」
「これは久遠殿、明けましておめでとうございまする」
挨拶の前に城内のオレの部屋に行こうとしていたら、信広さんと出くわした。文のやり取りはあるが、冠婚葬祭とかくらいしか会うことがない人だ。
「三河はいかがですか?」
「ええ、以前と比べると随分と楽になりました。裏切りを疑わないで済みますからな」
信広さん、オレたちが来る前から三河の安祥城にいたからな。相当苦労をしたのは聞いている。今は本證寺が消えて吉良家も大人しくなった。もう西三河に不安はないからね。
「そういえば美濃衆が領地をすべて献上致すとか……」
「ええ、山城守殿が隠居するというので決断されましたね」
「それで一族もということでございましたか」
信広さんが驚いているのは美濃衆の領地献上だ。オレも驚いたくらいだしね。
道三さんはまだ分かるけど、他に西美濃四人衆である氏家さん、不破さん、稲葉さん、安藤さんが揃って領地を献上することは、美濃のみならず織田家中の皆さんも驚いたはずだ。
実は、これに慌てたのは信康さんなんだよね。織田一族の領地整理は信康さんが中心となり慎重に進めていたから。
すでに信秀さんの実子の皆さんは領地整理が終わっているけど、兄弟やそれ以外の一族は別家でもあるので、そう簡単にはいかないんだよね。
ただ、新しい取り組みで織田一族が後れを取ることは出来ないからと、年末に信康さんが苦労して一族を領地献上でまとめていたんだ。
「俸禄でご不便はありませんか?」
「わしはむしろ楽になりましたな。領地を持つと家臣に振り回されることも珍しくありませぬゆえ」
少し気になっていたので信広さんに俸禄後の暮らしを聞いてみたけど、上手くいっているようでなによりだ。
どうしても領地を持つと、親兄弟ですら別の家だという意識が生まれて対立や不和の原因になりやすい。前に信光さんが、城も領地もなければ一族の争いは減るだろうと言っていたことがあるくらいだ。
大事なものになるからこそ、厄介でもある。思うところもあるが、ホッとしてもいる。そんな意見が多い。
そのまま信広さんと別れて城内の自室に入った。
「それじゃあ、私たちは行ってくるね!」
「うん。楽しんでくるといいよ」
今年も新年の挨拶は男衆と女衆で分けてある。今年はパメラ、鏡花、ミレイ、エミールの四人が女衆の宴に行く。ウチは女衆の人数が多いので相変わらず代表者が出席するんだ。
オレはエルたちと一緒に男衆のほうに参加するんだ。エル、メルティ、ケティ、セレスの四人は役職があるから男衆のほうに参加する。ジュリアは産休なので今年はお休みだけどね。
女性で男衆の宴に参加する人は他にもいる。若い女性はエルたちだけになるけど、出家した女性が何人か文官の中間管理職として働いているんだ。
さあ、オレたちも挨拶に行くか。
Side:織田信康
清洲城にて新年の挨拶の身支度を整えておると、末の弟である孫十郎信次が姿を見せた。
「兄上、あけましておめでとうございます」
「おお、孫十郎か。久しいな」
兄上の名代としてあちこちに出向くことが多いゆえに、こうして顔を合わせることも出来ぬ時がある。久しぶりだが息災なようでなによりであるな。
「とうとう所領がなくなりますね」
「すまぬな。そなたの考えを満足に聞く前に決めてしもうた」
尾張には織田一族が多い。逆らう者はおらぬが、所領を手放すとなると惜しいと思うて当然で、先々を案じる者もおった。前々から話していたことであるが、山城守殿の決断で急ぐことになったからな。
孫十郎には満足に話を聞いてやる暇もないままに所領を献上してくれと頼んだ。
「構いませぬ。某は争うて所領を増やしていくのは向かぬ男でございますので」
山城守殿の隠居は当人が思う以上に、周囲に与える影響が大きい。さらに領地を献上すると言いだしたことには心底驚いた。
かつてのような野心はないようであるが、あの御仁はやはり兄上と渡り合った男なのだと改めて思い知らされたわ。
自らの隠居と共に最後の功として名を残し、織田家をより先に進めるために身を切る覚悟を示した。よくあの男を心から従えることが出来たものだと思う。
「兄上と久遠殿が健在なうちに新たな政を整えねばならぬからの」
「はい。それはやらねばならぬでしょう」
織田は変わるのが早過ぎると言う者もおるが、それは百も承知のことよ。新たなことを成すには相応の力がいる。兄上と久遠殿がおる間にやらねば織田は半端なままとなり、将来いかがなるか分からぬのだ。
「若武衛様の元服もいよいよだ。その前に一族と美濃の主立った者が俸禄となる。これは決して悪いことではない」
「父上が見たら、さぞ驚かれたでしょうね」
「ああ、そうであろうな」
孫十郎の言葉にかつての日々を思い出す。父上や兄弟と暮らした日々は二度と戻らぬ。それ故に懐かしくなることもある。されど、わしは決して後戻りすることが出来ぬ身だ。
争い奪うのではなく、与え増やしていく。そのような国を造るには今しかない。礎となり働く者がおらねばすべては夢幻の如く消えてしまう。
久遠殿に言えば、いかに答えるであろうか? 己ひとりおらずとも成せると笑うてしまうかもしれんな。
陰では並び立つ者はおらぬとまで言われる男ながら、妙に隙がある。それも久遠殿のよいところかもしれぬな。
わしもしっかりせねばならぬと皆が思うのだから。
Side:織田信光
三郎の様子を見に来ると、すでに正装に着替え終えてひとり書を読んでおった。その姿に思わずかつての大うつけと呼ばれた頃を思い出す。
「叔父上か。いかがなされた?」
「いや、支度が早う終わったのでな。顔を見に来たのだ」
わしはあの頃の三郎も嫌いではなかった。小さくまとまるくらいなら、好きにやればいいと今でも思う。
一馬を気に入ったのも、それと通じるものがある。己の信念と生き方を貫いておるからな。わしはああいう男が好きだ。
「吉法師はいかがしたのだ?」
「市が連れだした。一族の子を集めておるようであったな」
市か。あやつは一馬とエルたちの信念と生き方を受け継いだな。
目の前の三郎もまた、わしが思うた以上に恐ろしく変わった。久遠に学び、新たな信念と生き方を模索しておる。
今では古くからの習わしも慣例も日を追うごとに変わってゆく。一馬らの生き方を皆が見て真似るからな。
それが世の流れというものなのであろうか。
「まさか山城守に先を越されるとはな」
「歳が違うではないか。叔父上はまだまだ隠居などさせられぬぞ」
本来、力のある一族の者など邪魔でしかなかろうに。今の織田では力のある者は隠居もままならぬ。
おかしなことと言うべきか。これが本来あるべき姿であるというべきか。わしには分からんがな。
「そなたも一馬も人使いが荒いわ。わしなどさっさと隠居しろと言うて己でやってもよかろうに」
人は誰しも己の身の丈を知る時がくる。わしは織田一族として時折働くくらいが己の定めと言えよう。
されど三郎や一馬はいささか大人しすぎる。もっと己の夢と野心を持ってもよいと思うのはわしだけであろうか?
「日ノ本は広すぎる。日ノ本の外は更に広いのだ。叔父上にはまだまだ働いてもらわねば織田とていかがなるか分からぬ」
既に一国一城の主という世ではないのであろうな。少し先を見るようになった三郎に、頼もしさと世の流れの速さを感じずにはおられぬ。
本音をいえば、わしはそこまで変わることを望んでおったわけではない。かつての日々も悪うなかったと思う。
されど、久遠島に行って悟ったのだ。変わることを恐れることはもっとあり得ぬのだとな。
「さっさと日ノ本をまとめて日ノ本の外を見て回りたいものだ」
見てみたい。世の果てがいかになっておるかを。
城になど篭るより遥かに面白き日々が待っていよう。
それが楽しみで仕方ないわ。
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