第千百八十四話・大晦日

Side:とある男


 ここは、村……の跡地じゃねえか? 家なんてねえ。もとの村の奴らが持っていかなかった僅かな束石つかいしくらいしかない。


「おらたち騙されたんじゃねえか?」


 そんな村を見て、一緒にここまできた男がそう言うた。田んぼも持たぬ小作人の子だったおらたちは、お坊様に家と田んぼを与えてくださると言われてここまで来たんだけんど……。


「村から出る銭もねえから戻れねえ」


 束石以外は薪になるようなもののひとつもないところだなんて知らなんだ。それに、お寺様があの織田様と争うているのも聞いてねえ。


 ここに来る途中の関所でも銭を取られ、おらたちを仏の弾正忠様に逆らう愚か者とまで言われた。


「なにをしておるか! さっさと食えるものを集めてこい!!」


 途方に暮れておると怒鳴られた。


 村を治めるお寺様に住み着いている奴らだ。奴らは剃髪もしておらぬというのに、おらたちにあれやこれやと命じてくる。お坊様には見えねえ奴らの正体は織田様に領地を奪われた土豪だそうだ。


 土豪らは、お寺様と共に織田様に兵を挙げて戦をするんだと息巻いておる。戦をしたければ勝手にすればいいが、何故、おらたちが奴らの手足となり働かされねばならねえんだ?


 家もねえ。荒れたままの田んぼを与えるから従えと? 


「なんだ、その顔は? この場で首を刎ねてやってもいいのだぞ」


 食えるものなんかどこにもねえ。織田様の田畑には植えておる物があるが、盗もうとしたら兵が隠れていて危うく捕まりそうになった。


 草の根や木の皮ならなくもないが、昨日それを持っていくと無礼者と怒鳴られた。


 なんでおらたちばっかりこんな目に合うんだ。織田様のご領地では飢えずに働けるというのに……。


 北伊勢を織田様が治めるようになられて、おらたちの生まれ故郷の村も楽になると喜んだんだが。無量寿院のお寺様は別だと言われ一向に楽にならなかった。


 お坊様たちは強欲な織田様が悪いのだと口を揃えて言うが、旅の途中で村に立ち寄った職人は顔をしかめて、坊主ほど強欲な者はおらんなと言うて出ていってしまった。


 そんな有り様だ。村から逃げる奴もいた。


 ある日のこと、夜が明けると本家の一家が村から消えていた。何事かと皆で探したが、夜に村を出ていったということが分かった。あとで知ったことだが、本家の末の子が安濃津で奉公に出ていて、その子から織田様のご領地の話を聞いて出ていったらしい。


 今にこの村も織田様のご領地のように楽になる。故郷の村ではそんな願いを持って耐え忍んでいたというのに。


 そんな村から離れられる。おらたちは織田様のご領地のある北伊勢だから飢えずに済むと喜んで来たのに。ここも織田様とは別で飢える村だった。


「へい、すぐに」


 ひとりの男が土豪らに頭を下げて機嫌を取ると、食いものを探しに行こうとおらたちを連れて歩き始めた。


「おら、もう嫌だ」


「分かってるさ。だがああでも言わねば殺される。このまま織田様の関所に逃げ込もう。殺されるよりはましだろう」


 新しい村には雨露をしのげるものもない。すでに幾人もの者が朝になったら冷たくなっていた。


「明日は正月だ。どうせ死ぬならせめて生まれ育った村で死にたい」


「分かった分かった。織田様の兵にはおらが話を付けるから黙って見てろ。雨露をしのげて飢えないところで働けるようなんとか頼んでみる」


 おらたちを先導する男は、幼い頃に故郷にあるお寺様のお坊様によくしてもらっていたようで、礼儀作法を少し知るんだと教えてくれた。


 この世はいずこに行っても地獄なのかもしれねえ。でも……。


 ここにいるよりはいい。それだけだ。




Side:六角義賢


 厠に行ったついでに、少しのどの渇きを感じて台所に寄ると、なんと上様が御自ら料理をされておるではないか。


「上様、ここにおいででございましたか」


「おお、左京大夫。よいところに来たな。ちょうど鍋が出来たところだ。皆で一緒に食おうぞ」


 本当に変わられたなと改めて思う。かつてはご尊顔を拝するだけで畏れ多いと思い、いかに言われるかと恐れたこともある。それが今では側近や我らを忌避することがなくなり、泰然自若とされておられる。


「はっ、ようございますな」


「この大根がまた美味いのだ。エルに煮方を習ってきたから格別だぞ」


 ああ、尾張から頂いた大根か。なんでも漬物にするとかで高く買うと言われ、領内で植えておるものだ。


「さあ、温かいうちに食おうぞ。冷めた飯など食えたものではないからな」


 上様は毒見をしてからの食事を止められた。側近衆はなにかあればと戸惑うておったが、観音寺城にそのような愚か者はおらぬであろうと仰って押し切られた。


 その言葉に城の台所方が泣いて喜んだと聞いておる。


 そのまま慶寿院様や側近衆も交えて皆で宴となった。あいにくと重臣らは各々の城に戻りおらぬので、同席しておるのはわしと倅など僅かな者だが、上様自ら作られた料理を食せる機会を逃すとは重臣らも運の悪いことよ。


「これは……、確かにおいしゅうございまするな」


 さすがは自慢されるだけの味だ。大根の中まで味が染みておって美味い。体の中から温まってくるわ。酒ともよう合うの。


「ほんに大樹がこれほどの料理をするとは……」


「母上、何事も自ら学び試すことこそ肝要でございまする。某は尾張でそれを学び申した」


 慶寿院様もいつになくご機嫌のご様子。上様の旅を今も案じておられるが、それ以上に旅から戻られると変わる公方様を喜んでもおられる。


 天下の政も悪うない。細川と三好の争いもあり、畿内は依然として騒がしくもある。されど尾張を中心に伊勢や近江が上手く治まっておることで大乱にならずに済んでおる。


 この乱世は誰が治めても難しきこと。それは斯波や織田が天下を目指そうとせぬことでも明らかだ。


「上様、無量寿院の僧が先ほどまた参っておりました」


「捨て置け。父上が猶子とした尭慧はもうおらぬのだ。あとは朝廷に任せればよい」


 上様がご機嫌な様子を見て、ひとりの側近が懸案となっておることを問うが、いかんせん答えは冷たいものであるな。


 無量寿院は少なくない礼を払って側近衆に進言を頼んでおるようだが、無駄であろう。上様は最早、将軍職にすら執着しておらぬ。先代様の猶子であった尭慧殿を手放したのが無量寿院の運の尽きよ。


 もっとも、寺などいずこも似たようなものだ。比叡山と比べても取り立てて酷いとは思わぬが、新たな政を始めた尾張と我先に対立したのは不手際と言えよう。


 織田が気になる者らはいかが結末となるのかと注視しておろうな。されど、武家と寺社が争うのは珍しゅうない故、あとは興味もあるまい。


「母上にもぜひ花火を見せとうございまする」


「花火ですか、確かに噂を聞く限りだと見てみたくもありますね」


 仲睦まじい様子で話す上様と慶寿院様に安堵する。親子とて難しいからな。今の世は。


「いずれは主上にも御照覧いただけるようにしたいものだ」


 そんな上様のお言葉にわしは確信を得た。間違いない。公方様は変えようとなされておるのだ。この乱世を。足利の世を。


 父上。父上は、ここまで分かっておられたのでございますか?


 上様が作られた大根の煮物。父上もさぞや喜ばれたであろうな。一度召し上がっていただきたかった。


 父上、わしはもう迷いませぬ。上様と共にこの乱世を変えてまいりますぞ。



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