第千百七十九話・寡黙な男
Side:織田信秀
越後の長尾景虎か。上洛の最中に武芸大会を見物しておったと聞いたが……。
「御尊顔を拝し恐悦至極に存じます」
戦上手という噂と実の兄から家督を奪ったとも譲られたとも言われる男。
威風堂々とした振る舞いか。こうして諸国の者らと会うと、作法は同じであっても些細な仕草や立ち居振る舞いで人となりが表れる。
されど、一馬がわざわざ会うてみたいと言うた割には凡なる男に見える。ただ、長尾の下に関東管領が逃げ込んだのは掴んでおる。一馬はそちらを気にしておるのやもしれぬがな。
「突然招いて済まぬの。近くにおると聞き及んでな。宴でもどうかと思うたのじゃ」
「ありがとうございまする」
寡黙な男だと聞いておったが、思うた以上に話が弾まぬな。一馬が招きたいというので興味を持たれた守護様もまた少し困られたのが分かる。
「ではさっそく料理を運ばせましょう」
さっさと飲ませてしまったほうがよいな。長尾の家臣もいかんとも言えぬ顔をしておるわ。よくあることなのであろう。
「おお……」
運ばれてきた膳に、長尾家臣らがざわついた。まず硝子の徳利と盃に驚いたようだ。それと料理にも息を飲んだのがわかる。越後は海があるというので魚は珍しくあるまいが、塚原殿の話ではさほど珍しき料理もなかったと聞き及ぶ。
虚勢を張る者、戸惑う者など様々だが、酒と料理を前にすると心が緩むのだろう。ひとまずこの場を楽しむべく場の様子が和やかになる。
「この国の塩が美味いのは何故でございまするか?」
景虎がようやく形式以外の口を開いたのは、金色酒を一献飲んだあとだった。なにを言うかと思えば塩のことか。変わった男よ。
「久遠の知恵というところじゃの。武士が武芸を磨くように久遠は知恵を磨く。そう言えば理解するであろう」
守護様が返答をされると、僅かに笑みを浮かべて料理に箸を付ける。
にしても、酒を飲むのが早いな。いち早く徳利の酒がなくなったわ。
敵か味方かも分からぬこの場で遠慮なく飲むとは。肝が太いと言うべきか? 己が害されることがないと分かっておるのか? 無論、酒好きだという話があるのは知っておるが。
こちらを警戒もせず、とはいえ誼を深めるでもなく、黙々と料理と酒を楽しむか。今までにない男よ。少し興味が湧いてくるわ。
Side:久遠一馬
静かな宴だ。特に空気が悪いわけではない。盛り上がりには欠けるけど、長尾家家臣の皆さんのこちらを窺うような様子が少し面白い。こちらが気分を害していないかと心配しているようだ。
まあ織田家の皆さんは宴には慣れているから特に気にしていない。花火大会や武芸大会であちこちから人が来るといろんな人間関係が見えるからね。よくある程度と思っているようだ。
長尾にあまり興味がないとも言えるけどね。
肝心の景虎さんには義統さんが話しかけているけど、とにかく会話が続かない。口調は丁寧だし礼儀正しいんだけどね。
ただまあ、こういう人はこの時代でも珍しくない。口下手な人もいれば、社交性に難がある人もいる。寡黙な男が信頼されるような場合もある。
料理は少し濃いめの味付けにしてもらった。旅をしていると疲労もあるだろうし、越後も結構味が濃いらしいからさ。
「これは……」
景虎の顔色が変わったのは、梅酒を出した時だった。なんだこれはと言いたげな驚いた顔をした。
驚きを隠さない。その様子に虚勢を張る気がないのだと分かる。やはり史実の軍神はこの時代の武士の中でも一味違うらしい。
「梅を漬けた酒じゃ。越後守殿は初めてか? 東では北条が売っておるはずじゃがの。これも元は久遠の酒じゃが、北条とは縁があっての。造り方を授けたのじゃ」
今日の宴に関してはオレたちは特に動いていない。梅酒は義統さんが命じて出させたんだけど……。
北条の名前に長尾家の家臣の顔色が少し変わった。凄いな。ごく自然な形で北条の名前を出したよ。関東管領が越後に亡命したのは掴んでいるから、その状況と影響が気になるのは確かにあるんだよね。
対外交渉と外交関する義統さんの力量は、やはり抜きん出たものがある。
「北条とは縁がありませぬので」
「気に入られたなら土産に用意しようかの。今後も欲しければ融通いたす。酒くらい好きに飲みたいからの」
北条との関係があまり良くないのが家臣たちの様子で分かったけど、景虎さんはポーカーフェイス。ほんと顔色も変わらないね。
「かたじけなく存じまする」
義統さんがちらりとこちらを見たので、ありがとうございますという意味を込めて笑みを浮かべた。今回はこんなところだろう。関東管領は越後にいて憎き敵の北条を悪く言っているのは確かだろう。あちらの視点で見るとそれが正しいしね。
長尾家とはお酒で誼を深められるし、現状ではこれ以上深入りをする必要はない。
ほんと天下を治められそうだな義統さん。まだ若い景虎よりも義統さんの凄さが際立った。長尾家家臣も少し畏怖するように見ているくらいだ。
Side:長尾家家臣
「次の管領という噂。まことのようだな」
今宵は清洲城に泊めていただいた。夜も更けると同じ客間で休む者と少し話をする。
次の管領と噂の斯波武衛と仏の弾正忠。今や越後でも名が知れておる男らだ。仏の弾正忠はあまり口を開かずにおったが、武衛殿は我らの様子を見て楽しんでおったのではとすら思えた。
「見たこともない料理と酒、それに透き通った玻璃の器だ。あれだけでも油断ならぬ相手よ」
ああ、料理と酒も凄かった。味わったこともない美味い料理と酒に、残すのを惜しむように皆がすべて平らげておったほどだ。
我が殿は誰が相手でも物怖じせぬ御方故に良かったが、我らが恥をかくところであったわ。
「織田が伊勢と誼が深いというのはまことだな。あれは我らに揺さぶりをかけてきたのではあるまいか」
「まさか……」
そういえば関東管領様が織田のことも罵っておられたな。北条を名乗る伊勢如きと関わる愚か者であると。関東管領様のことを知っておるというのか?
織田は斯波家の家臣としてあるが、伊勢は違う。他所から来て伊豆と相模を奪い、関東を荒らしておる逆賊ぞ。いかに畿内で力を持つ伊勢とはいえ、肩入れし過ぎではあるまいか。
「まあ、戦をするとなれば戦うまでよ。されどあまり敵に回しとうはないの。宴の料理にこの変わった夜着。この国はあまりに越後と違い過ぎて強さが読めぬ」
中になにか柔らかなものが入っておる細長い夜着を敷いて、同じものを掛けて寝るのが尾張の作法らしい。支度をした織田の者は布団と言うていたか。冬場だというのに寒さなど感じぬこの夜着に幾人かはすでに寝入っておるほどだ。
京の都というても荒れ果ててがっかりしたほど。比べるわけではないが、畿内では石山本願寺は栄えておったな。さらに、尾張は石山本願寺以上に栄えておるように思える。
都の公家が尾張のことをしきりに話しておったとも聞くが、それも得心がいくというものよ。
「まあ、尾張と越後は遠い。関わることもあるまいて」
その言葉を最後にひとり起きておった男も寝入ったようだ。わしも疲れておるが、何故か寝付けず天井を見ながら考えてしまう。
同じ日ノ本だというのに、これほど違うとはな。羨ましい。そう思わずにはおれぬ。
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