第千百五十五話・文化祭・その二

Side:石田正継


 美濃は、押し寄せておった近江からの流れ者もだいぶ減り落ち着いた。北近江三郡が六角の下でまとまりつつあるからであろう。


 わしの役目は関ヶ原での人改めから、織田領内の各地を巡る役目へと変わった。これはわしが新参だからというわけではなく、広い領内を皆が知る一環なのだとか。


 今日は那古野で文化祭なる祭りがあると聞き、見聞するべく参った。祭りなど近江でもあるが、先日の武芸大会といい文化祭といい、尾張の祭りは噂以上に賑やかで活気がある。


 そんな那古野の町の様子にしばし見入ってしまったわ。


 常ならば民が村を出ることなど、戦でもなければありえぬことだ。にもかかわらず尾張では大きな祭りが幾度もあり、領内の各地から集まるのだとか。


「違うな。ありとあらゆることが近江とは」


 国人、土豪、寺社。各々の領地で暮らす者らが、領地を捨てて尾張という国の下でひとつとなっておる。『仏の国』、近江で旅の僧からそのような噂を聞いたことがあるが、まことだったとは思わなんだな。


 わしのように、北近江からは少なくない武士が織田領に流れてきた。


 ここ数年では北近江三郡の浅井が織田に敗れ、復権を狙い蜂起した京極は六角に敗れた。そのせいもあって北近江は六角の天下だ。苛烈な税を要求しているとは聞いておらぬし、むしろ食えるようにと情けを掛けた差配をしておると聞く。


 されど京極家に従うと言うて戦に動いた国人らは、多くが所領を削られるか召し上げられた。左様なところからは生きる地を求めて美濃や尾張に流れてきたのだ。


 当初は北近江へ戻るために織田領の縁者から兵を借りようとしておった者もいるが、近頃はとんと聞かなくなった。


 織田では近江への手出しを禁じており、美濃や尾張の者は誰も動かぬのだ。そのうちに北近江の者らも尾張で糧を得るために働くようになり、それはそれでいいと思うようになった者が多いのであろう。


 北近江は貧しき地ではなく都にも近い。なればこそ戻りたいと考える者が多くて当然であるが、暮らしは尾張や美濃のほうが遥かに楽だからな。


 当たり前のことを励んでおるだけのわしでさえ、かつての暮らしより格段に良うなった。土田家に縁があることもあろうが、義理以上の厚遇をされておらぬにもかかわらずだ。


 他の者も所領がない以外は不満はあるまい。




 まず訪れたのは、日頃は入ることが出来ぬ工業村だ。ずっと見たかった尾張たたらを近くで見ることが出来る。


「これが尾張たたらか」


 身震いする。赤々と熱して融けた鉄が止まることなく流れてくる様子を見ておるだけだというに。


 鉄は貴重だ。良質なものは武具とする。されど尾張では他国に売るほどあり、贅沢に鉄を使ったくわかま、鍋などが市井の民ですら手に入るという。


 勝手に見て歩けぬことが惜しいが、よく見ると見知らぬものが多い。案内役の者は鉄道と言うていたな。鉄の棒の上に載せた箱にて、鉄の素となる石を運んでおるのが見える。


「織田学校か……」


 そのまま織田学校に足を運んだが、驚きは学び舎にもあった。身分や年齢を問わず領内の者ならば学べるのだという。誰ぞが形を変えた人質だと言うていたが、目の前の子らを見ておるとそれは違うとわしにでも分かる。


 多くの子が並び、一糸乱れぬ様子で剣の型を披露しておるのには驚きを通り越して見入ってしもうたわ。


 領内の者に文字の読み書きを推奨しておるとは聞いておったが、ここではあらゆる技や知恵を惜しみなく教えておる。秘するべき技や知恵を何故教えるのだ? ここでは秘するものではないということなのか?


 分からぬことばかりではあるが、分かることもある。この子らは織田のために命を惜しまず励むのであろう。忠義を持てと言うは容易いが、行うは難しきこと。それを成しておる。


「ああ……」


 学校で学んだ者の絵があった。絵のような、生きるのに必ずしも必要とせぬ贅沢なことまで教えておるのか。


 他国では戦や飢饉で生きるか死ぬかという暮らしをしておる者も多いというに。何故、この国はこれほどのことが出来るのだ?


 大殿はまことに仏の化身であるのか?


「皆で学び、皆で考える。さすれば国は豊かになり、今日より明日は良うなる」


 夢か現かと歩いておると、ひとりの僧が多くの者に学校のことを教え説いていた。


「戦がある。では何故、戦となるのか。そこから考えるのも良かろう。戦とならぬ道はないのかと考えるのもよい。己の身近なところから改めて考えてみよ。失態は恥ではない。大切なのは何故失態を演じたのかを考え、同じ失態を繰り返さぬように努めることじゃ。失態から学ばぬことこそ恥なのじゃ」


 誰かと思えば沢彦宗恩和尚だという。織田では名を聞かぬことはない高僧だ。


 学問とはいかなるものかと問うた者に答えたらしい。


 分からぬことも多いが、ひとつはっきりしておることもある。この国を敵に回してはならぬということだ。わしにはもう敵に回すような所領などないがな。




Side:久遠一馬


「まさかここで会うとは……」


 緊張した様子の京極さんと、なにがあったのかと訝しげな三木さんと別れると、菊丸さんが苦笑いを浮かべた。


 京極さんが騒いだら少し面倒なことになっていたけど、すべて飲み込んでくれた。さすがに奉行衆として義藤さんの下で働いていた人だね。


「大丈夫だよ。ただ、日を改めて一緒に茶でも飲んでやるといいだろうね」


 こういうときのジュリアのアドバイスはなかなか凄いなと思う。互いに含むものもあるだろうけど、それが一番だろう。放置して困ることもないのだろうけど、京極家だしね。あの様子だと余計なことは言わないだろう。


 さて、気を取り直して校舎内を見ていくと、授業をしている教室もあった。といっても生徒がいるわけではなくて、見学者に授業の様子を教えているんだ。


 学校とは実際どういうところで、なにをしているのか。知らない人も多いからだろう。


「そろそろ外にて面白きことをやるぞ」


 菊丸さんに案内されて、未だかつてないほど混雑する校舎内から出ると、子供たちがお揃いの稽古着を着て準備をしていた。


 きちんと整列して並ぶと、周囲に一礼した。


「やあ!」


 子供たちは太鼓の合図で一糸乱れぬ動きをしながら竹刀を振り下ろすと、周囲にいた多くの見物人から歓声があがる。


 剣術の基礎といえる型を集団演武のようにしたのか。凄いな。いったい誰が考えたんだろう?


 ただ、見ているとハラハラするな。失敗して落ち込まないだろうかとか心配になる。


「子らの鍛練を見た師が思いついてな。教えておったのだ」


 答えは菊丸さんが教えてくれた。


 塚原さんかぁ。集団演武のように見えた鍛練は団体行動の訓練でもあるのだろう。軍隊行進のように集団で同じ行動をするなんて、この時代だとまったく訓練もしないから出来ないんだよね。学校ではアーシャが教えていたはずだ。


 しかし、そんな団体行動を集団演武のようにするなんて。子供たちがオレを驚かせたいと隠していたのはこれだったのか。


 さすがは史実の剣聖様か。剣術に芸術性まで持たせているのが分かる。見ていても分かりやすい。武芸自体が重んじられる時代だから、見物している人たちも保護者の皆さんも喜んでいるね。


 塚原さんには太平の世になったあとの武芸の未来が見えているのかもしれない。


「いかがでございましたか!」


 最後にはきちんとみんなで一礼をして演武が終わった。子供たちはそれまでの真剣な表情が緩み、それぞれに両親や親しい人たちのところに駆けている。オレたちのところにも孤児院の子供たちが来てくれた。


「凄かったよ。驚いたなぁ」


「ああ、初めて見たぞ。よう励んだな」


 オレと信長さんもエルもジュリアもみんな驚いている。正直、ここまで学校が変わるなんて思わなかった。


 ここは生きるか死ぬかの戦国時代なんだ。それなのに……。


「皆で幾度も鍛練を繰り返したのだ。なあ?」


「はい!」


 指導した菊丸さんも嬉しそうだ。誰かに武芸を教えたり子供たちに稽古を付けたりするのが、これほど楽しいとは思わなかったと以前聞いたことがあるけどさ。まさか、ここまでしてくれていたなんて。


 今の菊丸さんは将軍様としての顔ではなく武芸者であり教師の顔をしている。子供たちに慕われるんだ。御所の奥に閉じ籠った将軍様では絶対に経験出来ないことだろう。


「久遠殿の本領に負けておれぬと、皆、知恵を絞っておるからの」


「塚原様!!」


 少し呆けていたのかもしれない。いつの間にか満足げな塚原さんが近くにいて、オレを見て満足げな笑みを浮かべている。子供たちが嬉しそうに駆け寄ると、塚原さんはそれに応えるように一人ひとりに話しかけていた。


 塚原さんのおかげで、オレたちはどれだけ助けられているんだろう。


 世の中には凄い人がまだまだいる。オレたちは、そんな人たちにきっかけを与えるのが役目なのかもしれない。


 史実にはないきっかけが、新たな歴史を紡ぐ。それがオレの望む未来になるか分からないけど。少なくともみんなで力を合わせて作り上げた未来なら、きっと受け入れてのんびりと生きていける気がする。




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