第千百五十四話・文化祭の再会

Side:久遠一馬


 面白いなって思う。文化祭、その言葉の響きは懐かしいものだ。かつてオレも学生時代には経験したことだからだろうか。


 だけど、目の前の光景はオレの知る文化祭じゃない。そもそも文化という言葉自体、この時代にはないので、久遠語みたいな扱いだ。


 学校の入り口、文化祭のために集まった人たちの光景を眺めているジュリアが微笑むように笑った。


「楽しそうだねぇ」


「さあ、中に入るぞ」


 信長さんは待ちきれないといわんばかりに吉法師君と帰蝶さん、オレたちを連れて中に入る。


 確かに楽しそうだなぁ。


 入口では刀や脇差を預かり、木札を渡す手荷物預かり所は警備兵の大人が担当している。学校では普段から武器の持ち込みを禁じていて、今日も同じように武器を持ち込まないようにとみんなで考えてくれたんだろうな。


 この時代の人はなにかを教えると、それを理解して更に考えて一歩も二歩も進めてくれる。そういうところにやりがいがあるなって思う。


 神霊や祖先を祀ることが由来である祭りは神聖な時代だからこそ、みんなで祭りをやるとなると思った以上に真剣に頑張ってくれるんだ。


 さて、まずは校舎内から見ていこうかな。


「これを幼子らが書いたとは……。おおっ、これが竹千代様の書か!」


 複数ある教室、それぞれ授業の成果を見せる形となっており案内役の人がいる。案内役の人は説明もしてくれるようだ。


 最初の教室には、わら半紙に書かれた書が掲示されてあった。元の世界の書道と同じものみたいだね。それぞれに個性があるけど、その前でひとりの壮年の武士が驚いている。


 壮年の武士は三河訛りがあり竹千代君の書を熱心に見ているので、恐らく松平家ゆかりの者だろう。


 文字の読み書きは、それなりの身分になると覚えるものなんだけど。身分を問わず大勢の子供たちに教えることは一般的ではない。身分や立場に合わせてというのが普通だ。


 ちなみに職人らしき人の書も結構ある。恋文が遊女さんたちの間で人気だとかで、文字を覚える人が激増したのはいい思い出だ。


 職人さんたちは頑固な一面もあるけど、そのぶん何事にも一途というか研究熱心だし、チャレンジ精神も旺盛なんだよね。


「これは若殿と内匠助殿、皆、驚いておりますな」


 次の教室に行くと、斎藤義龍さんと松平広忠さんが奥方を連れて見物をしていた。このふたりは清洲城でもよく会うので顔なじみだ。彼らが見ていたのは鉛筆を使った絵だった。


 雪村さんが教えるようになってから、この時代の技法も取り入れているから水墨画にも通じる作品がある。


 こういう絵を楽しめる機会はなかなかないからね。楽しんでくれているようだ。


「恥ずかしながら、三河では未だに人質の名目を変えただけだと言うておる者がおりまする。此度で理解してくれるといいのでございますが」


「美濃も同じだな。見たことがない者はそう考えておる者が多い」


 彼らが見ていたのは竹千代君の絵だ。結構、上手いじゃないか。前に見た時より上達している。広忠さんと義龍さんはそんな絵を見ながら、学校のことをしみじみと話していたようだ。


 織田家も評定衆クラスになると、教育が必要だと理解している。新しい統治法を理解するに従って、おのずと必要なものを理解してくれたんだ。ただ、国人や土豪クラスになると、実質的な人質と見ている者も多い。


 でも、そう見えるのも仕方ない。ものの見方なんてそう簡単に変わるものじゃないからね。


 最近だと勉強も兼ねて孤児院出身の子を清洲城に連れていって、書状や報告書を清書する手伝いをさせているんだけど、若いながらもきちんと楷書体で書いているので文官たちに驚かれて話題にもなったんだよね。


 実はこの清書というのがまた意外と大変なんだ。お坊さんとかなら出来る人は多いけど、きちんとした文章を書いたことのない人が大多数なので、誤字や当て字に加えて中途半端な楷書体で書く人も多い。


「今回の文化祭で知ってくれるといいんですけどね」


 人を従える側も大変だなとふたりを見ているとそう思う。だけどね、我が子の作品を見つけて喜ぶ人たちの姿を見ていると、みんなの認識が変わるのも案外早いんじゃないかと思えるんだ。




 ふたりと分かれて人一倍混雑している食堂を覗くと、そこではお市ちゃんが案内役として説明していた。


「あっ、兄上! かずま殿! ここでは学校で出している昼の食事を食べられますよ」


 給食を振る舞うのか。なんか授業参観っぽいね。


 メニューは雑穀と玄米を混ぜたご飯と魚のつみれ汁。それと山菜の炒め物だ。これアーシャが始めたんだけど、費用だけじゃなく栄養も考えて毎日工夫してくれているんだ。


 元の世界で明治時代に義務教育が始まった時でもそうだったけど、貧しい時代や地域では子供も大切な働き手だから、なかなか学校に通わせてくれない。


 ただし、給食があると子供を学校に通わせてる人が多いんだよね。それは尾張でも例に漏れず、清洲辺りの農村から通う子もいると聞いたことがある。


「美味しそうだね。でも混んでいるからまた後にしようかな」


 一緒に食べたいのは山々だけど、こちらは人気のようで結構並んでいる。先にあちこち見て回りたいから後でまた来てみよう。


「はい! 皆、励んでおりますのでご覧になってくださいませ」


 お市ちゃん、成長が早いなぁ。ウチの屋敷で走り回っていたのが、つい最近だと思ったのに。




 展示物は意外に多いなと思った。職人が教えた木工作品や機織り物まであるじゃないか。


「これは凄いの」


「これほどの書物があるとは……」


 顔見知りに声を掛けながら見ていると、尾張に来て日が浅い京極さんと三木さんがいた。少し戸惑う様子で見て回っているようだ。


「京極殿、学校は初めてと思いますが、いかがですか?」


 ふたりは図書室で蔵書を見て驚いている。というか、ここは年齢層が高いな。年配者とかお坊さんとかばっかりだ。


「これほどの書物をよう集められましたな」


「ウチで集めたものもありますが、あちこちから写本を譲り受けたものもありますよ。東は関東の北条家、西は伊勢の北畠家や神宮、それに大内家から譲り受けたものもあります」


 京極さんはなんというか、いかにもこの時代の名門出身らしい人だな。あまり腹の内は明かさず自分から弱味も見せたがらない。まあ、オレに対しては可もなく不可もなく。警戒と気遣いをしているのが分かる。


 ただ名門出身だけあって、ここにある書物の価値を理解しているんだろう。戦乱の世だけに軽視されがちだけど、書物は貴重だ。


 学校は織田領内では一番の蔵書を誇る。オレが書物を集めていることを聞きつけた人が、写本でもいいならと贈ってくれることが結構あるんだよね。


 寺社とかには特に貴重な書物から個人の日記まで面白い書物がある。ウチでも簡単に手に入らない贈り物として書物を選ぶ人が多いみたいなんだ。


「失敗ですら恥じるのではなく、学んで次に活かせと教えておられるとか。もう少し早う会えておればと思うてしまいまするな」


 ポーカーフェイスだった京極さんが初めて畏怖や後悔、そんな感情が混じった表情を微かに見せた。


「まだ老け込むには早いのではないですか? 尾張では隠居した方でも多くの者が励んでおりますよ」


 なんかすっかり老け込んだようだと、先日会った菊丸さんが言っていた。直接会ってはいないようだけど、噂を聞いてそんな感想を漏らしていたんだ。


 京極さんは数え歳で五十だけど、史実だとこの後に子供を作って八十歳近くまで長生きしたんだよね。働く気があるなら文官として働いてほしいとも思う。


 趣味に生きるならそれでもいい。でもね。死を待つだけの人生なんて寂しいし、第一もったいないと思うんだ。




 その時だった。聞きなれた話し声がした。




「おお、尾張介殿と内匠助殿ではないか。いかがだ? 凄かろう。皆で支度したからな」


 尾張でも最上級の客人である塚原卜伝さんの弟子。菊丸さんと与一郎さんだ。ここでは武芸の師のひとりとして俸禄を得ている身分だ。


 オレたちとは親しいと割と知られているので、公式の場以外ではそこまで堅苦しい態度ではない。


 というか、こんなタイミングよく出くわすとは。まずいと声を掛ける暇もなかった。


 信長さんもエルたちも無言だ。もうどうしようもない。


「……まさか……」


 京極さんにとっては忘れられない声なのだろう。顔色が見たこともないほど変わると、一緒にいる三木さんと家臣たちが何事だと驚いている。


 その声に恐る恐る振り返った京極さんは、信じられないものを見たかのように固まった。


 ひとりなら他人の空似で済むだろう。だけど与一郎さんも一緒だからなぁ。菊丸さんたちは準備から手伝っていたから、ここにいて当然なんだけどね。


 菊丸さんと与一郎さんも固まった。さて、どうしようかと考えていると、すぐに落ち着いたいつもの表情に戻った京極さんがオレの顔を見ていた。


「……まことに恐ろしい御仁ですな。貴殿は」


 すべての事情を飲み込んでくれたらしい京極さんはそう口にした。





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