第千百四十八話・それぞれの始まり

Side:無量寿院の高僧


 ようやく織田の名を聞かずに済むかと皆で安堵しておった矢先のことであった。酒を納めさせておる商人が、今後は織田の酒を納めるのは難しいと言うてきた。


「互いに配慮を求めぬか。なるほど。織田の狙いはこれであったか」


「このような暴挙を許してよいのか! 勅願寺であり、正当なる真宗の教えを守る我らに対して!!」


「誰がこの日ノ本を教え導いてきたのか知らぬのか!」


 あまりにも織田があっさり引いたことに疑念を抱いておった者は、やはり謀を仕掛けてきたかと言いたげであるが、寝耳に水である者が大半だ。そのような者は烈火の如く怒り心頭で憤懣やるかたない様子だ。


 織田以前に己を律することも出来ぬのか? 騒ぎたいならば他でやれ。


「我らを愚弄し軽んじるは神仏を愚弄し軽んじると同じぞ!」


「帝でさえお認めになった我らを認めぬか。さすがは野蛮な武士じゃの。新皇などと称した愚か者と変わらぬと見える」


 織田を許さぬと息巻く者が多いが、無言のまま一抹の不安を感じておる者も多いようじゃ。


 我らと反目しておる尾張の末寺は、我らに成り代わり本山となるべく画策しているという噂もある。また織田が本気になれば二万とも三万ともいわれる大軍が攻めてくるのだ。長野も北畠に降った今、周囲はよくて中立というところであろう。


 斯波と織田は本気で我らと縁を切るつもりということか。元より織田は願証寺を通じて憎き本願寺と誼を深めておる。我らがそれを許せぬと怒っておることを陰で笑うておるのであろう。


「出入りの商人の話では、今後必要な品はすべて畿内から買わねばならぬと言うておる。近江から買える品もあろうが、近江商人もあまりいい顔はせぬはずじゃ。さらに、織田は我らの御寺に通じる街道のすべてに関所を砦とするべく普請を始めたゆえ、今後は関所の税も増えよう」


 尾張、美濃、三河、伊勢、志摩の品は塩ですら売れぬと言われた。今後はすべての品において十倍以上の値になることを覚悟してほしいともな。伊勢はすでに海沿いはすべて織田に取られておるのが今となっては忌々しい。


「こうなれば一揆だ!」


「おう!! 一揆だ!」


「愚か者が! 一揆など出来るか! 本證寺の二の舞いぞ!! あそこは本願寺が仲裁したが、我らには味方となり仲裁する者もおらぬ! 飛鳥井卿はもう助けてはくれぬのだぞ」


 よほど許せぬのだろう。一揆だと言い放つと戦支度を始めようと立ち上がった愚か者もおるが、さすがにそれは止めばならぬ。それこそ織田の狙いだと何故気付かぬのか。


 悔しいが今は耐えるしかあるまい。末寺が戻れば北伊勢で動けるようになる。北伊勢の地の利と人の利はこちらにあるのだ。


 人を集めねばならぬな。北伊勢には土地を奪われて織田を恨む者も多かろう。六角は無理でも東美濃と今川は味方になるやもしれぬ。


 一刻の勢いで図に乗る織田を叩くには忍耐も必要じゃ。




Side:京極高吉


「斯波も織田も恐ろしいの。かような者らだとは思わなんだ。寺社と縁を切るなど考えられぬわ」


 叡山や石山とは違い、畿内でさほど力のある寺ではない。されど、一向宗の一派で本山を自認する無量寿院をかようにあっさりと切り捨てるとはの……。


「織田は三河本證寺を潰したこともありまする。本願寺が仲裁したことで末寺は許されましたが、主立った寺は廃寺になっております。噂では降伏も許さなかったとか」


 三木の言葉に、織田が一向衆と戦をしたという話を聞いた頃を思い出した。当時は鄙者は愚かだと笑うて済ませた話じゃったな。


 確か織田の祖は越前の織田神社の神職だと聞いたが、あの者らは神仏をも恐れぬのか?


 もっとも、かつては京の都で法華衆と一向衆が争うたこともある。あれには管領も深く関わり、寺だけでなく都を大火で荒廃させたはず。管領家の者はいずこも似たようなものなのかもしれぬの。


「家中の者も誰ひとり異を唱えぬとはの。勢いだけでここまで大きゅうなったわけではないか」


 驚くべきは家中も領内の寺社も一切騒がぬことだ。常ならば無量寿院と通じて話をする者や勝手に味方する者もおろうに。


 やはりさっさと隠居して良かったの。いかなることを仕出かすか分からぬような者らとは争えぬわ。


「御屋形様……」


「飛騨の守護の件は遺恨などない。とうの昔に失うたものじゃ。そなたもそう心得よ。」


「かしこまりましてございます」


 わしとて、今は亡き大御所様や管領の下で天下の政を見てきたのだ。政がいかに難しきことかは承知のこと。故に分かるのだ。尾張がいかに異質かということがな。


 ようやっと分かったわ。亡き管領代が尾張と争いを避けておった理由がな。管領は亡き管領代を腰抜け呼ばわりしておったが、管領こそが愚か者であったということか。


「斯波と織田がこのまま天下を揺るがす者となるか、それとも……。大人しゅうしておるのが一番であろう」


 土地は奪うが、それでも従う者には寛容なようじゃしの。わしにも体裁を守るだけの配慮をしてくれるようじゃ。余計な波風を立てずに見ておるのが一番であろう。


 寺社を潰すような者と争うのは、わしには到底無理というものじゃ。




Side:久遠一馬


 那古野では文化祭の準備が進んでいる。


 織田家では無量寿院の動きを警戒しているが、現状では驚くほど影響がない。


 さすがに伊勢では無量寿院の蜂起もあるのではと懸念する声があるものの、尾張・美濃・三河への影響はほぼない。


 尾張に至っては文化祭が注目を集めているくらいだ。


 津島衆や熱田衆や蟹江衆からは、良ければ手伝いましょうと支援を申し出てくれていて、どんどん規模が拡大しているのは気になるけど。悪いことではない。


 この日、オレは船大工衆である善三さんから、見せたいものがあると報告を受けて蟹江に来ている。


「いかがでございましょう」


「これは……、凄いね……」


 見ただけで分かる。ただ、分かっていても驚くなというのは無理だ。


 善三さんと船大工の皆さんは、そんなオレやエルの驚く顔に嬉しそうな笑みを見せた。


「古くは都の公家が舟遊びをしながら和歌を詠んだとか。御家の南蛮船や馬車も参考にさせていただきました」


 見せられた船は、元の世界にあった屋形船だ。


 川での運用を想定したらしく、完全な和船だね。元の世界で見た屋形船と比べると、漆塗りを使うなどしていて高級感がある。


 発想の元は馬車か。少し詳しく聞いてみると、馬車のような移動に快適な川舟を造ろうと考えたのがきっかけなんだとか。造船専門の鏡花も交えてみんなで話し合った結果、畳敷きの屋形船になったようだ。


 尾張では街道整備も進んでいるけど、物流や人の移動は今も川舟が主流なんだよね。どうやら善三さん、客船型のガレオン船にも乗ったことで刺激を受けたらしい。


「とてもいい舟だね。もっと造っていいよ。ああ、でも乗り心地を試すほうが先かな?」


「この舟は珍しき技や御家の技はさほど使っておりませぬゆえ、すぐに増やせまする。これならば伊勢や三河の者に造らせれば、あちらにも仕事を回せまする」


 なるほど。和船にした理由はそこか。和洋折衷船と南蛮船の技術はウチの秘匿技術なので、簡単にあちこちに教えてないんだよね。


 水軍の統合の一環で伊勢や三河にいる織田領の船大工も一部は受け入れて教えているけど、技術秘匿の観点から大々的にやるわけにもいかないんだ。


 正直、織田の造船は南蛮船と和洋折衷船で手一杯だからね。余剰の職人たちを使える新しい和船を考えてくれたらしい。


 実際、尾張の川舟の建造はすべて美濃や三河でしている。領内の流通や人の往来が増えた影響で川舟の需要も激増しているんだよね。


 善三さん、この屋形船のお披露目を文化祭でしたいらしい。いろいろ考えてくれてありがたいね。ほんとうに。




◆◆

 屋形船。


 古くは平安時代に貴族の遊びとして用いられたのが記録に残る最古となる。


 ただし、現代に続く屋形船は、天文二十二年に織田家船大工衆により造られた船が元祖となる。久遠家家臣である大船善三と、船の方こと久遠鏡花により生み出された船であると記録にある。 


 所領や関所の廃止などした結果、織田家では領内の人や品物の流れが活発となり川舟の需要が急激に伸びている頃であった。


 そこで人が乗りやすい川舟を作ろうと考えたのだと、関連する記録に残っている。


 当時、織田家では後に恵比寿船と呼ばれることになる南蛮船の建造や久遠船の建造で川舟まで手が回らず、伊勢や三河などで造れる舟として屋形船が考えられた。


 この後から交通が発達する近代までは、様々な進化をした屋形船が各地で使われるようになった。


 現代では主に観光地での遊覧舟として人気で、各地で親しまれている。



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