第千百四十七話・坊主たちの動き
Side:久遠一馬
秋も深まってきたと感じる。織田領では賦役の季節だ。
今年も飛騨からは多くの職人や賦役の出稼ぎ労働者が来ている。飛騨では江馬と内ヶ島が臣従をする気がないらしく、こちらを警戒しているが織田としてはどちらでもいいことだ。
はっきりいって飛騨の統一なんてしている暇はない。
そんなこの日、ひとつの吉報が届いた。
「おめでとうございまする。これで三カ国の守護に返り咲きでございますな」
信秀さん以下、評定衆が一同に揃って、義統さんにお祝いの言葉を申し上げた。
この日、義藤さんから飛騨守護に任じる書状が届いたんだ。まあ、これ菊丸さんと相談した結果なんだけど。
飛騨国の国司家、守護家が斯波家に臣従したことに外野が騒ぐ前に命じてしまうんだそうだ。
「すまぬの。京極殿。そなたらのことも忘れてはおらぬ故、理解してくれ」
ただ、義統さんは喜ぶことなく、同席している京極高吉さんと三木さんに真っ先に声を掛けた。飛騨の最後の守護は京極家だったから筋を通したのだろう。こういう諍いによる怨恨が末代まで許さない因縁になるんだよね。
偉くなるのも大変だなとしみじみと思う。
「いえ、それよりも某の隠居の件、ご配慮かたじけなく存じまする」
対する京極さんの隠居地の件は尾張になった。正式な許しの知らせも一緒に届いている。義藤さんが高吉さんを京極家の正統な継承者と認め、家督を三木さんの息子に継がせることを公認したんだ。これで高吉さんの兄弟がいちゃもんをつけるのは難しくなった。
高吉さんからすると御家を次の代に繋げたことで、当主として最低限の義務を果たした感じか。
「わしはそなたのことを笑えぬ。内匠頭や内匠助がおらねば、今も傀儡として変わらぬ日々を過ごしておったであろう。わしにあってそなたになかったものは運だけなのやもしれぬ」
義統さんの言葉にも高吉さんは淡々としている。もっと人の好き嫌いが激しく面倒な人だと菊丸さんから聞いていたんだけど、さすがに腹の内は表情には出さないみたいだね。それとも隠居という区切りで落ち着いたんだろうか?
オレも高吉さんとは挨拶以上の話す機会はないからどんな人かよく分からないんだよね。今のところ。
「さて、そなたらを呼んだのは飛騨のことじゃ。飛騨の国人や寺社にこのことを伝えねばならぬ。こちらから臣従は求めぬが、こちらの領地に手を出せば遠慮はせぬ、と示しておかねばならぬからの」
義統さんの飛騨守護就任、それと飛騨国司だった姉小路と三木の織田臣従。さらに三木さんの息子が京極家を継ぐことを、ひとつの書状として飛騨の各勢力に知らせて、手を出すなと釘を刺す予定だ。
守護になったことを理由に臣従をしろとは要求しない。織田にとってはわざわざ臣従を求める必要もない弱小勢力なのだと向こうに教える必要がある。
三河や伊勢もそうだったけど、臣従を求められたから渋々応じたんだという体裁を欲しがる国人が多い。だけど、こちらとしてはそれに付き合うメリットはないんだよね。
少し冷たいようだけど、それでも他国を圧倒するスピードで領地が広がっているくらいだ。
書状には義統さん、信秀さん、京極さん、姉小路さんの連名になる予定だ。
手を出すな。普通に考えると、その一言で済む。ところが織田に自分たちの力を誇示して少しでもいい待遇を得ようと、係争地で小競り合いを仕掛けてくるなんてよくあることだからね。
「無量寿院の一件でございますが、早くも揉めております。酒を頼まれた商人が売れないと断ったようでして」
飛騨の一件が終わると、信康さんの報告で評定は伊勢の問題に移った。
この日は高吉さんたちの他にも姉小路さんも評定にいる。織田の統治を知ってもらう一環だ。爪弾きにされて喜ぶ人はいないからね。
「一馬の造った酒だ。誰にいくらで売ろうが一馬の勝手だ。坊主というのはそんなことも分からぬ愚か者なのか」
信秀さんは露骨に不快感を示した。信秀さんが評定でこんな顔をすることは結構珍しい。問題を起こす人はいるが、仕方ないなと許してやるような人だ。
京極さんや姉小路さんに織田家の治世を教えつつ、信秀さんの意志をきちんと伝えるつもりなのだろう。無量寿院の件で家中に変な噂が広まったり、新参のふたりが疑心に囚われても困るからね。
織田領の商人には、すでに無量寿院との商いを禁じた。これは要望ではなく、信秀さんとオレの名前で出した命令だ。でも伊勢の商人はこうなることを察していたらしく、無量寿院に出入りしている商人は商いを止めている。
まあそれでも裏で売る商人は出てくるだろうが、表向きは従う姿勢を見せるからね。
「おっしゃる通りでございますが、奴らからすると荷留や売ってもらえぬということなど、己らがされるとは微塵も考えておらなんだのでしょう」
大湊や宇治山田にも無量寿院に売らないでほしいと頼んである。名目上は独立勢力なので命令はしないが、従わなければ織田から荷留されて自分たちの商売も大損を被ることになるくらい彼らも分かっているだろう。実質的には命令だね。
宇治山田あたりは今頃他国の品物を高値で売りつけようと動いているだろうし、抜け荷の策でも考えていそうだけど。
それと無量寿院に一部の商品をわざと高値で売りつけるという策謀は、評定の許可を得てすでに動いている。一旦、伊勢の外にある寺を迂回して売るらしい。直接売るのは近江商人になったけどね。
これ北畠家と六角家にも一枚噛ませたんだよね。さほど大きな利にはならないけど、確かな利益にはなるし。戦になった場合は兵を出してもらう以上、事前に利益も提供したほうがいい。
「無量寿院の末寺と寺領の民は、すでに半数を軽く超えて七、八割方は出ております。警備兵の増援を送らずこのまま放置すれば、寺領を明け渡す前に賊が入り込んでしまう恐れがございまする」
「警備兵の増援をすぐに手配します。移民から当地の者を幾人か選んでおいてください。案内に使いますので」
「心得ました」
移民の件は寺社奉行で動いている。寺社奉行である千秋さんから警備兵の要請があったのでセレスが答えたのだけど、これも事前の調整が済んでいることだ。元の世界だと密室政治とか批判されるけど、関係者と事前に調整しておかないと、いきなり会議で話し合ったところでまとまるものも纏まらなくなるからね。
末寺とその寺領は、冗談抜きでもぬけの殻になりそうなところがある。お年寄りとか生まれ故郷を離れたくないという人を説得している人がいるからだ。
説得しているのは織田領内にある高田派のお坊さんたちだ。共に移住しようと積極的に動いている。彼らも数年とかからずに無量寿院が泣きついてくると理解しているからね。
無論、背後にはいろいろと複雑な関係がある。
実は織田領にある高田派と無量寿院の関係は、少し前から急激に悪化していてお世辞にもいいとは言えない。こちらで抑えているが、それがないと独立すると言い出しかねないくらいだ。
さらに織田領の高田派は本願寺派の願証寺とも仲が悪い。高田派からすると、北伊勢の末寺と信徒を願証寺に持っていかれると懸念していたんだ。ほんと宗教って面倒なことが多い。
オレのところにも事前に相談があったので、その際に得た情報の提供をお願いする条件で認めておいた。
織田領の高田派は以前はまとまりなどなかったが、織田家が無量寿院と対立し始めてから、自分たちで独自派閥としてまとまりつつある。織田を後ろ盾にして無量寿院から離脱して生き残ろうと模索しているらしい。
この時代だとお坊さんたちも血の気が多いから、本山への不平不満なんかがもろに出てくるんだ。領内の高田派も最初は仲介していたんだけどね。無量寿院の対応の悪さとかあって関係が一気に悪化した。
一部は真剣に無量寿院からの離脱も考えていたようだけど、経典などの必要なものがないことや織田家で止めていたので表面化はしていない。ウチの協力があれば明に行って経典などを得られるのではと考えたらしいけど、はっきり言って迷惑だ。
結果として無量寿院の末寺に喜んで戻るところは少数派だ。
多くの末寺は、寺の本堂などの建物はさすがに残さざるを得ないけど、本尊の仏像や石灯籠など持ち出せるものは全部持ち出して移住するつもりでいる。織田領内の同派の寺が協力したこともあって、本堂以外はもぬけの殻になった末寺が増えるだろう。
ほんと、この時代の人はやる時は徹底的にやるね。
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