第千百十六話・菊丸、将軍として
Side:久遠一馬
慶次とソフィアさんは二日の宴を経て、三日目は領民へのお披露目を兼ねて清洲城に行った。
移動手段は屋根のない馬車だった。
馬車は現状では輸入馬を用いる本格型の馬車と、在来馬を用いる簡素型がある。簡素型は製作費を抑える目的と軽量化のために屋根を幌のようにしているもので、本格型の馬車は屋根もある元の世界でもお馴染みの馬車になる。
今回、慶次とソフィアさんが乗ったのは本格型の屋根なしタイプになる。本格型は馬の頭数が限られているので、未だに斯波家と織田家とウチしか使っていないが、どうやら工業村で試作していた屋根なしタイプを持ち出したらしい。
夏場とか屋根がないほうがいいのではと試作したが、直射日光が暑いことと雨が降ると中がびしょ濡れになるのであまり使用されなかったものになる。
領民へのお披露目ということもあり前後を滝川家とウチの家臣が同行すると、見ごたえがあるパレードのような光景になった。
あとは、沿道で見物していた領民に餅を配った。これ慶次が自腹で用意したものだ。源平にあやかってか赤と白の餅を、一緒に同行したみんなが配っていた。
資清さんは身分を考慮してやり過ぎではと少し難色を示していたが、信長さんがいいではないかと後押ししたんだよね。
慶次は婚礼の時と同じ正装と烏帽子姿で、ソフィアさんは白無垢だった。
沿道の領民も喜んでいたし良かったと思う。領民にもこの婚礼でウチの本領と尾張の血縁が出来たと教えていたこともあり、それを喜んでいるようだった。
ふたりには義統さんから太刀を与えられ、信秀さんからは着物が与えられた。
いろいろと試行錯誤している最中ではあるが、織田家内の垣根は少しずつなくなっていると思う。
慶次の婚礼も終わり九月に入ったこの日、庭で遊ぶ吉法師君を見ながら政秀さんが飛鳥井さんのことを教えてくれた。
「そうですか」
「うむ、驚いておられたようじゃの」
慶次とソフィアさんの領民へのお披露目と拝謁に戸惑っていたそうだ。陪臣の婚礼をあれだけ派手にやって拝謁までしたんだから当然だろうけど。
意図したことではないが、尾張は独自に試行錯誤をしていると理解してくれたら助かるんだけど。
無量寿院の件は話がまだ出ていないらしい。
こちらから話を切り出すのもあれだし、数日はお休みくださいということにしたらまだ向こうからも話をしてこないみたい。
「困りましたねぇ」
織田家中でも、それほど返してほしいならば返してしまえという意見もある。またこちらも近衛さんとか親交のある公家を呼べばどうだろうという話もあるが、これ以上無量寿院のことを政治問題化したくないんだよね。
文官や信康さんは、返してもどうせ数年も持たないんだから返してしまえばいいと言っていたけど。
織田家中でもあまり理解していない人が多いが、物価のコントロールは今のところウチでしか出来ないことだ。必要な物資の確保と値が乱高下しないように市場に供給する。口で説明するほど簡単じゃない。
「出来れば穏便に済ませたいんじゃがの」
一方で政秀さんのように、なんとか共存できる形での解決を模索する人もいる。
これ複雑化している原因の一つは、無量寿院自体が中伊勢にあって織田領の中にないことだ。
それとこれは無量寿院に限らないのだが、世の中としては無量寿院の言い分とやり方が普通であり当然だと見ることか。
守護使不入は寺社の権利であり当然だと考えるし、武家が寺社の領分を侵すのはけしからんと考える人が普通にいる。
世間的に現時点で正しいのはウチと織田家の新しい取り組みではなく、旧来の統治と慣例からくるやり方だ。大半の人は織田家がおかしなことを始めたと思っているし、無量寿院の考えもそうだと報告を受けている。
自力本願が当たり前の時代だ。武家が民を食わせるなんておかしいと声高に叫ぶ人すらいるだろう。命を大切にと言っても、人が死ぬのは定めだとか、天が決めることだと考える人もいる。
ただ、一方で織田のやり方が違法とも言えない。こちらはこちらで自力で領民を食わせているだけで、寺社が口を挟むことではない。
突き詰めると、豊かな武士は寺社に寄進して寺社も豊かにしろという上から目線の考えが無量寿院にはある。
確かに地域とインフラを支えていたのは寺社だが、同時に既得権と化して弱い者から搾り取る形で自分たちだけ贅沢な暮らしをしているのも事実なんだ。体裁を整えるという名目で。
努力もしないのに頭を下げろ、金を出せ。そういう本音がある。末寺に関しても無量寿院の末寺のままにして配慮して、面目が成り立つようにしろというのが彼らの言い分だ。
まあ、末寺の側は暮らしの格差で今までのやり方が通用しないのを理解していて、地域と末寺が安定するなら構わないという意見が大半だが。末寺のお坊さんからすると、仏に仕えて祈ることが役目であって無量寿院に仕えて祈るわけではない。
一揆が起きても飢えても助けてくれない本山に愛想を尽かしたとも言える。
「じい! じい!」
「若、いかがされましたか?」
困ったねと政秀さんと顔を見合わせていると、政秀さんは吉法師君に呼ばれて庭に行ってしまった。
信長さんも忙しいからね。政秀さんが吉法師君にとっていつも一緒にいてくれる人なんだ。なんか面白いものでも見つけたかな?
Side:足利義藤
将軍に戻ると息が苦しくなりそうだ。京極など捨ておければいいものを。
武家の棟梁だと? なにひとつ己の意思で決められぬ棟梁に、いったいいかなる意味があろうか。
晴元の小物とて始末出来ぬのが足利義藤の立場なのだ。捨てても惜しゅうなどない。
「尾張の武芸大会でございますか?」
「ああ、皆を連れていってはどうかと思うてな。あれは良いものぞ。己の武芸を世に知らしめる機会なのだ。己の所領と戦場しか知らぬ者に尾張を見せてやればいいのだ」
京極など断絶しようがいかようでも構わぬ。隠居をさせて都にでも送ってしまえば良かろう。余が観音寺城に戻ったのは、左京大夫が苦労をしておると聞いたからだ。
「されど、北近江三郡も未だ落ち着かず……」
「領地を空けて騒ぐような愚か者は討伐すればいい。尾張に出ておる隙に騒ぐならば、余が武衛と内匠頭に頼んで兵を出させる」
「上様……」
「そなたは分かっていよう? 管領と畿内が気になるのであろうが、捨て置け。六角とそなたは余にとって替えの利かぬ者なのだ。悪いようにはせぬ」
守るべきものが多いと苦労するのであろうな。先代の管領代のこともある。余は六角を新たな世に連れていかねばならぬ。
「畏まりました」
伊勢を旅して分かったことがある。織田がいかほど苦労を重ね国を良くしようとしておるかということを知りもせずに、羨み妬み不満を口にする愚か者がいかに多いかということをな。
無量寿院などそれそのものではないか。仏に仕え学問を修める者らが、織田がいかに考えておるかということを理解もせずに寺領を返せとそればかり言う。
あれでは駄目だ。一馬のところの孤児のほうが、よくものを見ておる。
「自らの目と耳で知ることは大切なことだ。織田とて苦労して国を治めておる。一馬もな、あれこれと悩んでおるわ。そうだ。そなたに話して聞かせようぞ。久遠の本領のことをな」
「はっ、ありがとうございまする。それは某も知りとうございました」
ようやく左京大夫の顔が綻んだか。先ほど母上にはお叱りを受けたがな。危ういことをしてと。されど母上もまた久遠の本領を知りたいようであった。
皆に見せてやりたいものだ。太平の世がまことにこの世にあることを。
「皆で宴でもするか。久遠の本領は軽々しく言えぬが、他にも土産話には事欠かぬぞ」
父上や管領代は、黄泉の国で今の余と左京大夫を見ておろうか? ふとそんなことが気になった。
お叱りを受けるかもしれんな。代々積み重ねた足利家を変えようとしておることに。
されど……。
子々孫々のために、このままではいかんのだ。
このままではな。
◆◆
天文二十二年、八月二十八日。
滝川慶次郎秀益とソフィアの婚礼が尾張で行われた。
『資清日記』によると、婚礼自体、久遠家本領で行なった婚礼の儀を意識したもので、当時の武家の婚礼としては異例のやり方だったことが分かっている。
久遠家本領において皆で祝ってもらったのだから、尾張でも皆で祝ってやらねばならないと考えたのだとある。
このため滝川家の婚礼というよりは尾張を挙げての婚礼というべき形となり、久遠家家臣一同ばかりか斯波岩竜丸や織田信長、織田家家臣も一緒になり、久遠家本領と尾張の血縁を喜んで祝ったとある。
この時、秀益とソフィアは馬車にてお披露目の練り歩きをしていて、源氏と平氏にあやかって紅白の餅を領民に配っている。これは当時流行っていた源平碁からひらめいたとも伝えられていて、現在の結婚式の練り歩きの元祖とも言われている。
ソフィア。
古来日本にあった酪とも言われ、欧州ではヨーグルトという名で知られるものである。
日本圏ではソフィアという名で知られ販売もされているが、名前の由来は慶次郎とソフィアの婚礼で出されたケーキである。
ソフィアの酸味とさわやかさをクリームにしたケーキだったようで、ソフィアケイキという名で現在も有名な品である。
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