第千百十五話・無量寿院

Side:無量寿院の僧


「あとは飛鳥井卿次第か」


 尭慧ぎょうえ様の実の兄になる御方。あの御方なら斯波と織田に譲歩を迫ることも出来よう。


 そもそも織田の治め方はおかしいのだ。守護使不入を認めぬなどあってはならぬこと。本證寺の愚か者と同じく信用されておらぬことも面白うない。


「仏道に口を出すとは。仏などと呼ばれて図に乗っておるのであろう」


 寺には寺の領分があるのだ。武士如きが口を挟むこと自体がおこがましい。


「そういう言い方は止めよ。我らは織田と争う気はない。今までと同じでよいのだ。誰がいずこを治めようと関わりのないこと」


 本證寺の末路を気にしてか、御寺には織田に怯える者も多い。北伊勢の国人も関も所領も失い、長野は北畠に降ることで生きながらえた。織田を怒らせると周囲に味方する者がもうおらぬのだと怯えておるのだ。


「こちらも強く出るところは出ねば話にもなるまい」


「武士に返せと言うて返すと思うか? 対価はいかがするのだ。さらに末寺に至ってはこちらに文のひとつも寄越さぬところが多いのだぞ」


 臆病者め。信仰を守るためには、血を流すことすらせねばならんときがある。対価だと? そのようなものは要らぬ。むしろ仏の名を騙り儲ける織田の銭は、本来は仏に仕える我らのもののはず。


「願証寺の下にされるのだけは認められぬ。それさえ避けられるのならば……」


「末寺も織田の下でよいと考えておる。いろいろと口うるさいが、飢えず争わずに仏に仕えることが出来るならば、それもまたいいという」


 嘆かわしいことだ。これだけ愚弄されておるというのに織田に降伏しても仕方ないという者が多いとは。


 一揆では織田に勝てぬのは理解する。されどな。このままでは織田は寺社の領分をさらに奪ってしまうのだぞ。


 信じてはならんのだ。あのような勝手ばかりする者らを。


 まあ、そうは言うても我らに出来ることはない。末寺に戻るようにと文は幾度も書いたが、戻ったところはないのだ。返事すら返さぬところもある。


 さらに戦をして勝てぬことが厄介なところだ。味方する者がおらぬのは確かにそうなのだからな。


 尾張に行き、刺し違えてでも我らの意思を示すべきか?


 されどわしが死してしまえば、この臆病者らが無量寿院を織田に差し出してしまいかねぬ。それだけはいかんとしても止めねばならぬのだ。


 一刻の勢いで増長する織田などすぐにつまずく。武士が滅びようとも仏の道を求める者は途絶えぬのだ。今は我慢するしかあるまい。


 口惜しいがな。




Side:飛鳥井雅教


 尾張は夜着も変わっておったわ。中になにやら柔らかきものが入った、畳ほどの大きさの四角い夜着の中で寝るとは。


 飯も美味い。都を離れると塩辛いだけの飯も多かったのじゃがの。


 ゆるりとしておりたいのじゃが、北伊勢のことをいかがするかと思うと頭が痛くなるわ。


 話が聞きたいの。出来ることならば尾張の寺社の者がよい。端から見ておるほうがよく見えておるのやもしれぬのだ。


 とはいえ、あまりいては付け入る隙を与えてしまう。これも頃合いを見計らわねばなるまいな。


 夕刻までは旅の疲れを癒すこととするか。




 宴の支度が整ったというのでそちらに移ると、案内されるままに上座に座った。


 深々と頭を下げた者らに面を上げるようにと告げて顔を見る。織田の一族と重臣であろうが、見覚えのある者はほぼおらぬか。


「これほどのもてなしで迎えてくれるとは……」


 昨年尾張に来た関白様が言うた通りか。鄙者と侮ると恥を掻くと言うておられた。


 もっとも、鰻のこともある。侮る気などないがの。久遠の知恵は下魚を上魚に変えたと、都では知らぬ者はおらぬ。


「そなたが久遠内匠助か」


 名も知らぬでは話も出来ぬと場におる皆の名を問うた。髷も結わぬこの男が久遠の一馬か。


「良しなにお願いいたします」


 口にはされぬが、主上は今もこの男と会うことを望んでおられる。内裏の修繕も大本はこの男が言い出したことだと噂じゃ。争いを望まず穏やかな男なれど、信義に厳しいとも聞くが。


 虎と呼ばれておった内匠頭を仏へと変えたのは、この男だと近衛公は言うておられたな。はてさて、いかがなものか。




 宴の始まりは静かなものであった。慣れておるようでもあるが、失態は許されぬと険しき顔をした者も多い。


 膳は尾張の力が分かるようじゃ。漆塗りの膳に白磁の皿と硝子の盃がある。


「これは……」


「椎茸の焼き物でございます」


 見知らぬ茸があり平手殿に問うたが、まさか椎茸とは。干す前の椎茸は初めて見たわ。他にも都では手に入らぬ海の魚や昆布など貴重なものが多い。


 武衛と内匠頭の意図はいずこにあろうか。これほどの宴で迎えられると無量寿院の末寺を返せとは言いにくい。それが狙いか?




Side:久遠一馬


 飛鳥井さん、大変な仕事で来たな。同席する織田家の皆さんもそう思っているだろう。


 人となりが分からないので皆さん大人しい。


 ただ、目的が無量寿院のことなのは全員が知っていることだ。言い方は悪いが、さっさと交渉して帰ってくれと思っている人もいるだろう。


 この人のせいで慶次の婚礼の宴に出られなかった人が、ここに集まっているんだよね。嫡男とか兄弟とか代理がウチの屋敷の婚礼の宴に参加しているはずだ。


 さっき信光さんにはそのまま愚痴られたくらいだ。


 無量寿院の件は信秀さんたちと話したけど、飛鳥井さんの顔を立てて返してもいいんだよね。織田が昨年の末から寺領に投入した資金を無量寿院が返すという条件でならね。


 石山本願寺は本證寺の一揆への謝罪として五千貫の銭を支払った。そこまで求めないけどさ。


 ただし寺と寺領を返しても昔のようには戻らないだろう。当然織田の賦役にも参加出来ないし、流通している品物の値段も変わる。敵対勢力とは言わないが、自分たちでやるならこちらの援助が一切ないとそれだけは釘を刺しておく必要がある。


 寺領の領民はどこまで残るのだろうか? 土地を持つ村の有力者は残るだろうな。小作人は相当な割合で逃げるだろう。


 無量寿院の面目が傷つくのであまり公にしていないが、末寺からは無量寿院がしつこいとか脅してくると報告が上がっている。どうすればいいかという相談する内容だ。


 中には仲介するので織田に降ってはどうかと好意で進言した末寺もあるらしいが、勝手なことをするなと上から目線でお叱りの手紙が来たというところもあった。


 基本的に無視するように指示を出していて、僧兵などが来て寺を占拠でもするならすぐに知らせるようにと命じている。さすがにそこまですることはまだないけど。


 無量寿院に戻せば、末寺のお坊さんすら寺を捨てるところが出てくるだろう。


 飛鳥井さんはつらい立場だ。無量寿院のトップが実の弟だからな。見捨てるわけにもいかない。


 とはいえここで飛鳥井さんの名前で返すと、確実に末寺と寺領の領民が反発する。恨まれて北伊勢の寺領と寺が維持出来なくなり荒れるだろう。


 無量寿院の交渉担当者にはそこらの説明をしているんだけどね。どうもあっちの上層部にはそれを理解していない人が一定数いるらしい。


 飛鳥井さんが仲裁した後で騒動となれば、朝廷では飛鳥井さんの面目に少なからず傷が付くだろう。ちゃんと話をまとめられずに織田と朝廷との関係まで悪化させたとね。


 それも理解してもらわないといけない。


 ほんと、引き受けちゃいけない話を引き受けちゃったね。公家も大変だなって思うよ。



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