第千百七話・終わりに向けて
Side:久遠一馬
秋の庭が綺麗だ。南蛮風の庭にはコスモスがちょうど見頃になる。
人払いをした庭では、義統さん、信秀さん、信長さん、オレとエルに、卜伝さんと義藤さんと与一郎さんがいる。
取り立てて事前に話す内容を詰めてはいない。とりあえずみんなで腹を割って話そうということにした。具体的な話はその後だ。
雰囲気は悪くない。与一郎さんが若干緊張しているかな。ただ、卜伝さんがいることでなんというかいい意味で安心感がある。
「実を言うと京極長門守のような者は多い。畿内では名門と言える者らが家督を争うて戦をしたことが幾度もある。安易に戦を出来ぬ治め方をせねばなるまいな」
最初は義藤さんが口を開いた。京極高吉のことは思うところがあるらしい。この時代では将軍が家督争いの仲裁をすることもある。
「この茶は初めてだな。なんと美味い茶だ」
喉を潤すように出してあるお茶に手を付けた義藤さんは、話を中断するほど驚きの顔をした。今日は煎茶を出したからだろう。まだお披露目はしていないが、織田家とウチが日常で飲むことはある。
「確かに。これは美味しゅうございますな」
「まだ外に出していない新しい茶になります」
同じく初めて飲む卜伝さんも驚いてくれた。卜伝さん、厳密に言えばこの場に呼ぶか迷った人になる。彼は武芸者ではあるが、日ノ本のこれからを話し合う席に同席するべき人なのか判断が付かなかった。
卜伝さんをこの場に呼んだのは義藤さんになる。いい師弟関係を築いているらしい。
「余は足利の天下を終わらせるつもりだ。足利では戦のない世は築けまい。多くの血を流し、恨みを残してしまった。今は良くても次の将軍次第ではまた荒れる。それでは駄目なのだ」
腹を割って話す。その先陣を切ったのは義藤さんだった。自ら心を開く。観音寺城で初めて会った頃を思い出すと大きく成長したなと思う。
生まれながらにして将軍となるべく育てられた人だ。それが相手に求めず、自ら心を開く。大きく変わったなと思う。もう半分くらい将軍ではなく武芸者として生きているような感じすらする。
ただ、それでもその言葉には驚かされる。察してはいたけどね。義藤さんは過去に学び、いろいろと教えも受けたのだろう。それでも将軍が足利家を終わらせると言えることは、ただただ凄いとしか言いようがない。
実際のところ義藤さんの言う通り、足利家だとどうしても過去から続く遺産と因縁が残ってしまう。難しいところだね。
高吉のような者は今後も増えるだろう。仮に義藤さんが太平の世を築いても、名門や足利一族は過去の地位や役目が与えられないと不満を抱き騒ぎだすだろう。
残念ながら、それは新時代の足枷になる。
義藤さんに答えるのはオレの役目だ。次の時代のビジョンを明確に見えているのはオレたちしかいない。
「私は武士や寺社が各々に領地を治める、今の体制は終わらせるべきだと考えています。また御成敗式目を基にした今の治め方も一新するべきでしょうね。頼朝公の残したものは偉大ですが、長い年月が過ぎて今の世に合っていません」
静かだ。義統さんたちはなにも言わない。身分という絶対的な階級があるこの時代では、義藤さんと自分たちが同じ人間だという意識はあまりないのだろう。
オレを信じてくれているとも言えるけど。口を挟むことで多くの血が流れることもあることを承知しているんだと思う。
「尾張でやっておることが道しるべか。されど難しいな。六角は味方するやもしれぬ。左京大夫は道理の分かる男だ。されど細川や三好、畠山など他はいかがするであろうか? 新たな世に光を見るより恐れを抱くはずだ。一馬、そなたは己で思う以上に恐ろしい男なのだ」
オレの言葉に義藤さんは驚かなかった。ある程度理解していたのだろう。それ故に懸念を口にした。
「上様、それ故に我らが立ち上がるべきかと思うております」
ここで初めて義統さんが口を開いた。
「斯波家では世を変えきれまい? 足利と同じと思うが。血縁ある者、足利所縁の者らが必ず騒ぐぞ」
「某は天下を望みませぬ。織田と内匠頭に託す所存。天下をまとめるには頼朝公や尊氏公のような天が選ぶ者でなくばなりませぬ。それは某でも一馬でもありませぬ」
義統さんと義藤さんが互いの顔をみて真剣に話している。考えてみると、このふたりが本音で直に話すのは初めてではないだろうか。
それだけ互いに背負うものがあり、身分や家柄が近いことが余計に腹を割って話すことを難しくしていた。
「ふふふ、面白きものだ。余がそなたを管領に任じて天下を治めるのだとあちこちで噂しておるというのに、余とそなたは終わらせる話をしておる。管領に聞かせたいものだ。いかなる顔をするのであろうな」
「某は内匠頭がおらねば、清洲にて傀儡として生涯を終えたのやもしれませぬ。お若い上様を責めるつもりは毛頭ありませぬが、先代の大御所様も管領殿も誰も助けてくれませなんだ。足利を支えるつもりはないとずっと思うておりました」
その言葉にはさすがに少し驚く。信長さんと与一郎さんも驚いた表情をした。受け取り方によっては大変な一言になるだろう。オレもそこまで言うとは思わなかった。
為政者の孤独。その一端が見えた気がした。真剣な義統さんに義藤さんは少し笑みを見せてすべてを受け止めた。
「であろうな。気にするな。管領とて足利を支える気などない。皆、己の立場や家のことを考えて動く。謀叛を起こされぬためには、謀叛を起こせぬ治め方をするべきではと一馬に言われたことがある。足利と斯波はここらで一歩引くべきであろう」
生まれながらの将軍でありながら、都落ちを経験して細川晴元のような男に振り回された苦労と孤独がオレにも僅かだが分かった気がする。
「内匠頭と一馬は、荒れる世を嘆いた仏がこの地に遣わした仏の使いだと言われておる。これを信じておる民が織田領以外にも多くてな。坊主の中には不敬極まりないと怒っておる者もいた。されど織田が立ち上がるのを待っておる者は、そなたらが思う以上に多いぞ」
義藤さんは続けて信秀さんと信長さんを見て語り出した。
その噂はオレも報告を受けて知っている。当然ながらオレが関与して広めさせた噂ではない。
正直、政治というのはそこまでいいこと尽くめじゃない。人気取りをしていればいいわけでもないし、期待値が高ければ高いほど後になって不満が出る可能性もある。
その噂はオレたちでも止められなかったというべきか。
「覚悟の上でございます」
信秀さんは言葉少なく、でも確かな覚悟を語った。
ふと信長さんが以前言った言葉を思い出した。尾張半国にも満たない奉行の家なので、その程度でも領地が残ればいいだろうと言う言葉だ。
信秀さんと信長さんの覚悟は、あの頃から変わっていないのかもしれない。
「決まりだな。余は自ら将軍を捨てた大うつけと言われるであろう。それでもよいのだ。今少し世の安寧が訪れるのならばな」
少し冷たい秋の風が吹いていた。
◆◆
清洲の会談。
天文二十二年、八月。十三代将軍足利義藤は、清洲城にて斯波義統、織田信秀、久遠一馬らと会談をした。
同席したのは塚原卜伝、細川藤孝、織田信長、久遠エルの名がある。
内容は『織田統一記』、『足利将軍録・義藤記』、『久遠家記』などにあり、荒れる世の中と先のことを話すための席だったようである。
『足利将軍録・義藤記』によると、義藤は旅をする以前から将軍職を退くことを考えていたが、旅をするようになり自身の成すべきことを考えるようになったとある。
一馬やエル、久遠ジュリアの影響を大きく受けたと思われ、いつからか足利将軍家を終わらせるべきではと考えていたようだ。
日ノ本の明日をどうするか、義藤自身は久遠諸島を見て一馬たちに託したいと考えた結果、この会談に繋がったのだとある。
場を設けたのは一馬で、この場にてそれぞれの立場と考えなどを語ったとある。
これ以降、義藤は斯波と織田と共に足利政権を終わらせるために動いたとされる。
時代の流れを見極め、先の世のために自ら権力を放棄する決断をした足利義藤は、現代においては歴代将軍の中でも随一の名君として評価されている。
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