第千百五話・京極さん要らない子だった
Side:久遠一馬
収穫の秋だ。早植えの田んぼから稲を干す姿があちこちで見られるようになった。
農業試験村や太田さんの領地などは二毛作なので、収穫まではもう少しというところだ。収穫の時期になったら子供たちを連れて稲刈りに行くのが今から楽しみでもある。
懸念だった関ヶ原以西の治安も徐々に回復していて、ようやく一息つくかというところだ。このまま治安悪化して六角と関係悪化なんて困るしね。
ただ、いいことばかりではない。東三河が不穏だ。複数の国人が織田に臣従を真剣に考えていて、血縁や誼があるところに接触している。松平家でも長沢松平や五井松平などが動いているらしく、三河西郷家なんかも今川に見切りを付けつつある。
今川と周りの国人の動きを見つつタイミングを見計らっている感じか。先に動いて今川を怒らせても怖いし、出遅れて織田を怒らせるのも怖い。そんなところだろう。
懸念は鵜殿家か。本家である鵜殿長持は今川義元の妹婿で今川一族のため鞍替えのつもりがないらしい。というか立場的に義元の妹を離縁して織田に鞍替えはかなり厳しい。恨まれるだけでは済まないだろう。
問題なのは、それに不満を持った分家筋が本家の追放を画策していると知らせが届いたことだ。
余計なことはしなくていいんだけどなぁ。とはいえ彼らからすると、御家存続のためにはより強いところに臣従するのは当然のことなんだよね。
オレたちとしては、この段階で口を挟むのは難しい。他家のことであり、後になって謀ったとか言われても困るし。
那古野に関しては学校の文化祭の準備で賑やかだ。関係者とか地域の皆さんの意見をまとめる形で、領民も参加する方向で動いている。
もともと学校や病院は地元の領民も来ているので、大掃除やなんかには参加してくれていたということもある。
領民の感覚としては城や寺社に近いのかもしれない。自分たちの学校や病院だからと協力的だ。那古野はすっかり職人の町になっているので、職人主導のところもあるが。
「やれやれだな」
そうしている間に菊丸さんが屋敷に姿を見せた。修行の旅に出ていたが京極の件で戻ってきたらしい。念のため近隣にいたというのが実情のようだ。六角が困ったらすぐに戻るつもりだったみたいだね。
「左京大夫殿からは一切お任せすると書状が届いております」
「管領と別れる前に幾度も顔を合わせたことのある男だ。管領ほど愚かでもないが、陰湿な男でな。家督を争うた兄や浅井、六角を罵っておったと聞いておる」
あまりご機嫌は良くないみたいだね。京極高吉、義藤さんは個人的に性に合わない人のようだ。
「左京大夫は捕らえなかったのか?」
「はい、あえて逃がしたようでございます」
四職の家柄だからなぁ。しかも同じ佐々木源氏でもある。無視したのはなかなか上手い手だと思った。義藤さんは始末してよかったと言いたげだけど。
三木家からは、事細かく情報が届く。京極高吉が話した内容だ。それをそのまま義藤さんに見せるが、無言で読んで考え込んでいる。
「腹を切れというのはやり過ぎか?」
少し迷ったようだ。義藤さんは与一郎さんに問いかけた。義藤さん自身は切腹でもいいという感じか。手元に欲しい人材ではないらしい。
正直、今の義藤さんが動く案件ではないが、放置すると三木家が困るし頼られたオレたちが困るからなぁ。なんとかしてほしいと助けを求められると、こちらも動かざるを得ない。
「はっ。管領殿と違い、上様に謀叛の意思もない男。京極家という家柄を考慮すると、責めを負わせて隠居でございましょうか。すでに領地もない身でございますれば」
「観音寺城に来るようにと書状を書くか。来ぬ場合は捕らえよと命じる」
義藤さんは少し悩んで決断した。それが無難といえば無難か。領地もなく隠居して出家すれば問題ないだろう。北近江、飛騨はすでに京極家に付け入る隙はない。飛騨と同じくかつての領国だった出雲も今では尼子が治めているからな。返り咲くのは無理だろう。
史実だと京極家は織田信長が召し抱えたんだよね。その後は秀吉、家康と時代を乗り越えて一応乱世を生き残り、明治維新後は華族になった。
吉良家の前例もある。織田に従って生きるなら拒絶などしないが、義藤さんの話し方だと要らないんだよね。少なくともこちらから声を掛ける必要はない。
その後、観音寺城から届いていた書状などに目を通して政務を行うと夕方になっていた。
「おお、大きゅうなったな」
「あーい」
仕事が終わり、大武丸と希美と会った義藤さんは菊丸の顔に戻った。
よくウチの屋敷に来ては顔を見せるから、大武丸と希美も菊丸さんと与一郎さんを覚えている。ふたりは嬉しそうにハイハイで歩み寄った。
「子というものはよいな。特に尾張の子はよい。皆、よく働きよく学ぶ」
将軍さまだ。子供を抱きかかえたこともなかったが、奇しくも菊丸としてウチに来ることで赤子を抱きかかえる経験をした。
大武丸と希美を交互に抱きかかえては嬉しそうにしてくれると、本当にありがたいなと思う。
「尾張、美濃、三河、伊勢、近江。あと伊賀と飛騨もあるか」
ロボ一家と遊ぶふたりを微笑ましげに見ている菊丸さんは、ふと近隣の国の名を告げた。
「一馬、まだ時は掛かりそうか?」
その言葉に与一郎さんの顔に緊張が走る。周囲には侍女もいるので言葉を選んだのだろう。菊丸さんは菊丸さんなりにこの乱世と真剣に向き合っている。
「そろそろ、きちんと話したほうがいいのかもしれませんね。守護様と大殿とも話していました。近々、場を設けます」
前に信秀さんが言ったことで義統さんとも話した。そろそろ腹を割って話すべきだというのがこちらの意見だ。
日ノ本という国をどうするのか。また久遠家の立場や海外領地をどう扱うのか。義藤さんともきちんと話す必要がある。
ジュリアは大丈夫だろうと言っていた。義藤さんとの意見の相違は話し合いで解決出来ると。
「ああ、それはよいな」
菊丸さんは嬉しそうに笑った。話してくれるのを待っていたのかもしれない。せっかちな人だとは思えないほど、なにも言わず待ってくれていたのは理解している。
京極高吉の件は、結果的にはちょうどよかったのではと個人的に思う。
足利義藤という存在は天下に必要だ。彼の存在が多くの犠牲を減らした統一へと導けるのかもしれない。京極高吉の動きと扱いはそれを示してくれた。
「新たな世を感じはじめた者はそれなりにおる。すでにこの流れは誰にも止められまい。それが人の願いだからな」
キョトンとした大武丸が菊丸さんの前で座ると、菊丸さんは頭を撫でつつそう語った。
「菊丸殿……」
「苦労する父上を見ておったからな。分かるところもある。オレは父上を超えたかと言われると、いかんとも言えぬ。仮にオレが父上を超えて乱世を治めたとして、それは悠久の時の中の一刻でしかない。今必要なのは乱世を統一する力ではなく、乱世を起こさせぬ体制なのだ」
武芸者として旅をした答えの一端が出たのかもしれない。菊丸さんの言葉にそう感じた。
先代の将軍、足利義晴公も愚かな将軍だったとは言えない。誰がやってもあの段階で戦乱を治めるのは難しかっただろう。都落ちした現在の細川京兆家でさえも、未だに絶大な影響力があるんだ。
三好を従えていた晴元の力は相当なものだったろう。
時代を変える。言葉や歴史で見る資料ほど簡単じゃないと感じる。
ただ、これでまた一歩進めるのかもしれない。それだけは確かだろう。
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