第千九十五話・北近江の終わり
Side:北近江の国人の家臣
明日で十日か。六角の猛攻により城内には負傷者が
「何故じゃ……。何故、織田は来ぬのじゃ」
当初こそ織田が来れば我らの勝ちだと皆を鼓舞していた殿も、日を追うごとに焦りと怒りを見せるようになり、ここ数日は怯えるようになってしまわれた。
この城は美濃からも近い。織田の兵が来れば真っ先に助けが来ると安易に考えておられたのだろう。
夜が明けた。今日もまた六角方の猛攻があると皆が気落ちする中、同じく挙兵した近隣の国人の家臣が使者として現れた。
「降伏をお勧めいたします。我が殿の城を含めて他はほぼ落ちております。織田は来ませぬ。また来ても間に合いませぬ」
「なにを言う! あと少しだ! 必ずや!!」
「来ませぬ。織田は六角と組む道を選んだようでございます」
使者殿も寝ておらぬのであろう。目の下にクマが出来ておる。殿は謀など信じぬと取り乱すように叫ぶが、苦悩を見せる使者殿の様子から真実だと分かってしまう。
「条件は?」
殿は最後まで戦いたいようだが、家老が使者殿に静かに問うた。
「城内すべての者の命は助命するとのこと。されど城と領地は没収でございます」
主立った者が皆で顔を見合わせた。
頃合いであろうな。京極様が若狭より来られた時には期待したが、いずこにおるのか助けを寄越さぬ。殿ひとりに罪を背負わせて我らが助かるのは申し訳が立たぬが……。
「我が殿の助命もすると受け取ってよいか?」
「はっ、籠城中に謀叛を起こされて討たれた者はおりますが、六角家の御屋形様は命までは取らぬと」
城と所領は没収か。代々守り生きてきた土地なのだがな。
泣いておる者もおる。されど、ここで拒絶したところで所領を安堵されることはあるまい。織田に負け、六角にも負けた愚か者。それが我らなのだ。
「殿、降伏を致しましょう」
先代から仕える家老がそう口にすると誰もが口を閉ざした。
「されど……」
「我ら家臣一同、いずこなりともお供いたします」
殿は今にも消えそうな声で降伏すると申された。
我らの戦は終わった。
Side:六角義賢
半月か。あっけなかった。織田が来ると勝手に思い込み挙兵した故、織田が来ぬと知るとあっけないほどあっさりと士気は落ち、逃げだす者や城主の首を以って降伏する者が次々と現れた。
謀叛人どもとはいえ、いささか憐れに思えた。陣中の皆も、最初こそ長年続いた北近江との争いから士気は高いが、敵方の現状に情けをかける者が増えた。
「織田に始まり織田に終わった戦だな」
今も武功を求める家臣らの士気の高さも相まって、戦は文句なしの勝ちだと言うても良かろう。
せめて浅井の隠居が動けば違ったのであろうがな。望まぬなら来ずともよいと言うと、隠居は観音寺城下に残った。武功を狙うこともなく、此度も謀叛に加担する気配すらなかった。家の存続を第一にと考えてのことであろう。
日和見しておる者らは、わしが北近江に入ると慌てて参陣して参ったが、すべて認めなかった。織田が来れば、織田に味方する気だったのであろうと言うと顔を青くしておったな。
謀叛人と同罪だと言うとさすがに弁明しておったが、納得がいかぬなら戻りて戦の支度をしろと言うと大人しゅうなった。
織田に倣い、領地を召し上げて俸禄にしてやるわ。所領を当然だと思うておる者らに示さねばならん。六角でも所領を与えぬことがあるのだとな。
謀叛人どもは一族郎党追放とすると命じた。いずこなりとも出てゆけばよい。せめてもの武士の情けだ。己の城にあるものは持ち出してもよいとしたがな。
「されど、随分と荒らしたものだな」
「戦とはそういうものでございます。今の我らが織田の真似をするは難しゅうございます」
重臣以下、皆は完勝を喜んでおるが、わしはいかんとも言えぬところがある。蒲生下野守はわしの言いたいことを分かっておるようであるが。
辺りを見回ると、思うておった以上に田んぼが荒らされておる。もうすぐ収穫であったのだがな。無論、我が六角の兵たちも刈田をした。それを禁じることは出来なんだ。
そもそも蒲生家とて客将であって、厳密に言えば家臣ではない。下野守はそのような態度をせぬが配慮はいる。
常道で言えば、この後北近江三郡の者らが飢えようがわしには関わりのないことだ。されどここは直轄地として治めねばならん。いかにすればよいのやら。
Side:浅井久政
北近江三郡の謀叛が鎮圧されたと知らせが届いて、観音寺城では戦勝の祝いだと騒いでおる。
「なにも起きませんでしたな」
家臣のひとりが思わずもらした一言が、わしの置かれておる立場なのであろうな。六角の勝ちを素直に喜べぬことが家臣らの本音。
一時は北近江三郡をまとめる立場にまでなったが、今は六角の情けで生かされておる愚かな隠居だからな。
「京極も終わりだな」
公方様が仲裁をなさるかとも思うたが、まったく動かれぬとは。管領嫌いという噂は相当なものらしいな。管領に従うた京極を見捨てるとは。
六角が軟禁しておるとの噂もあるが、城の様子ではそのようなことは一切なく、むしろ六角が病の公方様を気遣っておるくらいだ。
年始の際には公方様もお体の調子が良かったのか姿を見せられたが、御屋形様と楽しげに話しておられたとの噂だ。
「公方様は斯波と織田がお好きだとか。事実上の同盟でありましょう。当然の結果ですな」
また幸次郎が出所のわからぬ噂を口にしたな。確かに噂はあるのだ。公方様は斯波武衛様を管領として、織田の兵で都に戻りたいのだとな。
美濃守護を与えたりと確かに公方様は尾張贔屓なのは間違いあるまい。すでに美濃守護家である土岐家は見捨てられたほど。
「出家でもするか」
北近江が六角の手を離れることは当分の間はあるまい。浅井独立の夢も此度でまことに潰えた。
北近江がいかになってゆくのか、死した者たちを供養しながら世俗を離れて見物するのも悪くはあるまい。
世は変わりつつある。少なくとも東は変わったのだ。仕方ないことよ。
◆◆◆
北近江三郡、京極の乱。
天文二十二年七月、北近江三郡守護であった京極家と南近江の守護である六角家との間で起こった戦になる。
鎌倉時代以来、北近江三郡を治めていた京極家にとっては北近江での最後の戦いである。
この戦の背景には足利政権内の権力争いがあり、将軍足利義藤と管領細川晴元の対立が原因とされる。
大御所でもあった先代足利義晴の死後、義藤と晴元の関係は悪化の一途を辿っていて、義藤は三好家、六角家、斯波家、織田家と誼を深めていて、細川晴元ばかりか細川家そのものを無視するようになっていた。
時を同じく三好の丹波攻めが行われていた時期であり、北近江三郡の争いも晴元による対三好の謀略であったとされる。
晴元はこれに尾張美濃を領有していた斯波と織田を巻き込むことで、当時足利政権を運営していた三好と六角を潰そうと画策したとおもわれるが、斯波と織田は晴元を相手にせず六角に支援を申し出たと『織田統一記』にある。
また、浅井久政の失脚によりすでに北近江三郡はまとめる者がおらず、京極高吉が晴元の
すでに北近江三郡は義藤により六角義賢が守護に任じられていたことも相まって、日和見をしていた者が多数だった。
最終的にこの一件は六角家内部の謀叛として扱われ、謀叛を起こした家や日和見をした家が当時としては異例の厳しい処分を受け、六角家の北近江支配が強まる結果となった。
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