第千九十四話・夏の終わりに

Side:久遠一馬


 佐治さんの子供の百日祝いがあり、ウチからは親子の絵画を贈った。


 佐治さんと奥方のお縁さん、喜んでくれたな。家宝にするとまで言ってくれた。


 今後は、写実的な絵を描かせることが流行るかもしれない。まあそれはそれで難しいんだけどね。絵師も育てないと駄目だし。


 尾張は夏もそろそろ終わりだ。先日にはみんなで最後の海水浴に行った。今回は初めて吉法師君も連れていったが、楽しんでくれたようで翌日にはまた行きたいと言っていたらしい。


 織田家としては、いろいろと忙しい日々は変わらない。特に伊勢は、昨年の一揆の後始末として農民から召し上げた田畑をどうするかで議論が難航している。


 寺社の証言で元の持ち主が判明する田畑もそれなりにある。ただ一揆により持ち主がいなくなった田畑もまた多い。


 今年は織田家で管理する集団農業のような形になった。農民には出来高制の報酬を採用して、農民のやる気を維持するようにしたが。


 総論で言えば、それなりに上手くいった。今までやったことのない体制だった割には。


 無論、働かない人がいたりもした。元の身分で村の有力者だった者なんかは、小作人の真似が出来るかと反発した人もいたらしい。他には立場の低い者にあとはやっておけと勝手に命じて楽をする者など、まあいろいろな問題はあった。


 それと、どうしても元からある田畑の良し悪しが収穫に影響する。地形や水利がいい田んぼと、そうでない田んぼではどうしても前者が有利だった。


 当初から再分配する予定だったため、それも噂になっていた。元の身分や立場で優遇されると思っている人や、それを主張する人。また出所不明の書状で田んぼを返せと騒ぐ人など、まあいろんな人がいる。


「このまま現状維持で、区画整理までしてしまいましょうか」


 この件は農政奉行の勝家さんの案件だが、少し難解なのでウチも関与している。北伊勢の収穫を織田家でどう使い、また領民に報酬をどう払うか考える必要があるからだ。


「出来ましょうか?」


「大丈夫だと思いますよ。大変でしょうけど、長い目で見るとそのほうがいいかなぁ」


 勝家さんは少し不安げだ。管理が出来ていないという末端からの報告が多数上がっているからだろう。


 人手が足りなくて尾張や美濃の武士の次男三男ばかりか、その家臣まで文官として送っていた。正直、武芸や農作業が出来ても文官としての仕事の経験がない人が多いからね。滅茶苦茶にならなかっただけいい感じだ。


 中にはぶらぶらと各地を歩いているだけの人もいるし、賄賂を貰って適当な報告をしている人もいた。


 ただこの仕事、武闘派の人が活躍している。体育会系のように、命令には従えと厳しく叱責して強制しているようだが、領民も結構ズルいからね。そのくらいのほうが言うことを聞くと報告があった。


 伊勢の領民にとって織田は他所の国の武士だからね。反発もないわけではない。なので途中からは武闘派に頼んでそっちの人員を多めに回してもらっている。


 武闘派の皆さん、仕事が出来たと喜んでいる。武官とか警備兵の仕事もあるけどね。立身出世するには働くしかない。文治政治になりつつあるので、自分たちの仕事が増えて喜んでいるようなんだ。


 一揆の時には助けてほしいとすがってきた伊勢の領民も、落ち着けば不満や勝手な要望を言う人が増えている。どうも尾張を伊勢よりも田舎だと軽くばかにしていた風潮もあったらしいしね。


 ある程度舐められないように管理するには武闘派に頑張ってもらう必要がある。


 数年も過ぎると意識も多少は変わるだろう。それまでに冬場に区画整理をしていくしかない。




Side:滝川資清


 夜は冷えるようになったな。もう夏も終わりか。


「さっ、一献」


 わしは出雲守殿とふたりで酒を酌み交わす。澄み酒を少し温めたものが美味い頃になった。


 贅沢などする気はないが、酒は殿から頂くのでいいものが飲めるようになったな。


「慶次郎の婚礼は御家の屋敷が出来てからか?」


「うむ、そう考えておる。本領から嫁いできたのだ。盛大にやってやらねばならぬからな」


 本領から戻った出雲守殿は少し変わられた。


 殿への忠義が揺らいだわけではない。ただ以前は知ることの出来なかった本領を知ったことで、我らもまた本領を含めた御家の多くの民らを守り食わせていかねばならんと思うようになられたようだ。


 同じく本領に行った彦右衛門や太郎左衛門殿らもまた、己の役目の重さを感じたようで以前にも増して役目に励んでおる。


「それがよい。本領では皆で祝ってふたりを送り出したのだ。日ノ本の婚礼とはいささか違うことになるが、こちらも皆で祝って迎えてやらねばならぬ」


 あの慶次郎が本領から南蛮の奥方を迎えるとはな。婚礼について出雲守殿と相談しておると、昔を思い出してしまう。


 甲賀の山を駆け回り、喧嘩をしてはよう皆を困らせておった。


 彦右衛門が領地を出たことで、甲賀の領地を慶次郎に継がせることも考えたことがある。


 誰が継いでも、それなりに生きられたであろう。されど、あやつが所領を持ちいかに生きるか。見てみたかったところがある。


 領地を捨てる時も慶次郎に問うたのだ。いかに思うとな。一族連れて尾張に来られたのは、その時のあ奴の頼もしさも大きかった。


「そう案じるな。慶次郎ならばうまくやる。本領と我らを繋いで久遠家をひとつとしてくれよう」


 ふふふ、案じてしまったのが顔に出ておったらしいな。慶次郎はいつもわしの思いもよらぬことをする。それ故に案じてしまうのだ。


「海の向こうを治め、いずれは日ノ本とひとつにするか。殿には遥か先の日ノ本が見えておるようだ」


 本領より戻られた殿にわしも教えられた。殿が日ノ本を統一して、いずれは日ノ本そのものを広げるおつもりなのだと。


 領地を広げる。当然のことといえばそうだろう。だが、日ノ本を広げようなどと本気で考えておられるのは殿くらいであろう。


「殿は明や南蛮がいずれ敵になるとお考えのようだ。しかも我らや殿が生きておらぬような先にな。あり得ぬと一笑に付すことも出来ぬ。先例があるからな」


 出雲守殿の言葉に少し殿がお可哀想になる。戦を望まず、平穏で穏やかな暮らしを誰よりも望まれておる殿だ。それが戦乱に身を投じることになるとはな。


 誰もが考えつかぬことではない。結局、人と戦は切っても切れぬだけなのかもしれぬ。


「我らは我らの出来ることをするのみ」


「そうだな」


 すっかり冷えてしまった酒をふたりで飲むと、冷たい夜風が障子を開けておるところから吹き込んだ。


 出来ぬことをする必要はない。出来ることを懸命にするだけだ。多くの者が力を合わせて明日を迎えるために。


 わしは久遠家の捨て駒となり、名もなき礎となろうぞ。




◆◆◆


『資清日記』


 滝川資清が久遠家に仕官以降に書き始めた日記となる。


 もとは資清自身が新しい環境で、久遠家の掟ややり方を忘れぬようにと書き留めることを目的としており、初期にはそのような内容が多い。


 『わしは久遠家の名もなき礎とならん』これは天文二十二年夏に、望月出雲守と酒を飲んだ時に決意したと書かれている一言になる。


 滝川秀益と妻ソフィアとの婚礼などあり、本領との立場や役割などについて望月出雲守とたびたび相談していた頃の言葉である。


 資清自身は己が礎となり、久遠家が百年先も続くようにひとつにしようと決意したようだが、後世において自身が名を残す立場となるとは思ってもいなかったようである。


 なお『資清日記』に関しては今も滝川家の意思により、久遠家のプライベートな内容を中心に公開されてないところもあり、それを見たいという歴史学者やファンは多い。


 だが、滝川資清公は決してすべての公開を望まぬという、滝川家の強い意思と現代も続く忠義を支持する歴史ファンもまた多い。



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