第千九十三話・翻弄される人々

Side:北近江の国人


 物見櫓から見える限り敵方で埋まっておるか。


「包囲されたな」


 六角は短い間に一万五千から二万の兵を動員したとか。兵の数を大きく見せるは古来よりあることだ。さすがにあり得ぬと一笑に付したが、この光景を見るとあながち偽りとは言い切れぬのかもしれぬ。


 周囲への備えはいかがしたのだ? 織田とは北伊勢で対峙していて、三好への備えも残さねばならぬはず。


 なりふり構わず兵を集めたのか? ならば長対陣は出来まい。


 そもそも二万もの兵を動員したとするならば、六角が織田との戦を考えておるためと考えられる。我らはせいぜい三千かそこら。しかも各々の城で籠城しておること兵力が分散されておるのだ。二万もの兵は不要であろう。


 こちらには領内の村から逃げてきた者も城にはおるが、戦える者は多くはないのだ。我らと戦うだけにしては兵の数が明らかに多すぎる。


 懸念は織田に出した使者は戻らぬことだ。途中でなにかあったか? 管領様からはすべて任せよと仰せの書状が届いておる。そろそろ動きがあってもいい頃だと思うのだが。


「殿! 六角の使者が!!」


 夜が明けて城攻めが始まるかと支度をしておると、六角から使者が来た。


「降伏をお勧めいたします。斯波と織田は我らのお味方でございますぞ。ご存知でございましょう? 先年の大内様の法要に左京大夫様が参られたこと。あれ以来、誼は通じております。さらに公方様も管領殿の所業にはお怒りでございますれば」


 いかな言い訳をするのかと思えば。やはり二万というのは流言か。早々に降伏を促すということは六角方も厳しいと思うておる証よ。織田が動かぬならば、さっさと城攻めをすればいいだけのこと。


「たわけたことを。北伊勢で織田にいいようにやられたのを知らぬと思うてか?」


「あれは御屋形様が求めたことでございます。ひと槍も交えず敗れるなどあり得ぬこととお分かりにならぬのか?」


 方便も並べれば正しく聞こえるか。家臣らの顔色が悪うなったわ。おのれ、六角め。このような卑劣な謀をしてくるとは。


「お帰りいただこう。我らは管領様と京極家のため、信じるわけにはいかぬ」


 斬り捨ててしまおうかと思うたが、織田が来るまで刻を稼がねばならん。


「殿……、まことによろしいのでございますか?」


「まともな将がおれば北近江は負けぬ。先々代の浅井様の頃を忘れたか。さらに北近江三郡は要所だ。織田は必ず動く。戦の前から降伏を促すなど焦っておる証よ」


 動揺する家臣らを説き伏せて士気を高める。


 もしや我らの味方として兵を出すのではなく、斯波の名で仲介に動くのやもしれぬな。六角と京極家の面目を立てつつ仲介して、北近江三郡を事実上織田の下に置くこともあり得る。


 そのほうが斯波と織田にとっては利があるか。いずれにしても籠城をしておるしかわしには出来ぬがな。




Side:とある流民


 村は燃やされ、田んぼは実りを目前に刈り尽された。最初は六角様に謀叛を起こした近隣の奴らが攻めてきて、間を置かずに六角様の兵にも奪われた。


 本家の奴らは領主様の城に逃げた。戦が終われば田畑を耕せるからな。だがおらたちは美濃に逃げている。村の和尚様が美濃に逃げろと言ったんだ。美濃なら食えるかもしれぬと旅の商人が言うていたそうだ。


 六角様と京極様のいずれが勝とうが、この地は荒れる。その前におらたちは冬を越す食べ物がなくて死ぬからな。


 街道は同じことを考えた奴らばかりだった。道中で関税を払えと槍を向けてきた武士やお坊様もいたが、同じような流民の奴らと一緒に追っ払った。もう失うものはおらたちの身ひとつなんだ。怖いものなんかねえ。


 街道は山越えとなり美濃を目指す。ほんとうに美濃で食えるのか誰も知らねえ。


「少し休むか」


 道中で武士やお坊様を追っ払った男が、いつの間にか仕切っている。名を聞いてねえが、生まれは武士だと思う。その男が増え続ける者たちを見て歩みと止めた。


 同行している者には女子供に年寄りまでいるからな。限界といえば限界だ。


 皆、素直に従う。特に理由はねえが、いつ誰に襲われてもおかしくねえんだ。身を守るにはこの男に従うのが一番だと分かっているからだろう。


「お武家様も美濃に?」


「武家ではない。土豪だ。もっとも所領を捨ててきたので今は牢人だがな。周りの領地が謀叛を起こして巻き込まれたのだ。隙を突かれて城を奪われた」


 ひとりの男が仕切っている武士に声をかけると、少し疲れた顔をしつつ仔細を話してくれた。


 戦にて武功を挙げれば取り戻せるかもしれないが、京極様に勝ち目は薄いと考え尾張に向かっているそうだ。


「織田様が兵を挙げて来るのではないのですか?」


「そのような話はないのだ。勝手に待っておるだけだ」


 まさかの話に周りが騒然とする。織田様が来るからと皆騒いでおるというのに。勝手に待っておるだけだとは。


「わしは来ぬと思う。噂にあるように、六角が公方様を蔑ろにしておるという確証はない。そもそも公方様は自ら観音寺城に入られたのだ。管領様を朽木に留め置かれてな。どちらに非があるか明確だ」


 残った者たちを案じる者もいるが、今更、いかんともしようがない。しばし休むと美濃に向かって進む。



「その方らは何者だ!」


 そろそろ美濃に入ったかというところで、織田方の兵と思わしき男たちに見つかった。明らかに厄介者だと言いたげでこちらに槍を向けてくる。


「そなたら、止めよ! わしは近江国は坂田郡石田郷の石田藤左衛門正継。ここにおる者らはわしを含めて皆が、生まれ故郷を追われた者らでございます」


 血の気の多い者らがまた追い払おうとしたが仕切っていた男が止めて、織田方の兵におらたちのことを訴えてくださった。


「またか。よいか。この先、争いごとを起こすな。あと盗みもするなよ。そなたたちには関ヶ原に行ってもらう。苦しかろうが飢えるよりはいいはずだ」


 織田方の兵は迷惑だと言いたげな顔でそう言うたが、おらたちは美濃に入ることを許された。




 その後、石田様とは関ヶ原の関所で別れた。達者で暮らせ。最後にそう言うてくれたことが思い出される。


 関ヶ原で聞いたことは流民が多くて困っておるとのこと。素直に降ればいいのに不要に暴れて罪人として捕らえられた者が多いとのことだった。


 おらたちも石田様がおらなんだら同じだったかもしれない。そう思うと感謝しかねえ。


 それと織田様はやはり京極様に兵を出してはおらなんだ。


 もしかするとおらたちも兵として戦えと命じられるかと思っていたが、そんなこともなく美濃の賦役で働くように命じられた。戦に関わりのない川の堤防を作る賦役だという。


 北近江ではあちこちで刈田が行われていたが、美濃はそんなこともなく重そうな稲穂がたわわに実っている。


 美濃の冬の賦役は厳しいぞと賦役の場で言われたが、それでも飯が食えるならありがたいことだ。


 故郷の村や領主様は、今頃、いかにしておるのだろうかと西の空を見上げて思う。


 気が付けば夏も残り僅かだった。



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