第千九十二話・晩夏の都

Side:山科言継


 尾張より折々の挨拶が届いた。


 これが参ると夏も残り僅かじゃと感じるようになったの。朝廷ではおそれ多くも主上から地下人に至るまで、皆がこれを心待ちとするは致し方なしとしておる。


 己の都合が良き時だけ主上を崇め奉る者らと違い、斯波と織田は変わらず献上をして参る。一切の私心がないとは言わぬがの。されど、この荒れた世でこれほどの尊皇の志を示し参らせる者らは他にはおらぬ。


 尾張はまた変わったのであろうか? 都はあまり変わっておらぬ。三好も励んでおるが、ようやく内裏の修繕が始まったところ。


 近頃ではそれが面白くないのか、それとも三好の丹波攻めに対する策かは知らぬが、管領がまた謀を巡らしておる。


 都へ戻りたいのであろう。旧知の公家がそのような文をもろうたと言うておった。されど、心情を察する者はおっても、表立って管領のために動く者は今のところおらぬ。


 あの者を戻すよりも武衛を管領に出来ぬかと噂する者が多いくらいじゃからの。管領にはそれとなく隠居する気があるのかと旧知の公家が文を送ったらしいが、その気はないらしいこともある。


 ああ、織田といえば伊勢の無量寿院から飛鳥井家に助けを請う使者が来た。飛鳥井家は無量寿院の住持・尭慧殿の実家じゃからの。末寺がごっそりと鞍替えしてしまい困っておるそうじゃ。なんとか体裁を保って和睦をしたいと泣きつかれて伊勢に下向していったわ。


 本願寺と願証寺が信じられぬほど織田に気を使つこうておるというのに、今更騒ぐとは。噂を聞いた本願寺はさぞ気分が良かろう。


「これは……」


 尾張より届いた品の目録を見ておると面白きものがあった。


 南蛮船の絵じゃ。主上がご照覧しょうらんを望み、意をこぼされたことが伝わったのであろうか?


「見事だ……」


 主上にお見せする前に確かめるが、関白殿下が思わず唸ったほどの絵じゃ。これは主上もお喜びになろう。


「これほどの絵を献上するとは。更なる官位でも欲しておるのか?」


「いや、織田と久遠には官位を取り計らった。それの返礼ではあるまいか?」


 絵師の方、メルティ殿の直筆の絵か。公卿衆は絵を献上した真意を考えておるが、官位を求めたわけではあるまい。


 強いて理由があるとすると、主上御製ぎょせい御歌みうたへの返礼ではなかろうか。内匠助殿もメルティ殿もあまり名を売る気も官位を欲する気もない。今まで献上されなかったのも畏れ多いと考えてのことであろう。


 主上もさぞお喜びになられよう。以前、献上された硝子の中に小さき南蛮船が入った品は、今もよく眺めておられるくらいじゃ。


 官位を求めるでもない者が、こうして絵を献上して参る。主上はそのような世が訪れることを願い祈っておられるからの。




Side:久遠一馬


 北近江三郡が揺れている。二万という大軍に謀叛を起こした者たちが動揺していると知らせが届いた。


 北近江勢の大将は京極高吉。以前、近江から追放された京極高延の弟が来ているようだ。高吉は義藤さんに仕えていたが、義藤さんがオレたちと会うために観音寺城に移動した際に朽木に置いていかれた人物になる。


 もっともこちらの調べでは、北近江三郡の国人衆ですらまとめることが出来ていないが。


 管領細川晴元の名で出された書状があり、高吉も京極の名で織田や朝倉ばかりか、道三さんのところにまで援軍要請をしているが動いたところはない。


 国人衆たちは退くに退けないのか、それとも援軍が来るという確信か期待があるのか、それぞれの城で籠城をしているらしい。


 これせめて兵と将をどこかに集めて籠城しないと、各個撃破されて終わる気がするんだが……。


 関ヶ原には早くも流民が集まっていて、彼らの対処に忙しいと報告がある。


 二万という兵数が広がったからか、敵も味方も関係なく逃げてきている人はいる。流民も働き口があって食えるという噂は近江にも広がっているんだろう。


 この時代でも先祖代々の土地に拘らない人は少なからずいるし、そもそも土地を持たない小作人は守るものは家族くらいだ。一族や一家や個人、それぞれがそれぞれに逃げてくる人たちを追い返すことはしたくない。


 中には土豪や国人の家臣クラスの武士が逃げてきていると報告もある。驚いたのは援軍要請の使者としてきたはずが、了承の返事をもらわないと帰れないと居座っている武士がいるとの報告もあったことか。


 皮肉なことだが、近江の情勢は現地の北近江三郡よりも関ヶ原や清洲のほうが知ることが出来る。二万の六角勢が相手で援軍の可能性がないと知ると、理由を付けてそのまま尾張に移住する気ではないかと思われる武士もいるんだ。


 一族や主家にそこまで厚遇されておらず、それこそ所領すら与えられていない国人一族くらいの身分だと戻っても先がないと思ったのだろう。そのうち家族が来ていたなんてことになりそう。


 まあ北美濃と東美濃の開発にはまだまだ人員が必要だ。こちらに逃げてきた者たちの大半はそちらに回すことになるだろう。美濃に計画している牧場建設は優先的に行なっているので順調だが、あとは街道の簡単な整備と国境付近の城の整備くらいしか出来ていない。


 それでもね。領民が協力的だからこの時代としては効率がいいんだ。街道といってもあっちは山の中の獣道程度のところが多い。慣れていないと道に迷うところだってあるんだ。


 街道の草刈りと木の伐採などしていて、それだって人員と費用が相応にかかる。尾張や西美濃のように人口も多く発展していると別なんだけどね。過疎地域の開発が大変なのはこの時代も変わらない。


 それと、織田領の農作物は概ね順調だ。


 長雨で被害が出たという報告などはあるが、例年通りのもので全体としてみると少し冷夏かなというところだ。甲斐では不作だとか関東や越前で野分か災害があったとの知らせもあるが、報告の規模からこちらが手を出すほどじゃない。


 ウチでは夏の終わりに向けた支度がボチボチ始まった。夏野菜の保存などをするんだ。


 今年はトマトを農業試験村でも栽培している。トマトソースの備蓄を増やしたくてね。ウチと織田家で使う分しか去年までは生産してなかったが、それでも足りなかった。


 瓶詰や干しトマトにして保存するんだ。


 野菜は戦略物資にならないが、銃後と言う言葉は未だ早いかも知れないが前線の後方にもれっきとした暮らしがあるので、今後無理のない範囲で少しずつ作付けは増やしてもいいかもしれない。無論、優先されるべきは穀物とか大豆なのでそれほど増えないだろうが。


 ああ、そういえば先日、雪村さんという絵師に会った。留吉君に弟子入りしようとした絵師で、ウチで密かに話題となった人だ。


 オレは知らなかったが、元の世界でも名が残った絵師らしく、メルティがスカウトして学校で絵を教えている。


 授業のない日は、留吉君と一緒に武芸大会の芸術部門に出す絵を描いているそうだ。雪村さんは留吉君に弟子入りしてもよかったと笑っていたが、留吉君が困るだろうとも言っていたね。


 せっかくなんで、ウチの新しい屋敷にも襖絵を一部屋描いてくれるように頼んである。メルティの影響で西洋画が流行っているが、水墨画も十分人気なんだ。


 どんな絵になるか楽しみだね。




◆◆◆


『南蛮船』


 御物であり、現在も皇室が所有する絵画のひとつになる。天文二十二年に織田家により後奈良天皇に贈られた一枚で、作者は絵師の方こと久遠メルティ。


 蟹江の町から出航する船を描いた一枚であり、前年に献上された南蛮船の硝子の瓶中船と共に後奈良天皇が生涯、傍に置いたと伝わるものになる。


 この瓶中船と絵画が、後奈良天皇と久遠一馬の謁見のきっかけになったと語る歴史学者もいるほど、その後の歴史に与えた影響は計り知れない。


 

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