第千九十一話・夏のうちに

Side:久遠一馬


 夏も折り返しを過ぎた頃だが、オレは学校や孤児院の子供たちとキャンプをするために尾張北部に来ている。


 今年の夏も、子供たちは海水浴とキャンプを何回かしているが、オレがキャンプに同行するのは初めてだ。久遠諸島に帰省とかあったからね。


 キャンプ。まあこの時代では野営合宿と呼んでいるが、目的はあくまでも学習だ。知らない土地で子供たちが中心となり野営をする。自立心の育成や集団行動など学ぶべきことは多い。


 特にこの時代では、家臣や御付きの人に命じて終わりという身分の子もいるからね。自分たちで寝床を作り、ご飯を用意するだけでもいい経験になる。


 この時代に身分は必要だ。でも身分の前に人としての人間力を育てたい。


「これこれ、危ういことはするでない」


 岩竜丸君をリーダーに、子供たちは子供たちなりに考えて行動している。面白いなと思うところもあるし、なるほどと思うところもある。すでに何回も経験しているので効率は悪くない。


 当然、周囲には護衛もいれば傅役や家臣たちもいる。本当は一緒に楽しめばいいんだけどね。身分や役目もあってなかなか難しい。食事は子供たちが作るようにしたことで精いっぱいだ。


「殿。六角がおよそ二万の軍勢で北近江に出張ったようでございます」


 のんびりキャンプを楽しみたいんだけど、北近江の報告が入った。仕方ないね。完全に無関係とも言えないし。


 しかし二万か。思い切った数を動員したな。京極方の勢力を考えると、一万もあればいいはずだ。謀叛を鎮圧するだけならば。


 まあ実際には籠城をされると面倒なことにはなる。北伊勢の長野や関もそうだったが、守勢の場合は領民を総動員するし、籠城して抵抗する。およそ十倍の兵力差だ。野戦で戦うことはないだろう。


 忍び衆の報告によると、京極方は未だに織田の援軍を期待しているらしい。籠城して待ちの姿勢だろう。


 織田は京極方に対して、派兵しないという姿勢で一貫しているが、それでも自分たちの領地は要所だという自覚もあり、織田は動くという期待が大きいようだ。


 細川晴元がそれをけしかけているのもある。管領様が命じているのだからという感じか。


 元の世界の戦国時代でいえば、援軍のない籠城は落城して滅ぶイメージもあるが、この時代ではそこまでやることはまずない。


 犠牲が出たり、農繁期になると撤退することがよくある。特に二万もの大軍を動かすには相応の費用と兵糧がいるからだ。


 京極方とすると織田が出なくてもそれを狙い、頃合いを見計らって和睦をするか、新たな策を講じるつもりだろう。


 まあ六角はそれを望まないから二万も集めたんだろうけど。とはいえ犠牲が多いと義賢さんの求心力に影響する。いかに速やかに京極を排除して国人たちを降すか。


 簡単な戦なんかないんだなと思い知らされることだ。


 忍び衆には無理をしないように指示を出してキャンプに戻る。子供たちは地元のお坊さんの話を聞いているところだった。


「あそこはの。よう川が氾濫したところでの。このあたりは水浸しになることが多かった」


 周囲の土地を見せて、どこにどんな過去があったか。洪水や戦があったところ。かつては田んぼだったところなど、いろいろと教えてくれる。


 今回、アーシャは妊娠が判明したので同行しておらず、沢彦宗恩さんとかオレが同行しているので、沢彦さんの授業の一環らしい。


 土地の歴史や問題を現地で見せながら教える。なかなかいい授業だと感心するね。元の世界では伝わっていなかった伝承なんかもあって面白いなと思う内容もある。


 こういうのって意外にこの時代はなかったんだよね。教師の先生たちもいろいろ試行錯誤してくれているようで頭が下がる思いだ。




Side:織田信安


 清洲城は今日も忙しい。広がる領内から集まる書状が次から次へと担当の奉行のもとに運ばれてくるのだ。


 領内の各地に伝馬や伝船を置くことも進んでおるが、重要な書状はそれぞれ信のおける者が直接持ってくることもあり、清洲城にはそんな者らが休むところがある。


 忙しい者は馬を代えて休む間もなく戻っていくがな。


 所用で蟹江から戻ると、そんな者らの姿が見えた。三河、美濃、伊勢。それぞれ違うところから来た者らが、飯を食い楽しげに話しておるのだ。


 数年前には尾張の外は縁遠い地であったことをふと思い出す。


 織田家にも美濃衆、三河衆、伊勢衆がおる。一切垣根がないとは言わぬが、無用な争いがあるとは聞かぬ。


 おかしなものだなとわしも思う。何故、争いが少ないのだ? 同じ家中ですら争いがあり諍いがあって当然だというのに。


 答えは考えるまでもないがな。そういう治め方をしておるということ。大殿のお力もあり、表立って評価されておらぬが、評定衆では皆で頭を悩ませて考えておることだ。


「伊勢守殿、無量寿院の件はいかがでしたか?」


 わしも役目に励まねばと働きに戻るが、すぐに与次郎殿が姿を見せた。わしは伊勢無量寿院の件で北畠家の者と話す必要もあって蟹江に出向いておったのだ。


「相も変わらずというところ。あの手この手と条件を変えて末寺を取り戻したいようで」


 与次郎殿は昔から知っておる。犬山城主である与次郎殿は後見役であり家臣であった時もある。


 今は同じ家中の一族として互いに忙しいと愚痴をこぼす間柄だがな。


「末寺のほうが望んでおらぬからな」


 機を逸した。一言で言えばそうなる。相手が武士ならばそれで終わるが、寺社である以上相応の配慮がいる。与次郎殿はわしの報告に困った顔をしたが、無量寿院の件で厄介なのはむしろ末寺のほうが戻りたくないというところが多いからであろう。


 織田に従えば飢えることはない。守護使不入の撤廃であったり寺領の整理であったり厳しいが、それでもいいという寺社も相応にあるのだ。素直に従えば糧も与えるし、働く場も与える。


 大殿や内匠助殿が特に貧しく従順な寺社に寄進をしておることも大きい。雨漏りのする寺ではお勤めも出来まいと手を差し伸べておるのだが、これがまた評判だ。


 無量寿院のように力もあるところは面白うないところもあるようだが、大殿と内匠助殿に逆らう愚か者は今のところおらん。


「寺社は変わらねばならぬのだと思う。久遠諸島にてそれを悟った。神仏に祈るだけならば寺社はなくても成り立つからな。寺社は世のため人に寄り添うべきであろう」


「ふふふ、あそこに行くと、皆、なにかを悟って帰るな。端から見ると仏の国のようだわ」


 ふと与次郎殿が笑われた。


「血で穢れた坊主ばかりである日ノ本よりは、神仏も喜ばれる国であろう」


 久遠諸島の者らも神仏に祈る者は大勢おった。船の無事を祈り、内匠助殿の無事を祈っておったのだ。神仏とて血で穢れた坊主よりは好ましく思っておる。


 西の明に倣うか、それとも東の久遠に倣うか。我らは東の久遠に倣うべきであろう。最早、我らは同じ一族なのだからな。





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