第千九十話・六角動く
Side:六角義賢
物見に出した者らが戻った。
敵は三千もおらぬか。その知らせに重臣らの顔が緩んだ。相手が一揆勢や織田でないことから楽だと緩む者らを戒める。
「御屋形様、織田と朝倉はまことに動かぬので?」
もっとも慎重な者は違う懸念をしておるが、動くことはありえぬな。朝倉は織田を気にしておろう。織田は北近江三郡など求めておらぬ。
近淡海の湖賊らでさえ動いておらぬのだ。
「愚か者が騒いでおるだけだ」
政をこうも理解せぬ者が多いとは思わなんだ。わしも考えねばならぬな。家中とていずこまで理解しておるか分からぬとは。
細川晴元の謀もあろう。北近江三郡の奴らが先年の戦で負けたのが織田だったということもあろう。そこにわしが北伊勢で織田から逃げたように見えることが
「日和見しておる者もおりますな」
「放っておけ。あとで責めを負わせる」
浅井の隠居は動かぬ。いささか思慮に欠ける男だが、愚か者とは違う。そのせいもあろう。ここまで騒ぎになっても、知らせも寄越さず日和見しておる者が相応におるのだ。
勝敗が分かるまで動かぬ気か。それともこちらの動きの隙をついて武功を挙げる気か? いずれにしても遅参した者、下知に従わぬ者、
「信なき国人や土豪は不要だ。いつまでも織田に後れを取りたくないのならばな」
家臣らの顔が引き締まる。織田が不要な国人や土豪から領地を召し上げて追放しておることを、さすがにこの場におる者は知らぬ者がおるまい。
織田に頭を下げて、領地をいかに治めておるか教えを請うておるのだ。それがいずれ六角家でも始まると思わぬ愚か者がわしの周囲におらぬと願いたい。
安易に戦をして勝てる相手ではないのだ。ならば織田に倣い強くなるしかあるまい。これが終われば織田に倣い、北近江三郡で領地を整理するか。
二度目の勝手を許すわけにはいかぬ。
Side:吉良義安
北近江三郡で謀叛か。京極の旗があるという。誰ぞが出ておるのかは分からぬらしいが、愚かなことをと思うと同時に織田を知らぬことが哀れに思える。
尾張では近江に
「よろしくお願いいたしまする」
今日は沢彦和尚を尋ねて参った。
沢彦和尚の下で出家した弟は、今は学校で世話になっておる。まだ若いということもあり学問を学び、多くの者と誼を結ぶ機会を与えてくだされたのだ。
刑死させられてもおかしくない愚弟を、哀れんで下さった内匠頭様から託され、その未熟な心を救ってくださった沢彦和尚には感謝しかない。僅かばかりだが寄進をして弟のことを頼む。
「誰しも過ちはありまするぞ。過ちから学び生かす。これが人の道ではと近頃思うようになっております」
過ちを恥じるのではなく活かせ。これは久遠家の教えだ。和尚はそんな久遠家の教えが仏の道に通じるのだとわしに教えてくれた。
「久遠殿の本領に行かれたとか。いかがでございましたか?」
和尚と話し込んでおると、話が久遠家の本領に及んだ。和尚も行きたかったと笑うておる姿にいささか和む。
「苦労を重ねて、まだ見ぬ明日を探しておりました。皆で学び、皆で悩む。あのような国があるとは思うてもおりませなんだ」
銭を儲けることしか頭にない下賤の輩。そう思うておった時もある。分不相応な成り上がり者と謗ったこともな。
されど同族で争い、家臣を多く失ったわし如きでは、相手にならぬ者らだということがよう分かった。
命あることを感謝して生きるしかあるまい。名門吉良家を終わらせた愚か者にならぬようにな。
二度と同じ過ちを繰り返さぬように。
Side:氏家直元
「某も行ってみたいものですな」
北近江三郡の謀叛の備えとして関ヶ原城に入った。不破殿からは久遠家の本領について問われ、羨ましいとまで言われてしまったわ。
まさかとは思うが、こちらに攻め入らぬとも限らぬ。それと流民や敗走した者らがこちらに逃げてくることもあり得るからな。領内を荒らされてはたまらぬ。
「もう少し近ければな。十日はいささか厳しいぞ。それに
久遠家とすると近くもなく遠くもないようだが、関東まで行きは二日で行けることを考えると遠い。
またいつか行ってみたいところはあるが、頻繁に行くには少しためらう。
「しかし変わったな」
「ああ……」
遥か遠い久遠諸島に思いを馳せておると、不破殿が西の空を眺めていかんとも言えぬ顔をした。
我ら西美濃の者は、多かれ少なかれ北近江とは誼がある者が多い。時には争い、時には誼を通じて生きてきたのだ。東山道により都へと通じる要所であり、むしろ尾張よりも身近な国だったかもしれぬ。
それが今では厄介な地として国境を封鎖するようになるとはな。特に不破殿は隣だからな。思うところがあろう。
「六角は此度の謀叛、いかにするのであろうな?」
「主立った者に詰め腹を切らせて、あとは所領を減らして終わるのが常道か。されどあそこも織田の政を学んでおる。謀叛を起こした国人は一族郎党追放か死罪にされてしまうかもしれぬな」
二度目だからな。先年は勝手にこちらに戦を仕掛けて敗れた。六角の先代は穏便に済ませて終わったが、此度はそうはいかぬ気がする。
「それで収まるのか?」
「六角家中も織田との力の差を気にしておる。甲賀郡と伊賀国は六角と織田が争えば、いずれに付くか分からぬほどだからな。従わぬ国人を許すほど甘くはなかろう」
一昔前ならば考えられなかった。武士は土地を治めてこそ武士。主家であろうと勝手に土地を奪うというのならば戦になって当然だ。
ところが織田は土地を与えぬ政を見せてしまった。北畠も六角もそれに倣いつつあるのだ。六角とするといずこから土地を召し上げるかと悩んでおったところであろう。むしろこの謀叛を待っておったのではないのか?
「恐ろしくもあり、楽しみでもあるな」
不破殿の一言が我らの本音か。織田が次になにをするのか、恐ろしくもあるが楽しみでもある。
それはすぐに北畠や六角へと伝わり、世が変わっていくのであろう。
「そう悪いことにはなるまい。久遠殿の本領を見るとそう思える」
土岐家のことなど、最早紙芝居の中の愚か者としてしか誰も見ておらん世の中だ。過ぎた世を見ても仕方あるまい。
つまらぬ戦が減り、武士は海の向こうで戦うことになりそうだがな。それもまた世の習いであろう。
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