第千八十七話・夏のひと時
Side:忍び衆
戦はやってみねばわからぬもの。大軍を率いたとて、思わぬ痛手を被り引くこともある。
勝ったとて敵の一族郎党根絶やしにするわけにもいかぬ。あちらこちらと血縁がある。降伏を促し、責めを負うべき者が責めを負えば存続は許すのが慣例と言えような。
されど……。
「あの旗印は京極か?」
北近江三郡で謀叛が起きた。すぐに一報を関ヶ原城に知らせに行かせたが、京極の旗印を掲げた軍勢が、同じ北近江三郡でも六角寄りの国人の城を襲っておる。
「ここが六角の力の見せ所だな」
すでに織田では国人の謀叛など起きぬ。領地は僅かな本領以外は召し上げられ、織田家から俸禄を頂き働く身。謀叛など起こしても誰も従わぬと言うたほうが正しいか。
三河、美濃、伊勢と近隣の争いを我らは見てきた。よく学びよく考えよ。それが合言葉になりつつあるように。我らは最早、素破や乱破ではないのだ。此度の戦についても学ばねばならん。
此度の謀叛を裏で糸引く者は管領細川晴元。恐らくは三好が丹波を攻めておることに対する策だ。三好は公方様を擁する六角と同盟に近き関わりがあるからな。
「さっそく刈田か。収穫までもう少しだというのに」
共に双眼鏡という道具で戦の様子を覗く者は、京極方の動きにため息交じりに呟いた。
兵の統率、用兵ともに並みだな。もっとも、織田でこのような用兵をすれば、お叱りを受けるどころでは済まぬが。雑兵が周囲で勝手に刈田をして村を襲うなど許されぬこと。
冬が来れば山にも食べられるものが少なくなる。近江でも甲賀などと比べると肥沃な地とはいえ、これでは飢える者が多数出るぞ。
襲われておる村も無策ではない。城やどこぞに逃げておるらしい。それが刈田を止められぬ理由だ。
「この調子では六角が勝ったとてしばらく荒れるな」
織田と他国はまったく違う。民が飢えようが土地が荒れようが気にせぬのが他国だ。
「流民が増えるな。至急、知らせねばならん」
すでに一部の民は流民となり東に逃げておる。行く先は関ヶ原であろう。多くを望んでおるまいが、食わせるのもまた楽ではないというのに。
「いこう。我らの役目は目となり耳となることだ」
「ああ……」
あちこちで蜂起しておる。ここも危ういか。命を粗末にするは許されておらぬ。目となり耳となり、御家のために。
Side:とある国から来た者
尾張で気を付けねばならぬことは、見た目で相手を決めつけてはならぬことだ。市井の者かと思うておると、意外な大物であることがあるという。
特に髪や目の色が違う女には決して無礼を働いてはならぬ。尾張にいるそのような者は久遠家の女であるからだ。
尾張、斯波武衛家が守護を務める国。
斯波武衛家は、かつて三管領家とまで讃えられた名門中の名門なれど、先年までは尾張一国の守護でしかなかった。それも傀儡であったとの噂だった。ただし、今では次の管領は武衛様だとの噂が諸国に広がるほどのお方。決して侮っていいお方ではない。
そんな尾張を掌握しておるのは織田弾正忠家。守護代家であった織田の分家で、尾張の虎と近隣で恐れられておった男が当主になる。
今では仏の弾正忠という通り名のほうが知れておろう。仏にすがる者らが自ら領地を差し出しておると評判だ。
そしてこの虎に翼を与えたのが久遠。嘘かまことか、日ノ本の外の商人で日ノ本の船など物の数とせぬ南蛮船を数多抱えると噂だ。当主は内匠助一馬。
尾張でなにがあっても怒らせてはならぬのは、この三家になるという。
田んぼには重そうに穂を垂れ始めた稲が、何故か規則正しく並んでおる。道を歩けばでこぼこもなく整えられており、余所者だからと襲われることもない。
鉄もよう見かけるな。農民の鍬から荷車までよくよく見ると鉄がよう使われておる。
清洲は今や東の京だと言われるほどの賑わいで、町外れでは鉄砲の鍛練をする音が朝から晩まで聞こえるという。
「なにを書いているのです?」
突然掛けられた声に慌てなかった己を褒めてやりたい。背後にこれほど近寄られても気付かれぬことなど、未だかつてなかったのだ。
「いえ、旅の日記を書いておりました」
草木のような緑色をした髪に背筋に冷たいモノが走る。いつの間にか周囲を囲まれておる。手練れだ。
「それはいいことなのです。是非、諸国の話を聞かせてほしいのです」
「無論、構いませぬ。……もしや、久遠家の奥方様とお見受けしますが?」
「久遠内匠助様の奥方様であらせられるチェリー様だ」
ああ、逆らってはならぬ相手だ。何故、見つかったのだ。おかしなことはしておらぬし、忍び込むような真似もしておらん。
「ちょうどお昼なのでご馳走するのです」
もしかして尾張を探りに来たことが露見しておらぬのか?
「おかしなことを考えるなよ。ただ領内を見聞きするだけならば罪に問わぬ。されど……、己は見聞きした分だけ他国のことを話せばいいだけだ。ああ、嘘はやめておけ。礼はする」
楽しげな奥方様にホッとしたのもつかの間。背後にいた男に小声で囁かれた。
露見しておるのか。わしの命もこれまでか?
「では道中の無事を祈っているのです」
直に日暮れとなる頃、わしは解き放たれた。いや、久遠の屋敷を出たというべきか。詮議すら受けなかった。
見たことも食うこともない馳走を頂き、手土産まで頂戴した。日記として書いておった諸国のことをお見せして話をしただけで許されたのだ。
まるで物の怪にでも化かされた気分だ。
ああ、尾張にて罪を犯すような真似は決してしてはならん。それも今日の日記に書いておこう。
この国はまるで天竺のような国だ。そう思える。
Side:とある職人衆
大きな音と共に玉薬の匂いがあたりに立ち込める。
「やったか?」
「威力はまあまあか」
新しい型の鉄砲の試射。それが行われておるのだ。
此度は今までにはない銃身の長い鉄砲にしてみた。玉の大きさや玉薬の量や銃身の大きさなど、鉄砲ひとつとっても試すことは幾らでもある。
さらにそれを同じ寸法で数多く作るとなると、また別の苦労が山ほどある。
「悪くねえが、持ち運ぶの大変だな」
「ああ」
一点もので良ければ久遠様の鉄砲にも負けねえが、それだと駄目なんだ。戦は数なんだ。少なくとも織田家においてはな。
もっとも、ここも無駄に失敗ばかり重ねてねえ。久遠様の鉄砲と同じ寸法の部品は作れるようになっておる。幾つかは織田家や久遠家にお納めしておるんだ。
ただ、わしらはもっと久遠様ですら驚くものを作りたい。
此度の鉄砲も悪くねえが、久遠様の鉄砲を超えるほどのものじゃねえ。あとは鉄砲が壊れるまで撃って試すか。最後は試した結果を報告する書状に書いて終わりだ。
近頃じゃ新しい型の鉄砲を撃つのは人だと危ういというので、大工が作った木製の台に固定して撃っておる。幾度か暴発して危なかったからな。
「御本領じゃ、こんなこと昔からしていたそうだ。わしらももっとやらねばならん」
久遠様の御本領に行った奴が、結果に落ち込むことなく次のことを話し始めた。
学問を学び、気付いたことは試す。その繰り返しだそうだ。失敗が新たな学問となり、同じ失敗を繰り返さないように皆で学ぶってんだから驚きだ。
職人頭の清兵衛殿は職人衆に対して、交代で学校に行くことを定めると言われた。学校で学び、わしらが試したことも学校で伝えるんだそうだ。
一子相伝でやりたい奴は工業村には入れない。最初の掟があったので特に異を唱えた奴はいなかった。
蟹江の船大工の連中とも、そのことで一緒にやろうって話が出ていると聞いた。船体を鉄板で覆った船は久遠様も驚かれたほどで、銭が幾らかかってもいいからと、今も試行錯誤が続いておるからな。
わしらも負けてられぬ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます