第千八十六話・夏だ! 戦だ!

Side:エル


 まさか、あれほど悩まれておられたとは。


 いずれくるべき悩み。いえ、すでに考えておられるとは思いましたが、切羽詰まるほど悩まれておられるとは思いませんでした。


「夢と現実か」


 司令が馬車の外を見ながら呟かれました。


 夢とは管領や将軍となり天下を差配することでしょうか。現実はリアルに考えた先行きでしょうか。守護様は天下を狙えるだけの家柄と才覚と経験があります。ですが……。


 過去、武家が政権を得たと言えるのは平清盛公を含めると三名。平氏は源氏に敗れて主立った一族は滅びました。その平氏を打ち破った源氏とて、頼朝公の血は三代で途絶えた。


 そういう意味では守護様がおっしゃられた足利尊氏公は、十三代まで血脈を維持したのです。時代背景を考えるとただただ評価するしかありません。


 ただ、その尊氏公でさえも裏切り裏切られる世に苦労を重ねました。


 『愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ』、司令の元の世界の偉人が遺した言葉です。守護様は歴史に学んでおられます。私たちの影響もあるのでしょうが、残念ながら守護様が天下を目指せば、少なくない確率で苦労をします。


 斯波家は名門、それ故、足利家に近く血縁や関わりが既存の勢力に多すぎるのです。疎かにするどころか、厚遇しないと恨まれ反乱を起こす時代。仮に多くの血を流して統一しても、名君と呼ばれるのは死後のことでしょう。


 恨みは残ります。末代まで。地元では名君と呼ばれる武将でさえ、攻め獲られた隣国では数百年後でも嫌われているなんて話は司令から聞いたことがあります。


「難しいですね。私たちが余所者の臣下であることに変わりはありません。私たちから言い出すわけにはいかなかった。救いはこのタイミングで話し合おうとしていただいたことでしょうか」


 すでに尾張の人々には受け入れられております。それでも私たちは外国人なのです。ここでは。その恩恵を未だ受ける間は、そのリスクも背負わなくてはなりません。


 ゆっくりと進めていた改革の意味が活かされたとも言えますが、話し合うべき環境を整えてくれたのは大殿と守護様になります。


 これで、望まぬ対立に至る可能性がグッと低くなった。さすがは史実の偉人たちというところでしょうか。




「お帰りなさいませ!」


 屋敷に戻ると、いつもより嬉しそうなお清殿が出迎えてくれました。なにかあったのでしょうか。


「実は……、アーシャ様が懐妊されたとケティ様が申しており、至急お知らせに戻りました」


「アーシャが妊娠したのか!? すぐに会いに行こう!」


 先ほどまでの表情と打って変わって司令の様子が明るくなりました。


 ただ、同時に守護様の子や孫たちのことを思う言葉も浮かべたのでしょう。司令は素直に喜びつつも空を見上げて考え込んでいます。


「清洲でなにかございましたか?」


「あとで教えるわ。そこまで懸念することではないけど」


 お清殿は、急遽、清洲城に呼ばれたことが気になっている様子です。


 八郎殿たちも含めてきちんと話したほうがいいですね。守護様も大殿もそれを承知でお話しされていたはず。


「ワン! ワン!」


 屋敷の玄関には比翼連理の四匹が待っていました。彼らはすでに躾を始めています。ちゃんと玄関で待っていたことを褒めてあげると嬉しそうに尻尾が揺れます。


「いいこともそうでないことも、みんなで一緒に考えていくしかないか」


「そうだと思います」


 比翼連理の四匹を見た司令は、覚悟を決めたような顔をされました。


 押し付けの改革や統治体制など害悪にしかなりません。それは私たちもこの世界で学んだこと。


 いつの時代も、どの世界も共に考えるという方法以上のベターな選択肢はないのかもしれません。


 でも、それが生きるということだと思います。


 アーシャの懐妊で、司令は改めてそれを理解したのかもしれません。




Side:とある北近江の国人


 昨年から密かに支度をしておった故、すでに戦の支度は整いつつある。管領様の下命もあり、公方様をお助けするという大義名分もある。あとは……。


「織田は動かぬな。いつまでグズグズしておるのだ」


「あそこはいつ動くか分からぬ。北伊勢でもまったくその気がない様子だったというのに、即座に万を超える兵が押し寄せたと聞く。籠城をしておる間に来るはずだ」


 あとは機が熟せば挙兵するのみ。


 ところが、ここにきて上手くいかぬことが幾つかある。


 ひとつは浅井久政が臆病風に吹かれたのか挙兵せぬと言うておることだ。あのような愚物でも北近江では力もあり従う者もおる。おかげで幾つかの国人は我らに同調はせぬと言っておる。


 朝倉も駄目だ。北近江の一部を切り取るつもりで兵を出してくれればと期待したのだが、あそこは織田が恐いらしい。


 近淡海の湖賊も織田が動けば助力するというが、先に動くことはせぬという。


「なあ、まことに織田は来るのか?」


「来る! 北近江三郡は要所だ。管領様の許しも大義もある。斯波武衛様が次の管領となるには、この機会をおいて他にはないのだ!」


 味方の士気が高くならぬ。織田は密約どころか、こちらの使者と会おうとせぬことで本当に来るのかと疑念が出ておるのだ。


 されど、北近江三郡は六角のものではないのだ! 公方様を軟禁して我がモノとする六角は皆で叩かねばならぬ!!


「案ずるな。織田が兵を出せば六角はまた逃げ出す。ここは六角にとって所詮は属領だからな」


 北伊勢にて織田と戦もせずに引いた臆病者の六角になど従えぬわ。なあに織田とて所領は広げたいはず。大義名分と戦のお膳立てをしてやると必ずくる。


 懸念は織田がおかしなことをしていることか。


 噂では織田は本領以外の領地を召し上げると聞く。所領を減らして俸禄にされるとか。面白うないことだが、織田が動けば六角は逃げ去る。まずはそれでいい。


 近江を得た織田を周辺の者が捨て置くまい。そのまま三好や朝倉、もしかすると管領様とも争い疲弊してゆくはずだ。


 織田が尾張に逃げ帰ったら所領を取り戻せばいいのだ。我らはその隙を突いて北近江三郡として独立する。幸い京極家も乗り気だからな。神輿にはちょうどいい。


「臆病者から北近江を取り戻すぞ!」


「おお!!」


 慎重な者も説き伏せた。あまり刻を掛けて、また六角に謀でもされたら困る。


 さっさと挙兵して織田を呼び込むのが先決だ。


 今挙兵すれば秋の稲刈りの前に織田は来るだろう。仮に来ずとも籠城すれば六角とて一旦は退くはず。


 今をおいて機はないのだ!




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