第千八十五話・義統さんの悩み

Side:斯波義統


「ワン!」


「ワン! ワン!」


 さんゆかりを呼ぶと嬉しそうに駆けてきた。久遠家では犬まで賢いのかと思うと、驚きを通り越して呆れてしまうわ。


 それ故に案じてしまう。我が子らは、この先いかがするのであろうとな。


 目を閉じると、あの久遠諸島の光景が今でも見える。皆が助け合い、明日を夢見ておる民の姿が。


 内匠頭と一馬らは、この先も止まらず新たな世をつくり上げてしまうであろう。我が子らはそれに付いてゆけるのか?


 斯波は織田の主家だ。それが我が子らの重荷になるやもしれぬ。


 公方様は本気なのだ。あのお方は足利の世を己で終わらせてでも、一馬に太平の世を託そうとなさるだろう。


 誰も口にせぬが、神輿はふたつも要らぬはずだ。


「くーん?」


 考え込むわしをさんが見上げておった。


 岩竜丸はよい。勘違いなどするまい。斯波家の今が織田と久遠のおかげだということをよく理解しておるはずじゃ。


 じゃが、他の子やいずれ生まれる岩竜丸の子はいかがなる?




 わしがひとりで考えても答えなど出ぬ。素直に内匠頭と一馬と大智を呼び、わしは己の懸念と我が子らの行く先を内匠頭にいかがするべきかと問うてみた。


「これはまた難しきことをお考えでございますな」


 内匠頭が珍しく戸惑うた顔をした。まあ仕方ないことであるが。唐突に言われても困る話なのは重々承知じゃ。


「わしは管領にも将軍にもならぬ。それに嘘偽りはない」


 願わくは、わしはそろそろ一馬の見ておる先が知りたい。一馬はわしにすべてを語ってくれるであろうか?


「選べるお立場かと思いますが……」


 戸惑うておるのは一馬も同じか。大智はじっとこちらを見ておる。わしの考えを見極めようというのか? いや、わしの願いを知ろうとしておるのであろうな。


 智謀というなら、内匠頭や一馬より大智が一枚上か。常ならば、左様な者は恐れられるものだが、こやつは恐れさせぬように動いておる。


「かもしれぬ。じゃがの、これ以上武衛家の権威が高まると、わしでも抑えられなくなるやもしれぬのだ。わしは尊氏公のようにはなりとうない。裏切り裏切られながら祀り上げられるなど御免だ」


「良い機会かもしれませぬな。我らは互いに理解はしておるつもりでも話したことはありませぬ。久遠家の日ノ本の外のことも決めた今ならば話せるはず。そうであろう? 一馬、エル」


 先にわしの心情を察してくれたのは内匠頭か。やはりこの男もまた並みの男ではないの。


 斯波と織田の最大の懸念は。久遠のことを知ることが出来なかったことと、久遠が日ノ本の外に今も広大な領地があることだ。


 わしと内匠頭はそれに一切手を付けず、また必要ならば兵を出しても守ると誓うことで久遠との立場と関わりを定めた。今ならば話してくれると信じたい。


「……そうですね。本来ならば私からお話しするべきことだったのでしょう。申し訳ございません」


 一馬は隣におる大智をわずかに見たあとで口を開いた。


 言えぬのは理解する。無論、一馬が天下など狙うておらぬのは百も承知じゃ。されど一馬の目指す先に……。




Side:久遠一馬


 高まり続ける斯波家の権威に他ならぬ義統さんが悩んでいた。その事実にオレは申し訳なく思ってしまう。利用しているといえば利用している部分もある。新時代をつくるために。


 管領職をという声が冗談では済まされないレベルになるのは時間の問題だ。義統さんならそれも可能だろう。


 ただ義統さんは気付いている。既存の体制では誰がやっても苦労することに。細川晴元や京兆家の姿は自身の子孫の姿かもしれないと理解しているんだ。


「先ほどもお話ししましたが、守護様は選べるお立場にあることは確かです。私たちもいかにすればよいのか手探りなことも確か。さらに戦をなくす世をと考えていますが、すべて決めているわけではないことも事実でございます」


 信秀さんと義統さんはすでに承知のことだ。オレとエルたちが新しい体制の新時代を考えていることを。だけどね。すべてオレたちも決めているわけじゃない。


 歴史という資料と元の世界という過去はカンニングペーパーのようであるが、どこをどうすればいいのか。手探りであることも事実だ。


 この時代に民主主義や人権や完全な法治国家をつくっても、上手くなんていかないだろう。


 誰を天下人とするか。傲慢に聞こえるかもしれないが、オレたちは選べる立場にある。最初は漠然と信秀さんと信長さんの天下を助ければいいのかと思っていた時期もあるが、それでは駄目だということは理解しているし、そう単純な話でもない。


「日ノ本には、統一された日ノ本という国家が必要です。そして領地を各々が治める体制も変えていかねばならないと思っています。もしかすると武士という者たちは消えていくのかもしれません。公家や武士や商人に坊主。それらの者が一丸となり国を営む。それが理想でございましょうか」


 さて、どう話そうかと少し思案しているとエルが話してくれた。そうだな。誰が治めるかとか斯波家がどうするかではないんだ。オレたちの見ている先を教えないと駄目なんだな。


「今、我らのやっておることを広げるということか」


「このままというのは無理でしょう。直接治められるのは限度があると考えております。当家でも北から南まで離れた場所にある入植地を、私たちだけですべて決めて治めるのは無理でございますので。されど基となるのは今の体制だと思っていただいて構わないと思います」


 信秀さんはエルの説明に考え込んでいる。尾張の国づくりを将来の統一国家の基礎に考えていることは確かだ。そこを理解していたのはさすがとしか言いようがない。


「将軍はいかがする? いや天下人と言うたほうがよいか? 今の治め方では駄目であろう。そなたらが治める気がないのは分かっておるが」


 義統さんが気にしたのはやはり誰が治めるかということか。これはオレが答えるか、素直に思っていたことを話そう。


「私たちは大殿と若殿でよいのではと考えておりました。無論、守護様でも構いません。ただ、守護様がお望みではないことと、斯波家が天下をまとめると名門故の苦労が多く、新たな体制を築くことが織田家以上に難しいものとなると思われます。現状では斯波家は国家を担う家として残るのが最善かと。正直なところ、肝心なのは争いが起きぬ国家づくりかと考えておりますので」


 身分制度と家を基本とした血縁や氏族は残さないと駄目だろう。社会をそれ以上変えると治まらなくなる。


 天下人。悪いけどそこまで魅力があるとは思えない。やる気もあり能力もある織田家でいいんじゃないかと思う。


 義統さん本人には天下人としての能力はあると思う。ただ、やはり足利一門である斯波家が作る新しい天下では旧体制の権威権力が必要以上に残る可能性があり、将来的に厄介なことになりかねない。


 申し訳ないが、鎌倉、室町と続いた武家政権を継承する新時代となるか分からないんだ。


 明治維新がない可能性を想定すると、武家政権ではなく近代を目指す政権が望ましい。


「それなりの地位で残ったほうが得か?」


「私はそう思います。朝廷や足利家の積み重ねは功と罪がございます。斯波家が天下をまとめると、それを望まぬものまで引き継がねばならなくなりますから」


 これ斯波家の問題だけじゃないんだよね。久遠家もいずれ問題になりそうではある。オレは地位も権威も出来る限り一代で返上するつもりだけど。


 その後、オレたちはいろいろと話し合った。


 義統さんが最後にこぼしたのは、『我が子や孫の行く末がこれほど難しいと思わなかった』という言葉だった。


 義統さん自身は岩竜丸君以外の子は、織田家の家臣にしてしまうべきかと考えていたらしい。あとは適度な頃に隠居して、斯波家は織田家の家臣となることで軟着陸を狙っていたと教えてくれた。


 信秀さんとの対立をいかに避けるか、それに随分と悩んでいたんだと笑いながら教えてくれた。


 信秀さん自身は祀り上げられた天下人かと、こちらも少し困ったように笑った。必ずしもそうとは言えないが、家柄的にも能力的にも、ウチの介入を理解して実行出来る人という意味でも、天下人になれる人は限られているという事情もあるんだよね。


「良い機会でございましょう。今後も我らが本音を話す場が要りますな」


 最後に信秀さんは、オレたちが本音で話し合う場を定期的に設けることを提言した。それがいいと思う。お互い信じているが、そろそろそれだけでは齟齬が生まれる頃だ。


 義統さんの悩みは、ちょうどいい頃合いだったのかもしれない。




◆◆


 天文二十二年、夏。久遠諸島より戻った斯波義統と織田信秀と久遠一馬は、定期的に話し合う場を設けることにしたことが『織田統一記』に記されている。


 事のきっかけは変わりゆく尾張と、尾張を導いていた久遠家の本領、久遠諸島を見た義統が、斯波家の先行きを案じたためであるとされる。


 久遠一馬のもたらしたものは尾張を大きく変え、人々に明るい未来を示していたが、同時にそれを守りぬくことが今後の課題であると察していた。


 それを守るためには日本の統一が必要だという認識がそれぞれにあったとされるが、きちんと話したのはこの時が初めてであったと記録にはある。


 斯波義統が晩年に編纂をさせた『義統記』には、この頃の義統は織田と久遠に担がれる形で権威を取り戻しつつあったが、それがいつか対立になるのではと案じていたと記されている。


 義統がその悩みを打ち明けた相手は、信秀、一馬、大智の方こと久遠エルであったとされ、それ以前から三家の間で意思疎通が出来ていたことが窺える。


 後に義統は己の天下を一度も求めなかったのかと問われた際に、信秀に救われて以降は一度もないと明言したと言われ、信秀と義統が互いに身分や立場を超えた信頼関係にあったことが分かっている。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る