第千八十八話・三河武士の変化
Side:久遠一馬
急遽開かれた評定の席で、北近江三郡で謀叛が起きたことが知らされた。驚きはない。事前に情報は出回っていたし、織田家の方針は一貫して六角寄りだ。
信秀さんは蜂起した者と日和見な者、それと六角側と判断されて攻撃された国人の名と城の位置を確認しながら情勢を考えている。
「管領殿の権威は依然として強いか」
信安さんがため息混じりにそう呟いたのが聞こえた。
都落ちしたとはいえ管領だ。三好に謀叛を起こされて、この先細川晴元の復権が難しいと知っているのは、オレたちが元の世界の歴史を知るが故だ。現状ではそこまで晴元の権威は落ちていない。
細川京兆家はそれだけ名門の家柄だ。
あえて言及はしないが、義藤さんの将軍としての権威が高まって、義統さんが次の管領かと噂されることも、晴元の権威にいい影響があるからとも言える。将軍と三管領家である斯波家の復権。それは室町体制が健在だと考えるほうが自然だからだ。
過去には晴元が先代の義晴公と争って和睦をしている。この先、義藤さんと晴元が和睦をするだろうと誰もが考えているんだ。
義藤さんが北近江三郡の国人に動くなと直接命令でもしない限りは、彼らは名分を得たと考えて当然だ。義藤さん自身は晴元を小物と言うが、それを知るのは限られた人だけで、織田家重臣ですら知らない人もいる。
若狭で晴元が狙われて逃げたと一部で噂も流れているが、噂で言えば義藤さんも病弱な体で将軍に相応しくないとかネガティブな噂なんかがある。この程度の噂は探せば幾らでも出てくるだろう。
情報の扱いに大きな差があるのがこの時代だ。
「念のため派兵の支度をしておるが……」
信秀さんの
「現状ではこちらは動く必要はないですね。これ以上、六角の権勢が落ちるとこまりますし。此度は意地でも六角の力で鎮めますよ」
多少懸念はあるものの、今回は織田が戦をする可能性は高くない。織田家中の皆さんも理解しているが、あまり騒いで戦支度をしないようにお願いしよう。織田家中が動くと北近江三郡が勘違いするかもしれないし。
評定のあと、この日の仕事を少し片付けたオレは、エルとセレスと清洲郊外の運動公園に立ち寄っていた。
ここは平時では武官や警備兵、黒鍬隊となる賦役をしている民の訓練場所にもなっていて、織田家の武士もよく鍛練に使っている。それとこの時代では存在しない大きな講堂ではお芝居をやることもよくある場所だ。
今年に入ってからはここで定期的に市も開かれている。清洲でもあちこちにある寺社が市を開くが、要望が多かったことと広い敷地を有効活用するためだ。
鉄砲の射撃場に行くと、意外な人物がいた。松平広忠さん。竹千代君のお父さんだ。
「これは松平殿、鉄砲はいかがですか?」
「はっ、なかなか難しゅうございます」
一緒にいるのは本多忠高さん。史実の忠勝さんの父親か。彼と何人かの家臣と一緒に鉄砲を習っている。教えているのがウチの家臣であることにちょっとびっくりしたけど。
どうも鉄砲の練習は人気らしく、指導員として織田家とウチの家臣が交代で務めているみたい。そういえば、そんな報告がだいぶ前にあったな。
今ではすっかり武士らしくなったが、金さんと同じく元信長さんの悪友だった家臣だ。農民出の彼に松平家の皆さんが大人しく教わる姿が、なんか新鮮でいいなと感じる。
「内匠助様、この先、戦は鉄砲や金色砲ばかりになるのでございましょうか?」
オレたちは皆さんの様子を見守っていたが、ふとためらいがちに声をかけてきたのは忠高さんだった。
「そんなことはありませんよ。どれだけ鉄砲や金色砲など優れたものが作られても武芸は必要です。最後は人の体がすべてなのですから」
時々いるんだよね。飛躍して考える人。オレもこの手の質問は聞き慣れた。最早、武芸の時代ではないなんて言っている人もいて呆れることもある。
「それを聞いて安堵致しました」
「偏見を持たず、あらゆる武器や兵法を知ることは大切ですけどね。ウチでも武芸は励んでおりますよ」
ポツリポツリと話す忠高さん。久遠諸島に行っていろいろと考えさせられたみたい。広忠さんがこうして鉄砲の訓練をしているのも、それが原因っぽいね。
鉄砲で戦をするかどうかは別にして、織田家の費用で習えるんだから習わないと損だ。ところが鉄砲への偏見が意外にあって、やらない人も相応にいるんだよね。織田家中でさえ。
そういえば、アーシャが学校に学びに来る武士が少し増えたと言っていたなぁ。あれも久遠諸島へ行った影響だろう。
ウチの学問や兵法を知りたいという人が多いらしく、スケジュールを組んでエルたちが指導することになった。別に毎日必要なわけじゃないしね。そのくらいなら問題ない。
三河武士も変わる。それが今の尾張ということか。
Side:松平広忠
久遠殿が去っていくのを見送る。かつて三河で聞いた噂のいずれも当てはまるとも言えるし、当てはまらぬとも言える。
武芸を疎かにする愚か者などと言われておったが、ひけらかすことをせぬだけで十分強いからな。当人はあまり使う機会がないと笑うておられたが。
そんな久遠殿の政は我らとは少し違う。日頃からあちこちに自ら顔を出して、下々の者の様子を見て話を聞くことをよくしておられるのだ。決して暇な御仁ではないというのに。
戦をせずとも国を守り、富ませていく。恐ろしい御仁だ。
北近江三郡では国人が六角に謀叛を起こしたというのに、ここでは関わりはないと日々と変わらぬ暮らしをしておる。
常ならば、この隙に北近江三郡の一部でも得ようと動いてもおかしゅうないはずなのだが。
「三河が織田でまとまるのも遠くないな」
東三河ではすでに今川が劣勢だ。西三河から逃げ出したのだから当然だがな。今川の重臣である朝比奈と血縁がある者は粘っておるが、それもいつまで保つのやら。
東三河の者らは織田の力を知らぬうえでもそうなのだ。尾張の豊かさと兵の強さを見ればすぐさま寝返っても驚きはない。
もっとも、織田の大殿は所領を増やすのを好まれぬ。自ら三河を統べることを考えておられぬようだがな。
城に籠って領地を守り、戦で飢えをしのいで、あわよくば広げる。そんな世は終わるのであろう。
天下を狙うでもなく世を変える。考えてみると一番恐ろしいのは久遠殿な気もするな。
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