第千八十一話・旅の絵師
Side:久遠一馬
津島神社と熱田神社の懸念を信秀さんに報告して、義統さんを含めて相談した結果、織田家の中にこの問題を話し合う場を設けることになった。
大橋さんや千秋さんは評定衆であるが、現時点では織田家の中に寺社を専門に担当する部署はない。守護使不入のように寺社は武家の干渉を好まないこともあるし、寺社のことをどこまで武家が決めてどうやって従えるか。デリケートな問題だ。
史実の江戸幕府の寺社奉行のように担当部署を設けるのかどうかも決まっておらず、とりあえずは津島神社と熱田神社を中心に織田家に協力的な寺社を集めて話し合う場を設けることだけが決まった。
現状では嘆願や相談を含めて窓口も決まっておらず話し合いの場もない。織田家と繋がりが深い津島神社と熱田神社が相談されて仲介した例も結構ある。まあ妥当なところだろう。
「今日は暑うございますな」
屋敷で仕事を片付けていると、湊屋さんが姿を見せた。清洲城に報告書を提出した帰りらしい。硝石にて冷やした麦茶を出してあげると嬉しそうに飲んでいる。これも贅沢品扱いなんだよね。
留守中の報告をするまでもない雑談をしつつ、話は北近江のことに移った。
「近江では織田と六角が戦をすると噂となり、あらゆる品物の値が上がりました。大湊には戦はないと明言しておきましたので、こちらはほぼ変わっておりませぬが」
たいしたものだ。物価の安定をきちんとしてくれている。ただミレイとエミールから湊屋さんの負担軽減と、人員の増員を要求する報告が上がっているんだよね。
「湊屋殿、ちょうどいいから意見を聞きたかったんだ。蟹江は相変わらず人手が足りないし、丸屋殿を召し抱えてみようかと思うんだけどどうだろう?」
「丸屋殿は実直な男。されどあちこちの事情を考慮して動くことはあまり向きませぬな。ただ目付。久遠家の言葉で言えば監査役には向くかと存じます」
商い関係も人は増やしている。湊屋さんには息子さんが三人いるが、とうとう大湊の店を親戚に譲って息子さんたちはウチの家臣として働いている。家臣や忍び衆の中からも志願者を募って増員しているが、はっきり言うと経済規模の拡大で人員が追い付いていない。
織田家としても当然動いている。戦での怪我や病気などで隠居したり、家で養ってもらっている人を文官として働かせている。武士の場合は最低限読み書きが出来るので、プライドとかに拘らないと使えるんだ。
家に居座るだけだと肩身が狭いが、これで禄を貰えばそんな思いをしなくて済むと喜ばれているらしい。
ただ、信用出来る人材がまだ足りないとのことで、ミレイから丸屋さんを召し抱えてもいいかという報告が上がっていたんだよね。
「監査か」
「商人としてはやりにくい役目でございますな。同じ商人を疑う故に。されど武士では気付かぬことも多く、難儀しておるところ」
「任せていいかな? 本人の意思を聞いて、望まないならそのままでいい。ただやってみたいなら召し抱える。オレが聞くと断れないだろうからさ」
「はっ、お任せください」
こういうとき、オレの考えに沿って動いてくれる人って貴重なんだよね。禄もそうだが、珍しい食べ物や料理をあげると喜ぶので、ミレイたちがよく一緒に宴会をしているって聞いている。
この人がいないと、ほんとウチの妻たちが全部仕切っていないとダメな状態になっていただろう。
Side:
五十代に入り、まさか年端もいかぬ子に弟子入りを頼んでしまうとは。わしはこのまま弟子入りしてもよいと思うが、留吉殿は困ろうな。
関東は北条家のお抱え絵師である前島宗裕殿から南蛮の絵師が尾張におると聞き、遥々会いに来たのだ。
特に伝手もないので方々を探してみるものの、見られるのは武芸大会か清洲城であろうと言われた。秋まで待たねばならんかと思うておるところで、商家に飾られておった留吉殿の絵を見ることが出来た。
なんでも留吉殿は久遠御家中の方と聞き及び、この御方ならあるいはと弟子入りを頼みに来たのだが……。留吉殿の歳まで聞いておらなんだからの。
「雪村様! 私の師が会っていただけるそうです!」
急ぐ旅でもなく、また行先も決まっておらぬと言うと、わしは孤児院という孤児を養っておる所でしばらく世話になることになった。
関東から奥州の話をすると皆喜んでくれてな。驚いたのは鹿島の塚原殿と会うたことがあるということだ。ここの子らに剣の手ほどきをしておるのだとか。
「そうか、わざわざすまぬの。留吉殿」
留吉殿とは互いの絵を見せ合い、南蛮の絵を習いたいと伝えると留吉殿が己の師に頼んでみると言うてくれた。留吉殿の師は久遠様の奥方様である絵師の方様とのことで、会うのも無理かと思うたのだがな。
「雪村でございまする」
「久遠メルティよ。遠路はるばるよく来たわね」
青い髪には驚いたが、氏素性の知れぬ者に目通りを許していただいたことに感謝しかない。このお方が絵師の方様か。関東の絵師でも名を知らぬ者はおるまい。
「凄いわね」
さっそく絵を見たいと所望されたので持っておる絵を見ていただくが、少し驚かれた顔をされた。
「雪村殿、私、弟子入りは受けていないの。女の身ということもあって」
やはり駄目か。北条家に頼んで書状でも書いてもらうべきだったか。
「ただ、これほどの絵を描く人をこのまま帰すのはあまりに惜しいわ。尾張ではね、学校という学び舎にて武士から民まで幅広く学問を教えているわ。どうかしら。そこで雪村殿が皆に絵を教えてくれるのなら、私も絵を教えることが出来るのだけど」
駄目かと落胆したそのとき、絵師の方様は驚くべきことを口にされた。左様なことをしておるのか。足利学校のようなものか?
「左様なことでよいのでしたら、是非お願いいたします」
「そう、よかった。では当家の客人として迎えるわ」
人に教えを請うのだ。己の技でよければ教えよう。とはいえ、まさかこのような形になるとは。
「よかったですね。雪村様」
「かたじけない、留吉殿のおかげだ」
久遠家は新参ながら多くの知恵を持ち、才ある者も多く、習うのも難しいと関東では聞き及んでおった。まさかこのような形で願いが叶うとは。留吉殿のおかげだ。
「そういえば、尾張では武芸大会なる場にて絵を披露しておると聞き及びましたが……」
「ええ、秋にやっているわ。身分を問わずみんなに見せているのよ。雪村殿もよかったら出してくれると嬉しいわ」
尾張ではなんと面白きことをしておるのか。
聞けば留吉殿も孤児だったのだとか。その才を見出されて今では絵師になるべく働いておるという。
絵を描いて幾年。これほど心躍るのは初めてやもしれぬ。
◆◆
画僧として名高い雪村が尾張を訪れ久遠家の客分となったのは、天文二十二年のことだった。
当時、尾張にしかなかった西洋絵画を一目見て、叶うなら弟子入りしたいという理由での尾張訪問であったとされる。
雪村が訪れた頃の尾張では、秋に行われる武芸大会以外では書画の展示など行っておらず、雪村は方々を探して清洲の商家にて、牧斎こと牧場留吉の絵を見つけたという。
その絵を見てすぐに弟子入りするべく、留吉の住まう牧場村の孤児院を訪れた。
ただ、雪村自身、留吉の容姿や年齢などを聞いていなかったことで、まさか元服したばかりの子だとは知らず大層驚いたという逸話が残っている。
その人柄から牧場村の屋敷に住まう慈母の方こと久遠リリーに気に入られた雪村は、孤児院に滞在して絵師の方こと久遠メルティに師事することとなった。
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