第千八十話・久遠諸島の影響
Side:牧場の元孤児
「すまぬがこちらにおられる留吉様に会いたい。取次を頼む」
門の掃除をしていると旅支度をした男が訪ねてきた。門番の人が、おらたちに中に入るようにと言うので慌てて入る。近頃はいないけど、悪い人が来ることがあるからだ。
「その方なに奴だ? ここは久遠様のご領地だぞ」
「某、絵の心得があり旅をしておる者。是非とも留吉様に弟子入りしたく、お願いに参上致しました」
「弟子入り? 留吉にか?」
悪い人ならやっつけてやると皆で見ていると、旅の人はおかしなことを言い出した。門番の人も戸惑っている。
「一目お会いするだけでも構いませぬ。何卒、お願い致しまする」
丁寧に頭を下げる人におらたちは顔を見合わせた。留吉はまだ十四で元服したばかりなのに。門番の人も困ったらしく、頼まれて御袋様に知らせに走る。
「私は久遠リリー。留吉に弟子入りしたいとのことですが、どこで留吉のことを知ったのですか?」
お袋様も珍しく困った顔をしたけど、とりあえず会うことにされたみたいだ。おいらが案内して控えている中、お袋様が問うと旅の人は話をしてくれた。
留吉が清洲のお城を描いた絵が蟹江の大店の商家で飾られていて、一目で気に入った旅の人が弟子入りをしたいと来たみたい。
でも留吉だよ? 絵を黙々と描いているだけの大人しい奴なのに。
「申し訳ないけど、弟子入りは無理ね」
「一目会わせていただけませんでしょうか?」
留吉はお袋様の隣で困った顔をして控えているけど、旅のお方は気付かないみたいだ。
「留吉、ご挨拶しなさい」
「はい、留吉でございます」
お袋様に促されて留吉が挨拶すると、旅の人は動かなくなってしまった。
「この子が留吉よ。あとで絵を描くところを見せてあげるわ」
「あのような見事な絵をこのような子が描いたとは……」
信じられぬと呟いたのが聞こえた。無理もないことなんだろう。
留吉の絵は清洲の大殿様にまで褒められた絵だからなぁ。他国から移り住んだ絵師も会いに来て驚かれたことが何度かあるんだ。
「良ければ今日は泊まっていかれるといいわ。子供たちに旅の話をしてくれないかしら?」
「某でよければ」
旅の人も困ったんだろうな。留吉に弟子入りするのは歳が離れすぎているし。
留吉は旅の人に絵を見せてほしいと頼むと、互いの絵を見せ合うことにしたみたいだ。絵が好きな奴だからなぁ。楽しそうだ。
悪い奴じゃなくてよかったよ。
Side:久遠一馬
夏の入道雲が見える。青空に入道雲ってなんか好きだな。
今日は津島神社と熱田神社の関係者が来ているのだが、表情が芳しくない。同席しているのは資清さんとエル、津島のリンメイと熱田のシンディだけだ。話の内容が真剣なので、こちらは人数を限定した。
津島からは大橋さんと津島神社大宮司である堀田右馬太夫さん、熱田からは千秋さんなどが来ている。
「そう難しい話ではないんですけどね」
彼らはウチの領地での寺社、宗教の扱いについて知りたいとやってきたんだ。以前からウチの島に寺社がないというのは聞いてはいたはずだが、先日の評定で、道三さんが寺社はなくても神仏は困らないと言ったことがショックだったらしい。
「神仏については少し難しい話になります」
いい機会だ。宗教について少し話しておこう。仏教でさえ各国で違う解釈をしていることとか、世界ではまったく違う神を信じる人たちが大勢いることとか。
信秀さんたちには何度も話したことであるし、個々としては話したことのある人はそれなりにいる。とはいえ宗教関係者に面と向かって言うのは初めてかもしれない。
日ノ本の仏教は大陸経由、明確に言えば明や唐などから伝わったものだ。本来のお釈迦様が求めたものとは違う部分もある。まあなるべく客観的に語るようにするが、皆さんの表情があまりに真剣で伝え方に苦慮する。
日ノ本の仏教は良くも悪くも俗世にまみれている。僧兵などという武力を用いて民を扇動して戦をする。本来の仏教からすると本末転倒に思えるが、これも長い歴史の結果なんだよね。
「当家では古くから神仏の名を人が用いることを良しとしていませんでした。私の父は寺社そのものを建てることを禁じています」
戸惑っている。宗教のあまりの違いに。
悟りと称して解釈を変え、堕落することで寺社の存在が世を乱す原因となっている現状。坊主の堕落など珍しくない時代だが、そもそも神仏と寺社を分けて考えること自体、彼らからすると存在の否定に聞こえるのかもしれない。
それにこうして客観的に考えること自体、ないことなんだろうということは推測出来る。
「寺社がなくても神仏も人も困らぬと?」
核心に迫ったのは千秋さんだ。まあ聞きたかったのはそこだろう。寺社がなくても世が治まる。オレが今の世を変えていることを理解している千秋さんや大橋さんは、そこが一番気になるんだろう。
「さあ、それは私にも分かりません。人々は神仏を信じております。ですが坊主や神官を信じることが神仏を信じることと同じとは私は思いません。そもそも皆様のように真面目に神仏を信仰している方たちと、堕落している者たちを一括りにすること自体間違いだとも思います」
不安と安堵の入り混じった顔をしている。オレのことを愚か者と断じることもない。彼らからすると若造だからね。心の底には少なからず抵抗や反発もあって当然だ。
「お聞きになりたい核心をお話しすると、津島神社や熱田神社をおろそかにする気も潰す気もありませんよ。私は真面目に生きる者とは共に生きたいと思います。ただし、名のある寺社だからというだけでは信じることも寄進することもありませんが」
この一言で明らかにホッとした顔をした。堀田さんはあまり話したことはないが、大橋さんと千秋さんはよく話すし協力もしている。そこまで疑っていたわけではないんだろう。
ただこのふたり、オレが新しい世を見ていることを知っているので、そこに自分たちの居場所があるのかと不安になったんだろう。
「もう少し踏みこむと寺社の武装はなくすべきだとは思います。それと運営も一考の余地があるのかとは思いますね」
「寺社領のことか。確かに考えねばならんのかもしれんな。織田に従わぬのに久遠殿の知恵と技を欲するのは間違いだ。立場が逆になれば寺社とてただでは出さぬからな」
話の山場を越えたので少し踏み込むと、千秋さんがオレの言いたいことを理解して。あえて千秋さんの側から問題を指摘してくれた。
まあ織田家に近い両神社には領内の寺社から相談事もあるのだろう。
流行り病の時から両神社は変わりゆく領内で積極的に協力してきた。それ故に得たモノも多いが、なにもしていない寺社も同じものを求めると不快な思いをしていたのはオレの耳にまで入っている。
「寺社が食えること。神仏を祀り祈ることが滞りなく出来ること。これらは当然ですが、戦のない世が来たら、いかなる形で寺社は生きていくのか。皆で考えたいとは思いますね」
「他国なら難しいことになりますな。宗派が違うだけで会えば罵り、戦が起こる。とはいえ織田領内なら出来るとは思うが……」
大橋さんは千秋さんと堀田さんと顔を見合わせて言葉を選びつつ、そう口にした。
頭にあるのは本證寺とその末路だろう。守護使不入を悪用して、同じ宗派の願証寺のお坊さんや本願寺の使者すら殺してしまった。
あれでは駄目だというのは理解しているはずだ。
話をしたい。そう言えるだけ織田領は国が成熟してきたと言える。話が決裂しても一揆など出来ない体制を構築した結果だとも言えるが。
この件はこの場で結論を急ぐべきではないね。今後も話を継続することでこの場は収めるか。
時間をかける必要があるし、他の寺社も話に加えることも考えなくてはならない。
無論、領内に限定はするが。
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