第千六十五話・久遠諸島滞在中・その九
Side:滝川一益
島に滞在して今日で四日目か。昨夜のことで、いささか眠れぬ夜を過ごした。
久遠家は本来、日ノ本の外が主流となるのだ。当然ながら外に領地を広げておることは知っておった。
されど、まさかそれを日ノ本とひとつにしてしまおうと考えておられたとは……。
ここに至るまでには、わしなど考えも及ばぬ苦労の積み重ねがあったはずだ。伊豆諸島を見てもそれは察した。家屋敷ひとつ建てるとしても、あれこれと足りぬものがある地ぞ。
苦労に苦労を重ねて積み上げたものを、日ノ本とひとつにして久遠家としては本領と商いだけでよいと言えるものなのか? それで本領の者や古参の者らは納得するのか?
わしには分からぬ。
「彦右衛門殿、昨夜のこと悩んでおられるのですか?」
朝、少し屋敷を出て歩いておると、セレス様と出くわした。
「はあ、某では分からぬところも多く……」
「殿と話す場を設けましょう。ですが、その前に私から一言。私たちは子や孫が争わずに生きられる世があればいいのです。好きに楽に生きられる世がほしい。そういう意味ではワガママなのかもしれません」
天下どころか、人の上に立ち政をすることすら望まぬというのか。理解はする。殿と奥方様らはそのようなお方ばかりだ。されど……。
「苦労しますよ。日ノ本が治まっても、外つ国との争いは絶えることはないのかもしれない。明のように日ノ本より古くから繁栄をしていたところは、日ノ本の風下に立つことなど決して許さないでしょう」
そうか。日ノ本がまとまると、また別の苦労があるということか。それは確かであろう。そこをあえてこちらから領地を献上することで、苦労をせずとも生きられる世と身分を求めるとは。
「難しゅうございますな」
「滝川家や望月家は大丈夫ですよ。私たちと共にあれば。もし望むのならば上を目指してもよいのですが」
「いえ、いかような身分となろうともお供いたします」
父上は上など望むまい。わしも望まぬ。
ただ、わしは見てみたかっただけかもしれぬ。殿やお方様がたが日ノ本を治める姿を。その先にある世を。
とはいえ臣下としては殿とお方様がたに従うのみ。それが滝川一族の総意なのだ。
Side:望月太郎左衛門
ここが本領の工業村か。尾張の工業村と比べると煉瓦で建てた建屋が多いか?
職人衆が昨日からここに来ておったと聞いておるが、今日も本領の職人に学びたいとあれこれと教えを受けておる。
「ここが……」
そんな中、近習を連れずに守護様や大殿と共に入ったのは、本領の工業村でももっとも奥だ。
職人らがすっと頭を下げると、守護様は楽にするようにと声をかけた。
「いい銭じゃの」
職人が作ったばかりの銭を手に取ると、守護様は少し驚きの表情をされた。
久遠家でも秘中の秘である銭の鋳造を行なっておるところが、ここか。当然ながら、わしも初めて見たわ。
知らされておらなんだ斎藤殿と氏家殿も驚かれておる。殿がお二方には下手に隠さず見せると決めたのだが、見せられたほうは驚き戸惑うのも無理はない。
「銭も造っておられたのか」
「織田でも造っておるぞ。工業村でな。明に頼るのは危うかろう?」
驚く斎藤殿と氏家殿に大殿が真相を明かすと、お二方はいかに答えてよいのかと困った顔をした。
御家が尾張にもたらす良銭が織田の力の源泉と言うてよかろう。明から手に入れておると言うていたが、実は織田家と久遠家で造っていたとなると驚くなというほうが無理というもの。
いかに良銭を得て、領内に出回らせるか。政においてこれが重要であることはお二方も御存じであろうからな。
一方、伊勢守様は驚いておられぬ。銭の鋳造を知っておられたのであろうか? わしも誰がいずこまで知っておられるのか存ぜぬので分からぬが。
「己でつくれるものはつくるというのが久遠家のやり方、銭を造ることはさして驚きはないが……」
そのまま殿がもうひとつの秘しておること、粗銅から金と銀を得ていることを明かすと、伊勢守様も驚かれた。
「これは明や南蛮の者が日ノ本に隠してやっていることなのですよ。明を筆頭に外つ国を信じるのが危ういこと、これでもご理解していただけるかと」
わしも最初に聞かされた時には驚いたものだ。まさかそのようなことがあるとは思いもしなかった。
明や大陸の者が日ノ本から粗銅を得て大きな利を上げていたという。この話を聞くと日ノ本の敵が外つ国なのだと理解出来るというものだ。
Side:久遠一馬
工業地区の視察の一環として、粗銅から金銀の抽出と銅銭の鋳造を昨日のメンバーに見せて、技術の大切さや外国の危険性を改めて説明した。
このふたつは、そろそろ評定衆にも秘密を明かすことを以前から検討していたんだ。みんな真剣に織田家の政に参加している。秘密にしていたことも可能なものから順次開示することを信秀さんたちと決めていた。
他の人たちは硝子工房が人気だった。職人や孤児出身の子たちは硝子工房で実際に体験までしていた人たちもいたみたい。
「父上! かずま殿!」
義統さんたちと鋳造所から出て他の皆さんのところに戻ると、お市ちゃんが白い布を手に駆け寄ってきた。
「ああ、タオルですね。新しい織物です」
お市ちゃんが驚きのあまり見せに来たのは、まだ尾張には披露していないタオル地の布だった。パイル構造を持つ織物で、元の世界にあったものを参考に専用の織り機を設置して最近製造を始めたものだ。
「新しい織物か。なんと柔らかい」
信秀さんが驚き肌触りを試している。この時代は手ぬぐいだからなぁ。あれもいいものだが、タオルの肌触りと吸水力は別格だろう。
是非織るところを見たいというので見に行くと、アイムが織り機でタオルを織ってみせていた。織り機の形は、他のはた織り機より少し複雑なくらいか。
硝子とか織り機とか、分かりやすい産業がワンランク上のものであることが、誰から見ても凄いと思えるようで、武士でも職人にあれこれと質問している人がいる。
信光さんが酒造りで成功しているからということもあるだろうが、田んぼを耕すよりもものづくりが出来ないかと相談されることが少し前からある。
若い人たちは賦役で働きに出るので、年配者や子供で出来ることとか頼まれるんだよね。
まあ、実際に形にするのは、そんなに簡単なことじゃないけど。原資となる資金と働ける人員とか計画を立ててもらうとなかなか難しい。木工のような手工業で出来る仕事は回してあげるけど。
とはいえ、武士も多様化しつつあり可能性があるのは確かだ。みんな驚きや瞳を輝かせていろんなものづくりを見学している。
尾張の人にとって、ここは夢の地なのかもしれないね。
◆◆
諸説あるが、現在のタオルが発明されたのは久遠家が天文二十年頃に考えたというのが定説となっている。
滝川慶次郎秀益の著作である『天文二十二年・久遠諸島見聞記』によると、この時に久遠家で製造していたという記録がある。
発明者は織の方こと久遠アイム。テュルク系だと思われる女性で新しい織物を幾つも遺している人物になる。
タオルの語源は正確には不明だが、『多織』という言葉から『タオル』となったと思われる。
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