第千六十四話・目指す先は
Side:久遠一馬
三日目の夜だ。
今夜は義統さん、信秀さん、信安さん、義龍さん、氏家さんと、望月さん、一益さん、太郎左衛門さん、石舟斎さんで集まっている。場所は屋敷にあるオレの部屋だ。
「やはり、これは座り心地がよいな」
「そうでございますな」
義統さんと信秀さんは部屋にあるソファーの話で盛り上がっていた。
この屋敷は洋室ばかりだから、各部屋にはベッド以外にもソファーがある。尾張でも一人用の椅子とテーブルや座卓などはあるが、数人が座る応接セットのソファーはまだ持ち込んでないからな。
革製の表面と中にはクッションになるものを入れているので、座り心地がいいのがお気に召したらしい。
「では今度、献上いたしますよ」
この時代の武士の屋敷は畳が入っていない板の間が多い。清洲城は畳を入れた和室に仕立てているところがあるが、板の間を洋室として使っている部屋があるほどだ。ソファーがお気に召したのならば献上して普及させてもいいかもしれない。
「お待たせいたしました」
しばらくそんな話をしていると、メルティたちが料理と酒を運んできた。酒は清酒と金色酒などがある。料理は海産物の中華風が並ぶ。鯛の甘酢あんかけやアオリイカの炒め物だ。
「では、日ノ本の外について少しお話しいたします」
今夜の主題は宴ではない。日ノ本の外、正確にはウチの領地や勢力圏を説明するために限られた人だけで集まったんだ。
唐天竺なんて言葉がこの時代にはある。それなりに知られているのは、唐、この時代で言えば明となる大陸と朝鮮、それと天竺くらいなんだ。
あとは南蛮、元の意味は南の蛮族という意味になる、その他大勢という扱いになる。
史実では戦国末期から江戸時代初期には東南アジアに日本人街があったこともあるが、現時点ではそこまで進出していない。外の情報は明や朝鮮から流れてくるくらいで、南蛮人、いわゆる欧州人の国を知る者はほとんどいないだろう。
「当家の方針として人の多いところ、さらに国が栄えているところには領地を求めていません。伊豆諸島をご覧になられましたが、あそこのように半ば放置されているところや、原住民があまり強くないところなどに行って村を作り開拓しています」
そろそろ久遠家の実情を、それなりの立場の人に説明する必要がある。今回はその機会として集まってもらったんだ。
日ノ本だと人の少ない地域は発展出来なかった理由がある。中心地である畿内や大陸が近い西国や九州は栄えているが、一方で関東と奥州は田舎というか発展が遅れた後進地域扱いだ。
関東以北は史実から見ると大きな可能性のあるところだが、都から遠いこともあって古くから争いが絶えず、また中央の統制があまり利かない地域になる。
関東に関しては湿地や頻繁に氾濫する河川が多くあり、すぐに開拓して発展というわけにもいかない。
ただ、日ノ本の外、海外は違う。シベリアなどの気候が厳しい地域もあるが、明や欧州と比べると文明レベルが高くない地域がそれなりにある。
友好的に付き合えるところは友好を持つこともあるが、攻め落として領有化したほうがいい地域もある。
はっきり言うと、元の世界の倫理はすでに捨てている。オレたちと日ノ本が安定的に平和な世を生きるには、最低でも太平洋は日ノ本の庭にしないといけない。
義統さんと織田家の皆さんに、そんな海外での活動を説明するのが大変なんだよね。戦国時代の価値観だと未開の地を進んで欲しがる人はいない。元の世界だってド田舎よりも都会のほうが人気なのと同じだろう。
さらになるべく知られたくないウチの潜在力をある程度開示しないと駄目だからなぁ。どうなるやら。
「当家で治めているところと、現地と共存しているところ。また勝手に村を作っただけのところなどがあります」
以前織田家に献上したものより、少しだけ精巧な海図をメインにした地図を見せてひとつひとつ説明をしていく。
「なんという広さだ。尾張どころか日ノ本より広いではないか」
この話を完全に初耳なのは、信安さん、氏家さん、義龍さんだ。ここまで来てくれたのに隠すのもどうかと思ったので一緒に教えることにしたんだけど、驚きというか信じられない様子に見える。
「あいにくと明や日ノ本のような国のあるところではありません」
「それ故、好きにやれるか?」
「はい」
義統さんと信秀さんは大まかだが、すぐにウチの方針を理解してくれた。ふたりには以前からある程度のことを教えていたからということもあるのだろうが。
「大陸は古来、多くの国が興っては滅んでいます。深入りするべきではありません」
「一馬、そなたはいかがしたいのだ? 日ノ本は斯波と織田が、外は久遠で治めるか?」
さらに一歩踏み込んだのは信秀さんだった。その言葉に信安さんたちと望月さんたちの顔に緊張が走った。
今までこの手のことは、オレたちと信秀さんと信長さんとで話していたことだからな。一歩間違うと利害の不一致で争いの種になる。もっとも、信秀さんはオレの考えを読んだうえで口にしたみたいだけど。
「いえ、ゆくゆくは外も日ノ本で治めるべきでしょう。当家はこの本領と商いがあれば十分です」
「ならば、わしとそなたが生きておる間に道筋を付けねばならぬな」
凄いなと思う。それがオレと信秀さんが生きている間に終わらないことを瞬時に見ぬいた。少し困った男だと思うような笑みを浮かべているけど。
「さすがに手に余るか?」
「はい。それが一番の理由ですね」
義統さんも負けてはいない。オレたちの計画が今の久遠家でも手に余ることを理解していた。
「内匠助殿、まことにそのようなこと出来るのか? 我らはまだ畿内すら手を出せずにおるのだぞ」
すっと汗を拭いた信安さんは、半信半疑という顔で問いかけてきた。当然だ。信安さんは文官として優秀で、織田家が現状の領地でさえ治めるのに苦労をしていることをよく知っている。
妄言だと笑って当然だろうとオレも思う。
「今しばらく時が必要でしょう。されど私たちでやらねばならないのだと考えています。これからも船や武器はより優れたものが生み出されるでしょう。明や南蛮が世を制してからでは遅いのです。まあ私の妄言と思われるかもしれませんが」
「天下も日ノ本統一も、内匠助殿にとってはまだ道半ばか」
「壮大な夢だな。されど面白い」
ずっと無言だった義龍さんと氏家さん。このふたりはオレが見つめると静かに口を開いた。氏家さんの面白いという言葉が何故か耳に残る。
「某、はっきり言えば内匠助殿の心が見えなかった。それ故に、この話は面白くもあり得心がいくものがある。己で天下を取らずとも織田も日ノ本も飲み込む野心。内匠助殿らしいと思う」
信安さんから出た、野心という言葉に驚きと同時に否定する言葉が出なかった。客観的に見るとそう見えるとは思わなかった。でも事実だろう。
改めて自問自答してみるが。野心。そういう言葉も間違いではない。オレは、自分たちが安心して生きる場が欲しいんだ。
「末は天下か滅亡か。そのような当たり前をあっさりと超えたの。よいではないか。ここまでくれば一蓮托生。最後まで付き合うてやるわ。のう内匠頭」
「はっ、某も同じ思いでございます」
義統さんは、そんなみんなを見て笑い出すと己の決意を語ってくれた。ああ、この人はこうしてオレたちに気遣いを常にしてくれる。その凄さを改めて実感する。
「大丈夫ですわ。私たちは勝算のないことはいたしませんもの。それに……」
「そうであったな。そなたたちは敗北からでも学ぶ。少なくとも日ノ本の中で争うておるよりは、はるかに意義のあることじゃ」
ただ、メルティが決して無謀な夢ではないと語ると、義統さんたちは少し肩の力が抜けたように笑った。
日ノ本の人たちにとってこれは、苦難の始まりでもあるのかもしれない。でも世界は弱肉強食だ。いつの時代もそれは変わらない。
きっと、この時の決断が大きな意味を持つことになる。
そう、きっと。
◆◆
天文二十二年、六月。久遠諸島にある久遠家本邸にて、一馬から久遠家の海外領と戦略について説明があったことが『織田統一記』に記されている。
信秀や信長は以前から説明を受けていたことだが、織田家の体制も整いつつある現状において、織田家においても別格だった久遠家の現状を重臣たちにまで明かすことにしたのだとある。
一馬が世界に目を向けていたのだと明確に記録として記されているのは、この時が最初になる。
ただし久遠家の歴史研究家の間では、この戦略は一馬の先代以前からある程度あったものだろうと推測している。
もっとも、現在に残るほど多くの歴史を残すことに尽力した一馬であるが、自身より前の一族に関してはほとんど残しておらず、その理由も含めて現在も研究されている。
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