第千五十六話・久遠諸島滞在中
Side:織田信秀
朝、目が覚めると白き天井が見えた。
「ああ、そうであったな」
あまりに寝心地がいいので忘れそうであったわ。白き天井と硝子窓から差し込む僅かな日差しが、ここが久遠家の本領であると教えてくれる。
硝子窓は布で隠されておる。それを開けると、すでに夜が明けておるのがわかる。遠くには海と黒い南蛮船が幾つか見えた。
「なんと美しい町だ」
小高い丘の上にある城だ。町がよう見える。まっすぐに延びた道と多くの家屋敷があるのだ。尾張も清洲や蟹江などの町で見かけるようになったものと同じか。
「誰かおらぬか?」
「はい、おはようございます」
「白湯を持て」
「かしこまりました」
海は確かに恐ろしいと言えるものであった。されど誰もが手を出せぬ海ならばこそ、その先には得難いものもあるということか。
白湯を飲んで一息つく。奪うことばかり考える日ノ本の者には難しきことなのであろうな。
「大殿、今日のことなのですが、昼まではお休みいただこうかと考えております。皆、少し疲れているようですので」
部屋を出て案内されると広間に一馬がおった。守護様もすでに起きておられ、庭を歩かれておるとのこと。他の皆はあえて起こしておらず、寝ておる者もおるようだ。着いたのが夜分だからな。確かに少し休んだほうがよかろう。
「市はいかがした?」
「姫様は連れてきた花鳥風月と散歩に出ておりますよ。ケティが同行しています」
市は相変わらずか。船が楽だとは誰も思わぬが、疲れも見せぬとはやはり市は久遠家に嫁ぐのが定めか。
「父上! おはようございます!」
朝餉を待っておると市が戻ってきた。すっかり久遠の朝の挨拶に馴染んでおるな。よいよい。
「うむ、一緒に飯にするか」
「はい!」
そのまま椅子と食卓で朝餉とするが、朝から豪華な料理が並ぶ。焼き魚に刺身、それと玉子焼きもあるな。青菜もまたいい。
飯を食うたらわしも少し歩いてみるか。一馬らがいかに育ったのか分かるやもしれぬ。
Side:久遠一馬
翌朝、疲れているだろうと起こさないでいると、結構遅くまで寝ている人が多い。この時代の人は夜明けと共に起きるのが当然なので、やはり船旅で疲労が溜まったのだろう。
起きてきた人から順に食事にしてもらう。義統さんは早かったな。昨夜、船を下りてすぐにこの屋敷に来て休んだからだと思うが。
滞在拠点はこの洋館だ。和風屋敷もあるが港に近いのがここであることと、洋館を知ってもらうのはちょうどいいからね。
ここ久遠諸島はすでに夏だ。本土ではまだ梅雨の頃だが、ここはあまり梅雨の影響を受けないこともある。気温は二十度くらいか。窓を開けると気持ちのいい風が入ってくる。
「メルティどうだ?」
「そうね。職人は別行動でいいかもしれないわ」
みんなの様子を見つつ、今後の予定を立てる。
滞在期間は十日を予定している。信秀さんたちとウチの家臣は一緒の視察でいいが、職人衆と成人した孤児たちは別行動にするか。案内役を付けておけばいいだろう。
特に職人たちはモノを見る視点が違うので、武士たちと一緒に行動しても合わないだろうし。昨夜も夜更けにもかかわらず街灯を興味深げに見ていて、どうなっているんだと興奮気味に話していたくらいだ。
ここ、久遠諸島はオレたちで作った偽りの故郷だ。前回信長さんたちが来た時は、領民の動きや見学する場所などはすべてこちらで密かに管理していたものになる。
ただ現在の父島と母島は、本物の人間とバイオロイドや擬装ロボットが入り混じっていて、実際に生活している。オーバーテクノロジー関連は主に硫黄島においていて、こちらはなるべく普通に生活をするようにしているんだ。
「あと午後は港と町の散策で、夜は歓迎の宴にするわ」
予定はメルティと島に滞在する妻たちにお任せだ。望月さんもいるので、信秀さんや織田家の皆さんの意向を聞きながら考えてくれる。
「当家の者と職人衆はすでに港におりますな」
話を終えると、ちょうど港の宿泊所に行っていた望月さんが戻ってきた。あっちは夜明けと共に起きてすでに活動しているとは。元気だな。船酔いに苦しんでいた人もいたはずなのに。
ウチの家臣は島の人と交流して、港や町のことを学びたいと張り切っているらしい。
港では朝からオレたちの乗ってきた船団から荷を降ろす作業をしていて、活気があるとのこと。見てみたいな。実はオレも見たことがないんだよね。
Side:菊丸
「いやはや、このような町がこの世にあるとはな」
ふと思い出したのは、荒れ果てた都のことだった。流人や死を待つばかりの者が道端におる都とは正反対に思える町だ。尾張でもそうだが、町に亡骸や捨て置いたものなどが散乱しておることもない。
「何故、あのような蔵なのでしょうか?」
「その土地にあった蔵があるのでございますよ。雨が多い土地や少ない土地、ここなどは日ノ本より一年を通して暑いなど違いがございます」
与一郎が気になったのは蔵らしい。日ノ本の蔵とは見た目からして違う。何故かと案内の者に問うておる。
明では日ノ本とは違う城や屋敷だとオレも聞いたことがある。久遠家には久遠家の蔵があるということか。
民が着ておる着物も様々だ。日ノ本と変わらぬ着物を着ておる者もおれば、見たことのない着物を着ておる者もおるな。
湊には馬車や大八車が多く、南蛮船から荷を降ろす人で活気がある。武芸者として諸国を巡ってもこれほど整った町は見たことがない。
「そういえば寺がないな」
「ここには寺や神社はございません。先代様の頃に寺などを建てるのを禁じておりますので。それぞれが神仏に祈るのは勝手でございますが、寺社は不要だと申されました」
なにか物足りぬと考えてようやく分かったのだが、その問いに対する答えには、わしも与一郎も驚き信じられぬ顔をした。
「寺がないとは……」
「祈るべき相手は神仏であって坊主や神主ではありません。それがここの習わしでございます」
案内の者も皮肉を言うておるわけではあるまい。されどそう聞こえるのは、堕落しておる日ノ本の坊主どもを知るからか。
坊主どもは肉を食らい、酒を飲み、女を抱く。そのくせ事あるごとに己らの祈祷の成果ばかり主張する。
民は貧しくやせ細っておっても、位の高い坊主ほど肥えておる者が珍しくない。
「寺などなくとも国は治まるか」
いいことを知った。神仏の力と寺社は別物ということなのだろう。そのまま日ノ本に通じるかは別だがな。
そういえば一馬らは、寺社が相手でも恐れぬな。
困っておれば助けもするし、信義を持つ相手ならば話もするが。叡山のような由緒ある寺は挨拶にも来ぬと不満を口にしておると聞いたことがあるが、相手にしておらぬのはそんな理由があったか。
織田は寺社から武器を取り上げ、守護使不入も認めておらん。すべては通じるものがあると見るべきであろうな。
叡山らが騒ぎそうなことだ。一馬はいかがする気なのだ?
オレは、もっと久遠家の治め方を知るべきであろうな。それが分からなければ一馬の考えなど分かるものではない。
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