第千五十五話・久遠諸島への帰省・その六
Side:与一郎
尾張を出て九日目の夜だ。
船でも下のほうなので昼でも日が入らぬ。本来ならば上様がおられるようなところではないのだが、御自ら一切の配慮は不要と言い切り、塚原殿の他の弟子と同じところにおられる。
久遠殿は上様の身の上をそれなりの武家の出ということにして、上層の寝所を用意すると言うてくれたのだがな。
「うーむ、負けたな。この絵札は面白い」
食事を済ますと夜はすることがない。幸いなことに灯りはあるので同じ寝所を使う皆と、絵札を使う遊びを上様はされておる。皆、素性を知っておるが、幾度も旅をしたので慣れたものだ。
久遠殿からは船内での賭け事を禁じられておる。争いとなるのを戒めるためだ。とはいえこうして遊びをしておれば、尾張に戻った際に酒を奢ることを賭けるくらいは皆やっておる。
争いをすれば取り上げると言われておるので、皆、大人しいものだ。久遠殿もやり過ぎねば、そこまでうるさく言わぬからな。
「そろそろ十日でございますな。近いようで遠い」
「であろうな。日ノ本から攻められぬ程よいところと言えよう。元は日ノ本の者だと聞くが、日ノ本で争いばかりしておる間に追い抜かれてしまった。我らの祖先は罪なことをしたものだ」
兄弟子たちは上様のことをよく理解しておられる。極力無礼を働かぬようにしつつ、特別な扱いはしておらぬ。
そんな兄弟子の言葉に、上様は自戒を込めるように答えられた。久遠殿いわく、東には明のような大きな
それ故に久遠家は船を使い大きくなれたと言うておったが、上様はその苦労を察する故に日ノ本の愚かさに御心を痛めておられる。
同じことが出来るのか分からぬが、争いばかりしておった足利家を思えば愚かとしか思えぬのであろう。
「乗員、乗客に告ぐ。久遠諸島父島が見えた。到着したぞ!!」
それは突如響いた声だった。伝声管と申したか。船内の各所に声を届ける久遠家の新しき技、そこからとうとう待ちに待った知らせが聞こえた。
「着いたか!」
船内のあちこちから喜びの声が聞こえ、上様や兄弟子たちも喜び甲板に上がっていく。揺れる船内をものともせぬ上様が甲板に上がると、すでに武衛様や内匠頭様、そして久遠殿らの姿もあるようだった。
「いずこだ? まったく見えんが?」
確かに見えん。今宵は曇っておるのか星すらほとんど見えん夜だ。それでもわずかな星の光がある程度。久遠家の者はいかにしてこの闇夜で本領を見つけたのだ?
「各自、明かりを消してください」
ざわめく中、雪乃殿の命で皆が持っていた南蛮行灯の火を消すと、辺りは星明りいがいない闇夜となる。
「前方に灯りが見えるはずです。あれが本領を示す灯りになります」
ああ、闇夜に目が慣れた頃、ようやく見えた。海に見える微かな光。あれが本領の位置を示すものか。
この暗く広い海で迷うことなく戻れるとは。恐るべき技と知恵だ。
「前方に本領の船!」
「合図を送りなさい」
ちょうど雲が晴れて星の光が海を照らすと、前方に船が見えた。白い帆がかろうじて見える。
なるほど。本領の守りの船か。ということは本領からもこちらが見えておったのか。
南蛮行灯で合図を送ると、向こうも合図を送ってきたらしい。本領の船が先導するように、我らの船が進むとようやく島がはっきりと見えた。
「ああ、ここが久遠家の本領か」
感慨深げに見ておられる上様の嬉しそうなお顔が見られた。いつか行ってみたいと幾度もおっしゃられておられたところだ。臣下として上様の望みが叶ったこと、まことによかった。
Side:久遠一馬
到着が夜になった。偶然なんだけどね。風任せ潮任せで来たから。
この船から導入した伝声管で到着を伝えると、あっという間にみんなが甲板に上がってきて人で溢れた。
海も穏やかだからね。上がってくるのを禁止しなかった。みんなに見せてやりたかったのもある。灯台の光を。
余談だが、この伝声管。開けておくと声があちこちに聞こえてしまうものだ。たまにそれを忘れたのか、開けたままでいろいろ話をしている声が聞こえて面白かった。可哀想なんですぐに聞こえていることを教えてあげるけど。
噂話くらいならいいが、主とかの愚痴でも聞こえたら大変なことになるからさ。
「かずま殿、着いたのですか?」
皆さんから少し遅れて眠そうなお市ちゃんが甲板に上がってきた。
今夜もぐっすり寝ていたらしい。彼女は相変わらず酔うこともなく毎日同じ時間に就寝しているらしいからな。
なんでも食べるし、どこでも寝れる。泣き言ひとつ言わないその姿勢は立派だ。
「ええ、もう着きますよ」
「うわぁ」
すでに肉眼でも見える島の姿にお市ちゃんは喜びの声を上げた。
とはいえ上陸しても検疫を受けてもらうので、すぐに寝るというわけにいかないんだよね。まあみんな興奮していて眠気なんか吹っ飛んだみたいだから大丈夫だろうけど。
湾内に入ると、灯台と港の明かりに甲板の皆さんがまたざわめく。街灯もあるのでこの時代としては驚くほど明るいんだ。
「かがり火か?」
「いえ、蒸し石炭を作る際に得られるものを燃やしています」
気が付くと信秀さんが近くにいた。港の明かりに驚いているように見える。街灯の燃料は石炭ガスなんだけど、ガスって元が英語なんだよね。あと、ガスって言葉まだなかったはず。どう説明するべきか。石炭炎気とでもいうべきか?
なにはともあれ、船は父島の港に接岸した。
上陸するとすぐに検疫が行われる。これは蟹江でもやっているし、船に乗り込む時もしているので驚く様子はない。
ただし周りの景色には驚いている。夜の港は煉瓦造りの倉庫や蔵にガス灯の街灯が彩る、元の世界の明治後期から大正時代のような光景だ。
島の様子は、寝ずの番の兵たちが慌ただしく動いていてリアルだ。
実際、普通の人間も多いはずだからね。いつ戻ってもいいように準備をしながら待っていたのだろう。
「今日はこのまま近くで休んで、明日改めて島をご覧になっていただくということでよろしいでしょうか?」
「ああ、一切、任せる」
義統さんは町の景色に目を奪われている。
検疫の終わった義統さんと信秀さんと今後のことを相談したいんだけど。といっても時刻は夜だ。このまま休んでもらうこと以外は明日でいいか。
「まことに夜も明るいな。三郎らが言うておった通りか」
信秀さんもまた、あまり見たことがないような顔をしている。子供のような喜びようと言えば失礼になるだろうか?
島の様子は信長さんたち前回の来訪者が伝えているはずなんだけどね。夜も明かりを灯して、煉瓦で出来た建物が多いなどのことは伝わっているし。
「明かりを点けているのは、この辺りだけですね。港には夜も船が戻ることもあるので、いつでも明かりを点けられるようにしています」
船はかならずしも夜通し走るわけではない。とはいっても陸が見えない沖合いで正確な現在位置と航路を知るには、夜に天測をする必要がある。嵐とか以外ではウチは走るということにしている。
当然、夜間に戻る船もあるということだ。
待たせておくのもなんなんで、義統さんや信秀さんたちから宿泊する場所に行ってもらうか。移動は馬車で、泊まるのは身分のある人はウチの屋敷になる。
実は港には新しく宿泊施設を造ってあるんだ。最近だと織田家の船もちょくちょく来るからね。豪華な宿とは言えないが、きちんと個室になっていて布団もある。身分の低い人と織田家のキャラック船の船乗りはこちらに泊まってもらう。
まあこの宿も硝子窓があるから、豪華で快適だという評判が届いているけどね。
そっちの案内は島のみんなに任せよう。ケティは検疫と乗員乗客の健康診断をし手伝っているので、オレも最後まで残って船を降りるみんなを出迎えて説明してあげないと。
「あそこが船の荷を入れる蔵になるのですよ」
そういえばお市ちゃんがいないなと思ったら、検疫を待つ皆さんに島の説明をしていた。ほんと、こうして働くから、ウチの妻たちもお市ちゃんのことを可愛がるんだよね。
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