第千四十八話・義藤との会談
Side:久遠一馬
那古野の屋敷のオレの部屋には、エルとジュリア、菊丸さん、塚原さん、与一郎さんがいる。六名だけだ。さっきまでお市ちゃんもいたが、席を外してもらった。
久遠諸島に行く前に、一度きちんと話しておくべきだと思った。そのために設けた席だ。些細な思惑の違いが、大きな亀裂になる前に。
「上様、御身になにかあれば、天下がまた乱れます。私は今でも喜ばしいと言えませんよ」
与一郎さんの顔が僅かに強張る。菊丸さんとしているが、やはり上様なんだよね。異を唱えるだけで周りは心配する。
「無理を言うたこと済まぬと思うておる。されどな、太平の国がいかなものか見てみたいのだ」
最初に謝られるとなにも言えなくなるんだよなぁ。
この時代の身分は重い。同じ人間だと思わないほうがいいと感じるほど住む世界が違う存在だ。
そんな遥か天上世界の、武士として頂点にいる義藤さんに『済まぬ』と言われるとね。オレも困ってしまう。
「一馬、余は足利の天下を余の代で終わらせるべきかと思うておる」
吹き抜ける風は夏が近いことを教えてくれるものだった。そんな風に乗って世界に飛び立ちたいのかも。そう漠然と思ったときに、義藤さんは静かに淡々とその一言を口にした。
「そなた前に大津で言うたな。『謀叛が許せぬのならば、謀叛が起こらぬ体制を考えるべきだ』と。あれからずっと、そのことを考えておった。尾張を見て世を見てな。足利の世は鎌倉の荒れた世を治めたという意味では良かったのであろう。されどな、そろそろ終わりにするべきだ」
まさかの言葉だ。ジュリアも知らなかったはずだ。ジュリアはオレやエルとはものの見方や考え方が幾分違うが、それでも知っていたら報告をしてくれる。現にオレよりも義藤さんの気持ちを理解しているジュリアでさえも驚いている。
というか原因はオレか。ものの考え方として何度かそんなことを言った記憶はあるが。個人の忠義を信じるのも悪くない。でもね。謀叛とか勝手を出来ない体制が必要だと思うのは確かだ。
ただ、その言葉に理想以上のなにかがあるのか確かめないといけない。駄目だから終わらせる。それだけでは将軍として失格だ。
「新たな世は容易くありません。それは以前、観音寺城にて近衛殿下も申されていたではありませんか。私も同じことを申し上げますよ」
「ああ、それも考えた。だがな。武衛がいて内匠頭がいて、そなたたちがいる。今こそ好機ではないのか? いずれにせよ多くの血が流れるのは同じであろう? 誰かが乱世の責めを負う必要があるのならば、それは余が負うべきだ」
この人は本当にジュリアと気が合うんだなと思う。素直でまっすぐなんだ。謀ることも根回しをすることも偽ることも望まない。
将軍を投げ出そうとしたあの日とは違う。終わらせることをきちんと考えているのか。
迷う。どう答えるべきか。そんなことあり得ないと諫めるべきなのかもしれない。ただ……。
「上様、そのこと決して他言しないでください。まだ機は熟しておりません」
与一郎さんの顔色が驚き、いや、驚愕に変わった。信じられないというところか。足利を終わらせることを否定しなかったこと。いや、新たな世を考えていることをオレが認めたことにだろうね。
薄々感じていたんだろうとは思うが……。
「誰にも言うておらん。師には先日話したがな。母上にも近衛殿下にも言うておらん。足利義藤は病なのだ。機が熟すまでそれでよい」
とぼけて諌めるという選択肢もあった。とはいえ、義藤さんは以前からそれを理解している節があった。義藤さん次第で、織田は史実のように戦の連続になることは確実だ。
どう向き合うのか。リスクや道理を超えてひとりの人として向き合わないと、オレたちと義藤さんは大きな間違いを犯す気がしてしまった。
「あと誰が天下をまとめるか知りませんが、それが私でないのは確かですよ。そこはどうかお間違えの無いようお願いいたします」
ただ一点、釘を刺しておかなければならないことがある。いつの間にか久遠の天下取りなどという流れを作られると困る。実はこの言葉、義藤さんよりも控えている与一郎さんに向けた言葉なんだけどね。
「であろうな。そなたのことだ。天下がまとまったらさっさと隠居して消えるつもりであろう?」
「私の身分では当然のことですよ」
やはり義藤さんはオレのことを理解しているか。それなりに本音で付き合っているけど、それにしても凄い人だ。
今更、引き返せないだろう。義藤さんもオレたちも。
難しいものだね。ほんと。
Side:エル
世の中の流れが加速している。最近、それをよく感じます。
正確には私たちと近い者たちの動きが加速しているというべきでしょうか? 公方様の様子を見て、それを実感しました。
京の都では昨年決まった内裏の修繕が一部で始まったばかりです。図書寮の件も広橋公が都に戻られ、紙や墨の手配などを話し合い、これから必要な品を用意して写本を始めようかという頃。
日ノ本の中心である都でもその程度の進捗状況なのです。この時代の人から見ると、私たちと尾張があまりに速いスピードで発展をしていると感じて当然です。
公方様はその違いについて、身を以て感じ理解している様子。新たな世など夢物語と考える人が尾張ですら多い中で、確実に訪れることとして捉えているのはやはり将軍として教育されたからでしょうか?
危うい一面があるのも事実。彼が己の意思と関係なく私たちと敵対することもあり得ないことではありません。
でも、ジュリアは信じているのでしょうね。
隠れて見えないところで動くよりは、私たちの島を見せて共に生きてほしい。そんな願いを持ってのことでしょう。
司令はそれに応えて、新たな世を考えていることを認めた。
この先、どうなるのかは私にも分からないところがあります。
でも……、共に同じ未来を見ているこの方を見捨てることだけはしたくありませんね。
いずれにせよ多くの血が流れる。公方様のおっしゃる通りでしょう。私はなるべく血が流れない道を模索していますが。
このお方と一緒ならそれも出来るのかもしれない。
少なくとも史実よりは……。そう願いたいです。
◆◆
天文二十二年、五月。
足利義藤と久遠一馬が那古野の久遠屋敷にて会談を行なったことが、『足利将軍録・義藤記』に記されている。
剣の師であった塚原卜伝により一馬と出会った義藤は、一馬やその妻たちから多くを学んだと『義藤記』にあり、この時の会談に関しては義藤の久遠諸島行きについてのことで、その席で一馬は義藤に対して危うい旅だと諫めたとある。
ただ義藤は、この時すでに足利将軍家を終わらせることを考えていたとあり、『太平の国を見てみたい』と語ったとされる。
この言葉から義藤は、久遠諸島を日ノ本の外にあるひとつの国と認識していたことが読み取れ、当時の久遠家の扱いについて知る手がかりのひとつとなっている。
ちなみに一馬と義藤の関係が一番よく分かるのもこの『義藤記』で、義藤は一馬のことを身分を超えた友であったと後に語ったともある。
『足利将軍録』は、久遠家の家臣太田牛一の協力のもと、細川藤孝により編纂された足利将軍家の歴史書になる。
特に十三代『義藤記』に関しては、藤孝自身が側近として共に諸国を旅した時の記録もあり、一部記憶違いと思われる個所はあるものの、その内容は正確なもので、当時の諸国の事情がよく分かるものになっている。
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