第千四十六話・久遠諸島に行く前に
Side:久遠一馬
花火大会後の評定が行われている。
奉行や担当者からいろいろな報告がある。新領地と言える北美濃と東美濃は大人しいもんだ。
こちらが提供する食料や銭に驚き、戸惑っているところはあるが、勝てないことを理解していることと、働けば褒美がもらえることで張り切っているところもあるとのこと。
一族や家の繁栄と拡大。それは当然あっていい。定めたルールの中で競うようになってくれたらいいが、とりあえずは武力を用いないでやろうとしていることは喜ばしいことだ。
三河は東三河が織田方と今川方が入り混じったマダラ模様になっている。形勢としてはこちらが有利であることに変わりはない。とはいえ、今川もすんなりと譲る気はないことで一気に雪崩を打ってとはいっていない。
織田が有利なのは誰の目から見ても明らかで、斯波家による遠江奪還も近いのではと噂もあるが、それとは逆に斯波家は管領を狙って上洛するのではという噂もある。
この場合は東に来るのかという疑問にもなっているようで、結果としてこちらの出方を見極めようと東三河では日和見している国人衆が少なからずいる。
北伊勢は相変わらずだ。検地すらまだ終わっていない。一部では勝手に田畑を自分のモノにしようと占拠したなんて話や、賊が流れてきているなんて話もある程度だ。
開発に関しては、織田家中で意見が紛糾している。
リソースは有限なんだ。織田といえども。尾張、西美濃、西三河の辺りは主要街道がだいぶ整備されてきているが、治水のための堤防と遊水地の整備をしてほしいという意見や、川に橋が欲しいといった意見はたくさんある。
また街道にしても整備していない場所は廃れるわけで、そちらも整備してほしいと陳情が出ている。
費用対効果や必要性を知るには現地調査が必要だが、末端の文官は相変わらず足りない。また折衝という経験の乏しいこの時代の人は、家柄や権威の有無で優先順位を決める傾向にある。
それは元の世界もそう変わらないけどね。
どこから手を付けて、どの程度予算配分するのか。これは当分、ウチで関与して調整しないと駄目だろう。実現不可能なことを求める人もいるんだ。
外交関連では三木家の報告もあった。姉小路を差し置いて根回しをしていること、あわよくば独立を狙っていることなど、三木の根回しのほぼすべてが報告として上がってきている。
ただ、この手の話は珍しくない。最近は減ったが尾張や美濃や三河だってある。織田弾正忠家だって、元々はそんな立場だったからね。
主家や本家から独立したい。そんな話は今でもないわけじゃない。三木に関しては放置だ。花火大会の前後に存在感を示せなかったことで評価が低い。
飛騨にまで構っているほど暇な人いないし。
「守護様と殿が一度に行かれるとは……」
「万が一ということもあります。ご再考をされては?」
そして良いとも悪いとも言えない雰囲気なのは、久遠諸島行きの件だ。留守中の体制の確認と同行するメンバーの選定。ただし、危ないと懸念する声も一定数ある。
「そうだな。危うい。わしが代わりに行こう!」
「孫三郎、そなたは前に行ったであろうが」
それに便乗して、今回も行きたいと言いだす信光さんもいる。まだ諦めていないらしい。
まったく、行きたいと言っていた人で諦めた人もいるというのに。政秀さんは早々に諦めている。前々から次は行きたいと言ってくれていたんだが、信秀さんが留守になる以上、政秀さんが抜けるわけにはいかない。
信長さんや信康さんも残るんだけど、織田弾正忠家の最古参の忠臣であり筆頭家老である政秀さんが抜けるのは織田家の運営上無理だった。
あと船が苦手で辞退している人が何人かいる。こればっかりは仕方ないね。
Side:塚原卜伝
やはり花火は良いの。五年前の武芸大会で見た花火も良かったが、今年は花火大会を公方様と共に見られて良い思い出になった。
ただ、尾張へは花火大会を見に来ただけではない。鹿島の地で役に立つ技や知恵を学べぬかと思うて来たところもある。
「ふむ、やはり米や雑穀を蓄えておくべきか」
「そうだね。鹿島がどんな地か分からないけど、戦になれば兵糧になるし、飢饉になれば飢えをしのげる」
ジュリア殿にそのことを伝えると、少し困った顔をしつつ助言をくれた。
されど、いざ、やるとなると難しい。領内や、今まで米や雑穀を買っていたところが困ると争いになる。尾張のように米が採れる量を増やせればよいが、それもまた難しい。
にわかで学んだ知恵ではろくなことにはならぬの。半端にやらぬほうがよいかと決めると、ふと先日聞いた話を思い出した。
「そういえば久遠殿が本領に戻ると聞いたが……」
「たまには本領にも顔を出さないとね。アタシは子が出来たからここに残るけど」
学校にて剣を教えておる最中に面白き話を聞いたのだ。久遠殿が武衛様や内匠頭様を連れて帰国するという話だ。まさかと思うたが、すでに尾張では誰が共に行くのかと噂になっておる。
「先生、良かったら行くかい? 本来は、他所者は駄目なんだけどね。先生ならいいよ」
「ほう、よいのか?」
「先生には公方様と取り持ってもらったりして、何度も助けられているからね。誰も異を唱えないさ。それに明や南蛮よりは近いから秋までには戻れる。面白いものが見られるよ」
いかんな、どうもこちらの考えまで読まれておるわ。とはいえ師に己の考えが読まれるなど、当然といえば当然か。
ただ懸念は公方様だ。現にちらりと視線を向けると、行きたいと顔に書いてある。もっとも、この場で口を挟まぬのが成長の証であるの。周囲にいるのは公方様の正体を知るわしの弟子と久遠家の者だけ。行きたいと言うても障りはないのだが……。
「ただ菊丸がねぇ」
ジュリア殿もそれを懸念したのだろう。珍しく困った顔つきで公方様を見た。
お立場を考えると御止めするべきであろうな。されどこのような機会は二度とないことやもしれぬ。
「師とジュリア殿に一切お任せいたします」
「……アタシと先生から大殿と守護様に話してみるよ」
溜め息を漏らしたジュリア殿は、わしと上様を見て仕方ないなと笑みをこぼした。
いずれの心情も理解する。されど、公方様の身に万が一があれば、天下の大乱になる。わしが武衛様の立場なら止めるやもしれぬの。
いや、間違いなく止める。
「観音寺城には事後報告で済ませるしかないだろうね。船は複数で行くから、まず戻ってこられるけどさ。表向きは船に乗って関東まで行って東国の旅に出たことにしようか。航路も途中まで同じだからね」
武衛様や内匠頭様や久遠殿の困った顔が目に浮かぶ気がするの。ジュリア殿は身分より個として人を見る。久遠殿も同じであるが、ジュリア殿は久遠殿より武芸者であるわしや公方様の心情を理解しておるせいか甘い。
「菊丸、ひとつ貸しだからね?」
「分かっておる」
ニヤリと笑みを浮かべたジュリア殿の言葉に公方様は嬉しそうに答えた。
懸念は残るが……、これで良いのかもしれぬ。危ういというのならば旅とて危ういのだ。公方様の素性は今のところ漏れておらぬ様子だ。されど、いつ刺客が来てもおかしゅうないのもまた事実。
久遠殿の船ならば、少なくとも刺客が来る懸念はなくなる。
尾張に来れば分かる。すでに世は動いておるのだ。新たな世の道しるべとなる久遠殿の本領を見るのは決して無駄にはなるまい。
なにかあれば、わしが責を負えばよい。
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