第千四十五話・リースルの懸念と菊丸の思い

Side:久遠一馬


 公家衆がそれぞれの駿河と越前に戻ると、ようやく尾張は平常に戻る。


 織田家には熱田祭りと花火大会の報告が上がってきている。毎年改善しているが、それでも新たな問題点と課題が浮き彫りになる。


 オレたちには、この時代より遥か先までの歴史という膨大な知識と記録がある。その視点で見ると事前に分かっていた問題点や課題もあるが、致命的なもの以外は細かく指摘していない。


 ひとつひとつ学び失敗しながら経験することが、なにより織田家のみんなに必要なことだからだね。


 また細々とした問題に関しては解決が難しいこともある。犯罪などはその典型で、いくら文明が発展しても人が人である限りなくなることはないだろう。


 領外からの人が多く、領民も動くこの時期は犯罪が多発する。織田領の領民は他所よりはマシだが、ほんの数年前まで好き勝手していた戦国の人間だ。血の気も多いし、トラブルも多い。


 そんなこの日、リースルから表立って報告をしたいと頼まれたので資清さんたちがいる場で報告を受けることにした。


「このままでは遠からず限界が来ます。日ノ本は広く、当家の所領を合わせるとさらに広大になります。そろそろ新たな形を模索するべきです」


 リースルにはシルバーン中央管制室を任せているだけに、現状の織田家の問題点を多くの人が気付いていないことに危機感を抱いている。


「そうか、リースル。悪いけどみんなで相談して試案としてまとめて。急がなくていいからなるべく多くの人の意見を聞いて」


 問題点とは、町単位でまとまっている物流と既存の商人の連携不足だ。織田も大きくなり尾張は誰もが驚くほど発展している。それでも日ノ本の経済の中心となるにはまだまだ足りないものが多い。


 今はウチが調整しているからなぁ。津島のリンメイと熱田のシンディとかがさ。そろそろきちんとしたほうがいいと、少し前から言われていたんだよね。


「それと伊勢の桑名、安濃津はすぐにでも整備するべきです。津島、蟹江、熱田に商いが集中し過ぎです。なにかあれば共倒れになります」


「共倒れでございますか?」


 続けて指摘されたことに資清さんがその真意を問うように尋ねた。


「地揺れや津波に野分。天変地異はいつ起きるかわからないのですよ。八郎殿。伊勢は近いので、なにかあれば同じく被害を受けるかもしれませんが。それでも助かるところがあるかもしれない」


 エルやリースルたちとは、前々から話していたことでもあるんだけどね。尾張の発展は一極集中し過ぎていると。ただ、現状だとこちらが手を付けやすいところからやるしかなかった。


 そもそも、桑名に関しては織田家中では未だ警戒する声も多い。北畠に関してもね。安濃津は内陸部が北畠領になるからな。


 ただここで考えなくてはならないのは、防衛など軍事的な問題を考慮しながら経済の発展と今後の需要など見通せているのはウチだけだ。尾張の商人でさえ見通せていない。


「堺がもう少し大人しゅうしてくれておれば良かったのでございますが……」


 今後の見込みを大まかにだが知っている湊屋さんは、リースルの言葉に少し困ったように唸った。


 畿内には、まだまだ大きな町もあるし商人もたくさんいる。とはいえ堺の力が落ちたことと、良銭が未だ尾張を中心に離れれば離れるほど手に入らなくなるのが現実だ。


 良銭を求めて、畿内から尾張にわざわざ品物を売りに来る商人だっている。三好に堺銭の問題点を教えて改善するための錫の提供を申し出たが、未だに動いていないことも大きい。


 堺は未だに反斯波、反織田で会合衆は固まっているからな。銭の鋳造をやらせるにしても一筋縄ではいかないらしい。


 三好はウチと違って、商人や職人を直接管理してなにかやらせるノウハウもないしね。それと堺、形式として幕府の自治領なんだよね。あそこ。


 三好としてもなかなか扱いにくい町なんだ。


 本来、銭を調達するのは幕府の役目なんだよね。ところが肝心の幕府に銭の調達能力がない。またウチや織田家のように勝手に密造しているところも少なからずある。


 もう三好が畿内で大々的に銭の鋳造をしたほうがいい気もするが、それには幕府の許しがいるだろう。ただ、利権が複雑に絡む畿内で新参者の三好が銭の鋳造をやるのは当分無理だろうね。


 無論、三好もいろいろ検討をしているようだが、もうすぐ一年になるというのに具体的な動きは未だにない。出来ないというべきだろうね。


 まあ、それが今の時代の世の中の動くスピードでもあるんだから、仕方ないのかもしれないけどさ……。




Side:菊丸


「塚原様、花火見た?」


「ああ、見たぞ。あれは凄かったの。仏様も驚いたであろう」


 学校の武道場にて子らに剣を教えておった師が、子らの問いに嬉しそうに笑うた。


 共に花火を見たくて年始のうちに師に文を送ったのだ。美濃や伊勢を旅しつつ待っておったら、伊豆から織田の船に乗り来てくれた。


 ただ、清洲城には諸国からの使者が多く、師は元来あまり目立つことを好まぬ。公家衆や近隣の使者が集まる場に出るよりはと、花火の前から尾張下四郡を旅していて、花火はオレと弟子たちを連れて少し離れた村から見ておった。


 先日には公家衆が帰ったと聞き、師は何食わぬ顔で清洲城に出向いて、しばし尾張に滞在すると言うて今に至る。


「仏様でも驚くのか」


 師の言葉に元服間近な子が思わず本音をこぼした。


「仏様ならば同じことも出来ようが、人があれほど見事なことをするとは思うまい」


 尾張の民の中には花火を見ながら拝む者もおったな。仏の弾正忠はまことに仏の力を使えると信じておる者もおるとか。


 花火が並ぶもののなき見事な技であることは確かであろう。されど恐ろしきは、それで数多の者に夢を見せて信を得ておることか。


 一向衆が織田の地では大きな力を得られず、大人しゅうしておるのも分かるというもの。己らよりも仏に近いと思える者がおるのだからな。




「菊丸よ。そなた、よき顔をするようになったの」


 見上げるとお天道様が見える。子らと別れしばし休息をしておると、師がこちらを見て声を掛けてきた。


「今でも迷い悩む日々でございます」


「かっかっかっ。わしとて同じよ。日々衰えるこの身に悩み、世を見て悩み迷うこともある。鹿島とて尾張と比べるとあまりに鄙びた地。尾張の真似をしたくとも出来ぬ」


 始めは、世を知り己を知れば、もっと己の進むべき道が見えると思うた。されど見えた先には、さらなる悩みがある。オレはそれも己が未熟なればこそかと思うておった。ところが師ですら悩むと聞いて驚きと同時に得心を得た。


「一馬らも悩んでおるのでしょうか」


「悩んでおろう。わしやそなたとは違う悩みであろうがな」


 見えた先にも悩みがある。尾張ばかりか日ノ本の光にならんとする一馬らの悩みは、いかほどのものであろうか。仮にも将軍として生まれたのだ。背負うものの重さは理解しておるつもりだ。


 オレは……。


「鉄砲や金色砲も花火も同じ玉薬か。武芸も同じなのであろうな。人を殺めもすれば救うこともあるが、もっと違うこともあるのやもしれんと思う」


「師よ……、オレは……」


「悩むがいい。じゃがの、ひとりで悩んではいかん。共に悩む者がおるのじゃ。わしもそのひとりであるからの」


 すでに捨てたつもりであった。将軍としての地位。今でもいつ退いても良いとすら思う。


 されど、近頃思うのだ。


「一馬の見ておる先にオレは懸けたいと思うております」


「わしにしてやれることは多くない。されどな。そなたが汚名を被るとするならば、わしが共に汚名を被ろう」


 一馬の目指す世のためにオレはやるべきことがあるのでは思う。


 足利家当主として、将軍として。争いのない世のために、オレはやらねばならぬことがあるのではと思う時があるのだ。


 師は、そんなオレの思いを察しておられた。


「まあ、悪いようにはなるまい。苦労はすると思うがの」


 オレは足利家最後の将軍になってもよい。


 願わくは、師と共にこうしていられたら……。


 それでいい。




◆◆

 将軍足利義藤が、将軍として自身のやるべきことを見つけたのは天文二十二年の夏頃だったと、『足利将軍録・義藤記』に記されている。


 武芸者菊丸として諸国を歩き、尾張にて暮らしたことで義藤は自身のこと、これからのことなど多くを考えるようになったとある。


 特に久遠一馬と親交を得たことで多くを学んだとされ、日ノ本の外の生まれでありながら尾張のために働く一馬の姿に、義藤は一馬の目指す先を叶えるために助けたいと思うようになったようである。


 結果として、一度は将軍を捨てようとした義藤の変化は、新しい時代を生むための大きな一歩となった。


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