第千四十話・熱田祭り・その二

Side:駿河の公家


 相も変わらず尾張の賑わいは凄まじいの。また雪斎和尚の顔色が悪うなるのが目に見えるようじゃ。


 かつて先代の斯波家当主を生け捕りとした話を嫌というほど聞かされたが、それも近頃はとんと聞かぬようになった。


 武辺者は未だに織田など恐るるに足りぬと豪語するものの、以前と違い安易に勝てると本気で思うておる者は減ったようじゃ。昨年の末には、北伊勢に万を超える兵を即座に出したという知らせがそれを後押しした。


 織田がその気になれば、万を超える兵が東三河と遠江を襲う。無論、口では戦になれば勝てると豪語する者はおる。とはいえ己以外の者が裏切ることはあり得るのではと、誰もが考え始めた。三河者は特に今川家への義理もないからの。


 遠江と駿河。悪い地ではないが、尾張、美濃、西三河、北伊勢と制した織田と戦うには少し分が悪い。さらに甲斐の武田はまさしく敵に回る。相模の北条とて和睦や降伏の仲介くらいはしようが、味方になることはあるまい。


 いかがするのであろうか。朝倉はすでに斯波と織田との和議に動いておる。和睦はそう容易いことではないが、その動きに斯波と織田も意外に悪う思うておらん。此度も越前から来た者たちが歓迎されておった。


 昨年の武芸大会にて越前の真柄なる者が活躍したことで、随分と織田家中の者らと親しげであったからな。あの姿に今川家の者らが戸惑うておったのが分かる。


 今年は今川からは身分のある者が来ておらぬ。招きに応じたという形だけ残すための者だ。ところがあまりの尾張の様子に戸惑い小さくなるばかり。しくじりを致したように思えるの。


 本来ならば雪斎和尚が来られればよかったのだが、今川を支えておるのは和尚じゃからの。そう度々尾張に来るというのは難しい。さらに毎年のように尾張に和尚や尼御台殿が来ると家中の心証もようない。


 織田の乱れを待つ。それも立派な策であろう。されど乱れるのが早いか、今川が攻められるのが早いか。いずれであろうな。


 まあ、吾は尾張の様子を戻りて教えてやれば義理を果たせる。あとは今川の者らで考えればよいか。




Side:橘屋三郎左衛門


「美味い。ただの味噌ではないな?」


「熱田名物、包み蕎麦でございます。味に関してはご容赦を」


 物売りからいい匂いがしてひとつ買うてみるが、豆味噌の塩気になにやら甘みが感じられる。蕎麦を粉にして薄く焼いたものに、その味噌を塗って折った料理だ。


「これも久遠料理か?」


「もとはそうだという話でございますよ。もっとも、これはそれを熱田の者が真似て作ったものでございますが」


 尾張に来て驚いたのは飯が美味いことか。朝倉様の使者と共にきたことで出された飯が美味いのは当然のことかもしれぬが、それにしても美味すぎる。


 領内はいかになっておるかと許しを得て歩いておるが、市井の民ですら、かようなものを食うておるのか。


 さすがに民は越前と変わらぬかと思うておったが、それすら違うとは。驚きを通り越して信じられぬほどだ。


 熱田では町の中にも道端に物売りがおり、料理を売る店が幾つもあるが、皆、多くの客で賑わっておるな。つまり民がそれだけ銭を持っておるという証。


 越前とて豊かな民はおる。されど人の多さと賑わいは負けておるな。


 この国には、いかほどの銭があるのか。そう容易い話ではないものの、民がこれほど銭を持つということは、織田はさらに多くの銭を持つということ。


 わしは朝倉家の宗滴様より、商人として尾張を見聞して参れと命じられておる。宗滴様は懸念をされておったのだ。織田は朝倉より遥かに力があるのではとな。まさかと思うたが、その懸念正しかったのかもしれぬ。


 先日行った蟹江の湊町にも驚かされた。立ち並ぶ倉と多くの船。あの町が数年で造られたと聞いた時には、いかほどの銭を使うたのかと考えて恐ろしゅうなったほど。


「商人様、おいしいよ。買っていって!」


 目当ての物売りは、あまりの人に兵が守っておるほどであった。ここが噂の久遠の商いか。わしが近寄ると小さな娘が一枚の紙を見せてくれた。売っておるものが書かれてある。


「ほう、安いな」


「ひとりでたくさんは買えないけど、おいしいよ」


 この娘、なかなかいい着物を着ておる。久遠家中の者か。下男や下女を見ると、その家の事情がわかるというもの。見栄を張り威張っておる者でも、下男や下女がみすぼらしければ家の懐事情はたかが知れておる。


「知らんものも多いな」


「うんとね。甘いものが好きなら、これとこれだよ。とっても美味しいんだよ。でもね大人の人には金色酒とこれも評判なの」


 話しておると娘が食べたことがあることが分かる。酒はまだ早いと飲ませておらぬらしいが、菓子と料理はすべて食べたことがあるとのこと。このような娘にまで珍しき料理と菓子を食わせるというのか?


「そうか、これは駄賃だ」


「ありがとうございます!」


 ああ、よく教えを受けておるのが分かる。こちらの聞きたいことをきちんと教えてくれた。しかも駄賃にと僅かな文銭を渡すときちんと礼を言うたわ。


 南蛮からきた氏素性の怪しい者らだという噂もあるが、考えを改めるべきだな。そこらの武士よりしっかりしておる。


 わしは娘に勧められた料理と菓子を頼んだ。なんといい匂いだ。焼きそばというたか。麺を焼いたものらしいが、門外不出の秘伝のたれが美味いという。


 なんだこれは!? 味のたとえがまったく思いつかぬ。いかなるものを使えばこのような味となるのだ? 細い麺に程良ほどよく絡むたれに、野の菜か? なにやら入っておる菜のものと肉がまたいい味を出しておる。


 ああ、美味い。供をしておる家人も夢中で食うておるわ。


 このようなものを民に食わせておるとは……。ただの酔狂か? いや、それだけの力があると示すためか? いずれにしても甘く見てよい相手ではないな。


 菓子は羊羹というたか。先ほどの娘の好物らしい。


 ……なんだこの菓子は? これほど甘い菓子を貧しそうな民が食うておるのか? 小豆がまた甘もうて、いかんとも言えぬ味だ。


 これだけ豊かな地は初めてだ。越前などより遥かに豊かなのであろう。これが久遠の商いの力か? いや、明や蝦夷の荷は、数はともかく越前にも入るのだ。これほどの差が出るとは思えぬ。


 それだけではない。かように豊かな国なうえ、戦にも強いと? 敵に回してよいとは思えぬ。加賀の一向衆も恐ろしいが、所詮は烏合の衆。貧しさで飢えた獣と同じだ。


「美味いねぇ」


「ああ、久遠様のおかげだ」


 ふと隣で食うておる男どもの会話が聞こえた。すっと背筋に冷たいものが流れる。


 ここに集まる民が久遠や織田に恩義を感じて、戦となれば死に物狂いで戦うのではないのかと思えた。織田はその気になれば、いつでも万を超える兵を集められるという。そのわけが分かった気がした。


 いかんな。なんとか久遠様と会うて商いを出来ぬものか。このまま空手からてで帰るのはあまりに惜しい。


 そういえば真柄の悪童が、以前久遠の世話になったと旅の最中で言うておったな。少し頼んでみるか。


 上手くいけば真柄家にも礼を弾むと言えば嫌とは言うまい。




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