第千二十九話・春の日のこと

Side:久遠一馬


 伊勢志摩を織田が得たことで、伊勢神宮との交流も新たな段階が始まった。もともとあの辺りは伊勢神宮の領地だったところも多く、現在も神宮領であるところがある。今後どうするのか、また織田の統治を説明する必要がある。


 格差が広がると不満が出る。理想はこちらに神宮領を渡してもらって、寄進という形かな。ただ神宮とは以前から良好な関係なので話は出来る。今しばらく成り行きを待つことになる。


「かずま殿の番でございます」


 気持ち春の日差しの下、オレはお市ちゃんとリバーシをしている。エルたちと一緒にいる時間が多いせいか、ちょっとおませな子供だ。


 最近は学校に行く日も多いものの、学校帰りには必ずウチに寄っている。


 それと最近、お市ちゃんがオレに嫁ぐと噂になっているのを小耳に挟んだ。歳が離れているのにお市ちゃんがかわいそうだ。さすがに自由恋愛は無理でも、同じくらいの歳の人と結婚して幸せになってほしい。


 他家への政略結婚は反対する。今の織田に必要ないしね。


「今日はなにを学んだのですか?」


「和歌を学びました!」


 午後のひと時、学校帰りのお市ちゃんと学校での出来事を話すが、なんかお父さんにでもなった気分だ。いずれ反抗期がくると変わるんだろうな。そうなるとちょっと寂しいかもしれない。


 学校にはたまに行ってオレも授業をしている。そんなに難しいこと教えてないけどね。アーシャに頼まれて織田領の統治について話したりしている。あとは命の大切さを教えてもいるね。


 それと、学校では今年の正月から気象観測も始めた。ウチで作った温度計とこの時代でも作れる湿度計である毛髪湿度計を設置して、天気と温度と湿度を記録しているんだ。


 アーシャの提案で、領内の各城でも今後気象観測をする予定になっている。


 こういう積み重ねが大切なのはこの時代でも分かってくれる。織田家の体制も落ち着いたことで一歩進めたんだよね。


「あすは学校の皆と牧場に行くのが楽しみでございます」


 ああ、学校の授業として牧場にも行くんだよね。馬・ロバ・牛・豚・山羊・鶏と、結構な家畜もいるし、牧場の農業についてもある程度は教えるらしい。


 少し前まで乳母さんを振り回して、好きな所に突撃していた頃が懐かしいなぁ。


 学校では今も生徒が増えている。増築した校舎も完成しているので、大まかだが年齢毎で分けた授業が出来るようになったんだ。


 評判も上々なんだよね、学校。もともと各家で教育をして育てていたが、集団生活という点ではあまり経験を積めない。さらに高度な教育も受けられるということで、武士や商人には評判がいい。


 一般の領民は読み書きが出来ると満足する程度だからね。各地の寺子屋が中心になっている。まあ識字率が上がっているのは朗報だろう。




Side:冬


「妊娠しているよ。まだ二ヶ月だけど」


 熱田に遊びに来たらシンディから月のモノが来ないと相談を受けて診察すると、妊娠していることが発覚した。


 当然ながら仮想世界のアンドロイドに月のモノはなかった。


 この世界に転移してから、次世代継承の最たる印として私たちにその現象が現れた。面倒に思うこともあるが、その印は、私たちがこの世界で生きることを許された証のような気がする。


 無論、本当のことは分からない。ただ、シンディもエルとジュリアと同じように今を生きる命として新たな命を宿したことは間違いない。


「そうなのですね」


 エルとジュリアに続き三人目だ。もっと喜ぶかなと思ったけど、意外と神妙な面持ちだね。


「嬉しくないの?」


「もちろん、嬉しいですわ。ただ、命を授かったのだなと思うと、なんとも不思議な気持ちになるのよ」


 愛おしそうにお腹に手を当てるシンディは、かつてより大人に見えた。こっちに来てから落ち着きが出たと評判なのよね。


「それにしても、ここも忙しそうだね」


「ええ、今や日ノ本の商いの中心が尾張と伊勢ですから」


「人、増やすべきだよ。茶の湯の指南役も忙しいんでしょ?」


「ええ、さすがに人がほしいですわね」


 私たちアンドロイドも、個性があってそれぞれでやり方に違いはある。エルのように変わらず役目を果たすタイプもいれば、メルティやシンディのように趣味を生かしたタイプもいる。


 シンディとすれば好きな紅茶の布教をしただけなんだろうけどね。今やシンディの流儀がひとつの形なっている。


 武士や奥方の嗜みのひとつとして人気で、熱田の商人衆の中には商用マナーみたいな扱いにすることで、元祖シンディ流が流儀を発信する最先端の地『熱田』としての格上げを考えるようになっている。完全に堺の向こうを張ったやり方よね。


 無論、それはシンディが望むはずもなく止めているけど。ただ、育ち始めた文化は今後に影響を及ぼすと思う。


「またじゃんけんかな? 滞在組、人気なんだよね」


 何不自由ない宇宙要塞よりも、人目がない時はオーバーテクノロジーを使える久遠諸島よりも、不自由な本土滞在が私たちアンドロイドの間では人気になりつつある。


 リーファのように船に乗っていられればそれで満足な子もいるし、好きな研究をしていたいだけの子もいるけど。


 でも、誰が来るんだろう? 私たちは春が上手く立ち回って尾張滞在に成功したんだけど。例外なんだよね。


「侘び寂びの茶の湯も、もう少し皆に知ってほしいですわね」


「ああ、あれね。司令があんまり好きじゃないやつね」


「政に利用しなければ、不要な格式が定着することはないはず。あるがままに、もてなしの心があれば、侘び寂びの茶も受け入れられるはず。本来の侘び寂びは決して悪いものではありませんから」


 シンディも本当にお茶が好きだよね。熱田の屋敷の仕事も忙しいはずなのに。


 妊娠の報告はもう少し先かな。でも意外にみんな勘がいいんだよね。すぐにばれそう。




Side:九鬼泰隆


「腹を切らねばならんと思いました」


「久遠殿は腹を切ることなど望まぬよ。罪は生きて償えというお人だ」


 蟹江にある佐治殿の屋敷に子が生まれた祝いを届けに参ったのだが、臣従する際に懸案となっていた海苔の養殖について佐治殿に再度謝罪をした。


 養殖は臣従後、正式な謝罪と賠償をすることで許してもらっておるが、こういう機会に頭を下げておくほうがよい。


 佐治殿は意外にも寛大な様子で、気持ちは分かると言うてくだされた。もっとも、あれは久遠家の技、許すも許さぬも久遠様次第であったとも言われたがな。


 夜分に密かに近寄り技を盗み、勝手に模倣した。気性の荒い相手ならば戦になっておろう。こちらとしては、上納金を払えといわれるならば従うつもりであった。ところが久遠様はやめろと言うばかりであったからな。


 もっとも、海苔の養殖をするいかだを壊されることは考えておっても、さすがに北畠家に臣従する我らを攻めてくるとは思わなかったが。それも今思えば大きな過ちだ。力の差を考えると恐ろしゅうなるわ。


「志摩の水軍衆に恨みなどないが、安易に許しては示しがつかん。大海たいかいの向こうに本領を構える久遠殿も大変なのだ。船と商いがなくば生きてゆけぬ」


「存じておりまする。寛大な処分、感謝しております」


「あまり悲観するな。織田家では我ら水軍と久遠殿の海軍に分けたが、役目も仕事も人が足りぬほどある。暮らしは楽になる。今までと違うのだ、すべてがな」


 志摩の水軍衆の中には臣従をしてよかったのかと案じておる者もおると聞くが、致し方ないのだ。北畠家が戦う気がない以上はな。


 それにしても佐治水軍は、かつては我らと大差なかったというのに、今では関東から久遠様の本領まで、途上の水軍水賊など物ともせず出張って行くという。羨ましいのが本音だ。


 今更、わしなどが立身出世出来るか分からぬが、働かねばなるまい。俸禄を頂く分くらいはな。



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