第千三十話・変わらぬ者

Side:久遠一馬


 北畠に出した援軍に対する対価は、安濃津と長野領の伊勢街道から海側の地域になった。


 伊勢街道から海側の地域はほぼ水軍衆の領地で、もともと水軍衆については北畠としては放棄する前提で動いていた。臣従した長野にも同じく水軍の放棄を求めたようだ。


 それをしないと家中から不満が出るからだろうな。


 最終的には安濃津と水軍衆を放棄することで話がついた。ただし伊勢街道から内陸の地域にも水軍衆の領地はあるが、ここは織田が放棄し北畠領とした。


 水軍衆に関しては、勝手な模倣で海苔を養殖し、彼らの作った粗悪な海苔が知多海苔とか尾張海苔として畿内に出回っていた。抗議だけに留めたことも原因ではあるけど、抗議をしても続けたほうにも問題はある。


 調査した結果、水軍衆は尾張の海苔だと擬装して売ってはいなかった。ただ畿内に入るといつの間にか尾張の海苔として異様なほど高値で取引されていた。


 武田や今川への鉄などの戦略物資の不法販売と同じく、間に寺社が絡むといつの間にか尾張産の粗悪な海苔になっている。まあこれに関しては干物などもそうだ。模倣出来るものは尾張産という名で売られることが後を絶たない。


 こちらも抗議と警告はしているが、間に入る寺社は傲慢で頑なだ。


 オレとしては水軍衆の海苔の養殖くらいは黙認してもいいとも思ったが、そうはいかなくなった原因があるということだ。




 そうそう、農地をプランテーションとする政策。北畠が前向きに検討していることで六角家にも新しい試みとして説明しているが、前向きな返事があった。六角としては甲賀郡でまずは試してみたいというものだ。


「六角も思った以上に余力がないのか?」


 説明には望月さんと織田家家臣に行ってもらったが、正直、打診というより北畠とこういうことをするかもしれないと説明に行ったという形が正しい。北伊勢には六角方の梅戸と千種がいるが、織田領との格差が問題となりつつあるからさ。


「そのようですね。北近江三郡の動きもあるのでしょう」


 東海道の正常化に関しては六角も乗り気だ。八風街道も悪くないが、東海道が正常化すると六角にも利は大きい。


 とにかく人と金と物を動かして、領内を富ませるしかないことは義賢さんと一部の重臣は理解していると思う。以前織田のやり方を学んでいた蒲生さんにも丁寧に説明したし。


 気になるのはエルも懸念を示した北近江三郡だ。なにを勘違いしたのか、六角は弱っているとでも思ったのか? 北近江三郡で六角から独立しようという動きがあると報告があるんだ。


 北伊勢の件は、戦を避けて国力を落とさないための六角の戦略なんだが。


「北近江三郡も北部は朝倉と通じる者もおるのでございます。織田と朝倉を上手く引き込み、まずは六角の力を弱めたいのかと……」


 望月さんには北近江三郡の様子も少し見てもらってきたが、その報告にため息が出そうになる。


「南蛮船がある海と接している北伊勢と、近淡海ちかつあはうみがある北近江三郡を同じと考えるなんて気が知れないよ」


 いや、織田は出ないから。彼らは織田と浅井の戦からなにも学んでいないのか。


 無論、北近江三郡の国人も一枚岩じゃない。それぞれに立場と思惑がある。当然ながら親六角の勢力もいる。

 

 ただ、北近江の守護家である京極家の人が細川晴元のところにいて、彼と細川晴元が北近江三郡にいろいろと揺さぶりをかけている。


 始末が悪いのは、独立が駄目でも織田に従えば暮らしがよくなると考える人がいることか。西美濃の不破さんなんかが激変しているからね。かつての暮らしと。


 とはいえ、六角の力はそこまで落ちていない。織田と比べると改革をする余力はないようだが、旧来の体制で戦をするなら十分すぎるほどの力はある。


 そこをどう考えているのやら……。


「もしかすると六角は、北近江三郡を成敗する機を窺っているのかもしれません。ここで武威を示せば、北伊勢を譲ったことでその後の改革もやり易くなります」


 エルの言葉に納得がいった。


 あえて泳がせているかもしれないのか。史実の浅井のように勝てば、北近江にも先はあるかもしれない。とはいえ今の六角相手では無理だろうね。


 織田はかかわる必要もなさそうだ。




Side:三雲賢持


 尾張に避難しておった大島の者らが、ここ神津島に送られてきた。


 皆、生きるのに精いっぱいで、賦役もろくに出来ぬほど人が足りぬ島だけに、人手が足りぬと報告を上げたからであろうか?


 本領からきた者たちが、さっそくその者らを使うて賦役をしておる。


「殿、本領の者らは違いますな」


「ああ、わしらなどおらずとも困るまい」


 先日には織田水軍の久遠船が伊豆から米を運んできた。今後は織田水軍の船も来るようになるとのこと。あと関東から買えるものは、関東から運ぶことになるようだ。


 他には伊豆の船が来ることもあり得るとのことで、受け入れの支度もしておるな。


 代官ではあるが、いずこから手を付ければよいのかは本領の者のほうが詳しい。かの者らの進言をまとめて、尾張に戻る織田水軍や南蛮船に書状を託し、殿に報告するのが役目となりつつある。


 無論、出来ることはしておる。殿からは民にも読み書きを教えよと下命があり、わしと家臣とで教えておる。


 本領の者たちは行儀作法もしっかりしておる。母上がそれを見て、島の者らに行儀作法を教えることも始めた。


「流罪として捨て置いてもよいものを」


 ふと思う。父上の罪は重い。久遠家の者で命を落とした者さえおるのだ。されど、我らが尾張におる間も嫌がらせのひとつされたことはない。殺されたとて当然の身なのだが。


 左様な御家に仕えておるからか、わしの家臣らも海に慣れねばならんと、漁民の舟に乗り手伝う者まで出始めた。久遠家にお仕えする以上、船に乗れませぬでは恥どころの話ではないからな。


「ほう、これを作るのか?」


 しばしもの思いに更けておると、本領から来ておる職人が姿を見せた。


「はっ、この辺りはかつおがよう釣れるとのこと。鰹から当家独自の製法の鰹節が作れまする」


 久遠家の産物がこの島でも作れるのか。その許しがほしいとのことだが……。鰹をまるで木のように固くしたものだ。これならば日持ちもしそうだな。


「殿に報告致しておくが、先に試しでやってみるといい。銭はわしが出す」


「畏まりました」


 人が増えたことで塩作りも増やすそうだ。いろいろと銭もかかろう。尾張の殿の許しが出てからでもよいが、先に試すくらいはこちらでやっておこう。俸禄はいただけるが、さほど使い道もない島だ。


 そもそも本領の者のほうが古参なのだ。わしが異を唱えるべきではない。


「無理はするな。殿からはそこを厳命されておる」


「はっ」


 本領の者は職人に限らず有能な者らが多い。島の者らも驚いておったからの。とはいえ、結果を出そうと無理をするのではと案じてしまう。余計なことかもしれんがな。


 甲賀ではもう春の田仕事は終わったであろうか? 


 二度と戻れぬと思うと、さすがに寂しく思うてしまうの。



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