第六百八十話・錯綜する者たち

side:細川晴元


 六角定頼め。やはり勝手なことを始めおったな。三好のせいでわしが満足に動けぬ隙を突くとは。こちらにはうぬの娘がおること忘れたか?


「管領様、やはり浅井の顛末は六角の謀でございましょうか?」


「であろう。戦もしておらぬ六角が、何故、北近江三郡を得るのだ? かような道理に反する話は聞いたこともないわ」


 あの小童に置いていかれた者たちが、次から次へとわしに不満をこぼしにくる。世辞を述べることしか出来ぬ愚か者どもが。虫けらでももう少し役に立つであろうに。


 分かりきったことを聞く暇があるなら、動かぬか。


 六角定頼は調子に乗る浅井と織田を謀にかけて戦わせ、漁夫の利を得た。その手際は見事であった。とはいえ、わしの目は誤魔化せぬぞ。


 これで近江は奴のものとなり、調子に乗る織田に身の程を知らしめたと思うておるのであろうな。


 だが、まだまだ甘い。奴の考えなどお見通しだ。


 それにしても斯波武衛家か。まだ続いておったとはな。傀儡如きが、わざわざ生き恥を晒しに上洛とはご苦労なことだ。なにも出来ぬとは思うが、過ぎたる栄華など忘れさせて、いずれが上か知らしめる必要がある。


 厄介なのは主上が奴らの上洛を待っておることか。さすがに上洛前に手を出すのはまずい。上洛前はな。


 ちょうどよい。六角と朝倉と織田を潰し合わせるか。天下はこのわしのものだ。近江や越前、ましてや尾張の鄙者どもが口を挟むことではない。


 ふふふ。楽しみであるな。定頼め、汝の足元にもわしに通じる者がおるとは知るまい。


 せいぜい天下の夢を見るがいい。その夢が汝の終わりだ。小生意気になってきた小童も、これ以上逆らうならば替えたほうがいいかもしれん。少し考えてみるか。




Side:足利義藤


「上様、管領殿といさかうのはお止めくだされ。あの男は己のためならば平気で主を裏切る男……」


 師に会う前に恥ずかしくない己でありたいと鍛錬に励んでおると、困った表情をした細川与一郎藤孝が現れて苦言を呈された。


 の機嫌がいい時を狙ってきたな。こやつはそういう機転が利く。


「分かっておる。だが、あの小物如きにいつまでも好き勝手にさせておくわけにもいくまい?」


「侮ってはなりませぬ。亡き大御所様ですら許すしかなかった男。三好が謀叛を起こしたとはいえ、管領職の権威と京兆家の権勢、それに組する者共の力は侮れるものではございませぬ。それに……」


 与一郎は険しい面持ちで言葉を濁した。そう、六角とて何処いずこまで信じていいか分からぬ。側近どもは皆が口をそろえてそう囁く。さすがに観音寺城でそれを口にする愚か者ではないようだがな。


「与一郎。管領や守護の顔色を窺わねば、いかようにも出来ぬ将軍など、いかな意味があるのだ?」


 常々思うておったことだ。天下を統べるべき将軍が、小物のひとりに怯えて生きねばならぬ現状をな。


「上様……」


「そなたの忠義と懸念は分かる。なればこそ、余は武衛と弾正忠に会わねばならぬ。戦を望まず、領地を望まず、それでいて美濃を従えておるあの者たちが、いずこを見ておるのか知りたいのだ」


 このままではいかんのだ。父上とてご苦労をされたまま、身罷みまかられてしまわれた。今の余がそんな父上を超えることなど出来ぬことは分かっておるのだ。


「以前、うた時に我が師が言うておったのだ。尾張にて光明を見たとな。ならば余も見てみたい。我が師が師と仰ぐは織田の猶子の妻。ならば余が教えを請うてもおかしくあるまい?」


「……畏まりました」


 案じるような与一郎には悪いが、このままでは余も父上と同様に裏切りと戦に明け暮れて終わってしまう。


 我が師は諸国を渡り歩き、あの歳で光明を見たのだ。余などまだまだ未熟でしかない。少なくとも晴元と奴と繋がる奉行衆の讒言ざんげんなどよりはよほど聞く意味があろう。


 楽しみだ。願わくは、我が師に光明を見せた者と手合わせがしたいものだ。




Side:久遠一馬


 歓迎の宴はエルたちも呼ばれてみんなで出ることになった。エルたちの容姿にどよめきとまでは言わないが、固まった人が六角家重臣にも多数いた。まあ当然だろうね。


 あからさまに嫌悪感を露わとした人はいない。


 目が笑っていない人はいたが、彼はエルたちの容姿というよりはこちらを睨んでいた人だから今更だろう。あれが三雲定持らしい。


 甲賀衆であり、単身で明と交易をしているという少し変わった武士になる。明の商人にパイプがあるようで、若狭の小浜商人を使って交易をしているようだ。


 シルバーンで調べたところ、その交易が上手くいっていないらしい。南蛮人が明の商人の船を沈めた件で、堺が対応を誤ったことが原因となり明の密貿易商人が警戒していることと、ごたごたしているうちに倭寇に船と荷を奪われたようなんだ。


 三雲定持はどうもそれでウチを犯人だと決めつけて恨んでいるらしい。


 はっきり言えばウチは直接的には無関係だ。まあウチが明との密貿易をするために、明が困っている倭寇の船を沈めたり拿捕しているので、倭寇が逃げるように場所を変えていることは影響しているようだが。


 恨まれる原因はほかにもある。やはり甲賀衆をウチが使っていることに絡むんだが。今や甲賀衆と言えば滝川と望月と言われるほど有名となった。


 甲賀衆としても尾張との繋がりから得られる銭が生命線となっている。飢えることも珍しくなく、盗賊紛いのことをするか、外に働きに行かねばならない甲賀衆が、安定的に収入が得られる意味は大きい。


 最近は織田家でも甲賀衆をウチと同じ待遇で情報収集に使っているからね。尾張で甲賀者は珍しくなくなったほどだ。


 あまり影響力を表に出さないようにはしているんだけどね。甲賀に介入なんかしていないし。


 三雲は六角家への忠誠と、独自の交易で得られた資金でようやく重臣として日の目を見たのに、今や滝川と望月を筆頭に尾張からの銭で生きている人たちが多数になっちゃったからね。


 惣という自治では上下ではなく合議により運営される。無論そこには力の有無や血筋に権威が影響するが、多数派が変われば不利になるのは変わらない。


 明との交易で儲けた銭と必死に忠誠を示して地位を築き上げたのに、それがウチの資金力によって少数派となり影響力が落ちたんだ。面白くないだろうね。


 調べた限りでは周りの甲賀衆を見下しているみたいだし、滝川家と望月家の立身出世も純粋に面白くないらしいが。


「……甲賀衆も様々だね」


 ふと三雲定持と目が合った。笑っていない目でじっとこちらを見つめていた。睨んでいたと受け取っても構わないだろう。


 オレも目を離さずに三雲定持をじっと見つめ返した。動物じゃないが、先に目をそらす気はない。こいつには忍び衆がいろいろと嫌がらせや敵対行為をされている。


 すでに被害者がいるんだ。やる気なら受けて立ってもいい。


「ほう、面白いな」


 均衡を破ったのは、いつの間にかオレの隣に来ていた信秀さんだった。まるで三雲定持など眼中にないと言わんばかりの笑みを浮かべると、三雲定持は先に目をそらして軽く会釈をすると自身の席に着いた。


「面白いですか?」


「ああ、面白いな」


 ただ、ひとつ気になったのは信秀さんが面白いと笑みを浮かべていることだ。三雲定持もその笑顔に怯えたような気がする。


 というか面白いかな? こっちは真剣だったんだけど。



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