第六百八十一話・剣聖の思い
Side:塚原卜伝
「お久しゅうございます。上様」
「おおっ、師よ。よう参ってくれた!」
観音寺城に滞在二日目。わしは斯波殿や織田殿に先んじて公方様に拝謁を許された。以前お会いした時と変わらず壮健そうでなによりだ。こうして会うと若い弟子と変わらぬ若者に見えてしまうの。
「かような形で会えるとは、ここまで参って良かったぞ」
「大垣で偶然にも一行とお会いしましてな。上様との謁見と上洛をすると聞き、少し同行してみようと思うたまで。旅慣れぬ者に旅は大変でございますからな」
「師が供におれば百人力であろう」
こうしてお会いすると悪い御方ではない。わしが参ったことを心から喜んでいただいておる。ただ、今日は側近の顔ぶれが変わったな。
あまり好ましくない者らがおらぬ。朽木に置いてきたというのはまことのようだな。なんとも危ういことをなさる。
「早速ですまぬが、教えを請いたい」
「上様のその熱意。某、感服致しますが、焦りは禁物ですぞ」
「そうであったな。いかにしても急いてしまうわ」
若いな。羨ましいほどの熱意と拙速の心。されど公方様のお立場を考えると、もう少し落ち着かれてほしいところだ。急いては事を仕損じるという言葉もある。
「ああ、よいものだ。師と手合わせするのが一番、己の未熟さを思い知らされる」
久々に手合わせをするが、相も変わらず公方様の剣は荒々しく単調だ。才気は感じる。されどおひとりで修練を積み、限られた側近とのみ手合わせしておると、いかにしても単調となってしまう。
さらに控えておるのは細川与一郎殿のみか。公方様の現状が分かるようだ。
「師よ。余計な者もおらぬことだし、問いたい。余の現状をいかが見る」
「これは難しきことを問われまするな」
「そのために管領とそれに連なる者を朽木に置いてきたのだ。あの小物と武衛を会わせていいことなどあるまい?」
将軍とはままならぬお立場だ。お耳に入る話はすべて側近どもが決めておった。世の中がいかになっておるのか知ることを許されぬお立場。
わしはそんな公方様に同情してしまい、つい公方様が決して知ることのない広い世の中を少し語ってしまった。お立場では得られぬ外を求めるようになったのは、わしのせいなのかもしれぬ。
前回、お会いする前に織田の三郎殿や久遠殿としばらく共におったことで、余計に哀れに思えてしまったのかもしれぬ。
同じ年頃でありながら、片やのびのびと明日を目指しておる三郎殿や久遠殿と比べて、すでに如何ともしがたいお立場に囚われておるように見えてしまったのだ。
「危ういことをなされましたな。とはいえ恐らく正しき決断かと思いまする。管領殿と斯波殿や織田殿は会わせぬほうがいいかと某も思いまする」
そう、とても危うい。公方様の御身を危うくする。とはいえ、あの男は駄目だ。必ずや憎しみと破滅をもたらす。あれは武士ではない。
「危ういのは仕方あるまい。父上が身罷り、あの小物を押さえることの出来る者が管領代しかおらなくなったのだ」
なんと言えばよいのであろうか。わしは武芸しか能がない男だ。政のことなど分からぬ。されど……。
「近頃思うのだ。将軍とはなんなのかと。あのような小物のひとりも罰することの出来ぬ将軍など必要なのかともな。三好も許せぬが、聞けば三好には管領を恨む理由がある。余の周囲はそのような話ばかりだ」
公方様はすでにご理解されておる。足利将軍家は、最早いかにしようもないところまで追い詰められておることを。
「上様、ひとつだけお願いの儀がございます。何卒、何卒無理難題は申し付けることのなきよう伏してお願い申し上げまする」
これだけはわしが言わねばならぬ。例え、この命を今ここで終わらせることなっても。わしの責であり、役目。
今、尾張を潰すわけにはいかぬ。
「案ずるな。左様なつもりなどない。師の師を粗末に扱うなどあり得ぬ。ただ、知りたいのだ。尾張の者らがいかに考えて、いかなるを見ておるのかがな」
確かに久遠家の者ならば公方様の光明になるやもしれん。されど、誰もが言えぬ現実を語ることにもなりかねん。
わしがいかにかせねばなるまい。ここまで生きてきたのだ。今更命を惜しむ気もない。いかにか公方様と斯波殿と織田殿の仲を取り持たねば。
Side:久遠一馬
「若様もさすがに少し鈍ったね。鍛錬不足だよ」
剣豪将軍との謁見が迫っている。具体的には管領代である定頼さんの茶席での面会となる。正式な謁見にしなかったのは、あくまでも偶然会ったという体裁だからだ。
ただ、謁見の前にオレと信長さんはジュリアを相手に剣の手合わせをしていた。ないとは思うが、武芸での手合わせを
それにしてもジュリア。信長さんにも相変わらず遠慮しないね。オレ? 鍛錬不足の前に経験不足だよ。睡眠学習と身体強化に甘えたままだ。これでも鍛錬は最低限しているんだけどね。
「某からひとつお願いがございます」
一足先に足利義輝と会っていた塚原卜伝さんが戻ってきたが、なんか表情が複雑そうなんだが。
「上様におかれては恐らく答えられぬことを問われるでしょう。出来れば嘘偽りなく答えていただきたい。武衛様や織田様の益ならざることにならぬように、某が命に代えても収めます故に」
しんと静まり返った。義統さんも信秀さんもじっと卜伝さんを見ている。信長さんはジュリアとの手合わせを止めてしまったほどだ。
「このままだと天下は治まらないよ。先生。それをアタシたちに言えってのかい?」
庭で手合わせをしていたジュリアは、木刀を肩に担ぐようにして縁側に座ると、卜伝さんに単刀直入のまま語りかけた。ここ観音寺城なんだけど。危ないこと口にするなぁ。確信犯なんだろうけど。
「上様もご理解されておる。されど決断するに足るだけの世の中を知らぬ」
「同じことの繰り返しになるよ。誰が将軍でもね。また力ある者と争い、和睦して、また争う。それを止めるのは現状では無理だよ。誰にもね。アタシたちだってそんな力はない」
ジュリアは隠すとか言葉を選ぶとかしないね。でもそれが信頼される。義統さんも信秀さんも信長さんも誰も止めないのがその証だ。
真剣勝負をして互いに強い絆があるジュリアにしか言えないことだろう。
「それとこれはあとで上様にも知らせる予定だけど、西国の大内家が揺れてる。多分内乱になるよ。武闘派が収まらないだろうって話だ。大内家が揺れたら西国が揺れる。天下はこれから更に荒れるのかもしれない」
そのまま、ジュリアは現状の厳しさを伝えるべく大内家の懸念を教えると、卜伝さんの顔色が険しくなった。やはり知らなかったか。大内家が滅んだとされる史実の大寧寺の変のことなんだけど。
そもそもこの時代の感覚だと大内が揺れるというのは、あまりあり得ることと思えないんだよね。よほど詳しい内情を探っていないと。
織田家では少し前から大内家の内情が良くないとの情報を掴んでいるが、確実に危ういとなったのは今年の花火大会だ。西国から来た商人の中に博多の商人がいたが、その商人がかなり具体的な情報をもってきた。
主犯が陶隆房で主である大内義隆ばかりか、親交がある公家たちにまで敵意を向けているという話だ。どうも公家が嫌いな人らしい。
具体的に蜂起が時間の問題だとその商人は教えてくれた。商人からするとこちらへの土産話程度だったようだが、その重要性は本人が思っていた以上になる。
「それでもじゃ。上様は世を知り己の意思で道を進みたいと願っておられるのだ」
言葉の意味、この先の難しさ。理解出来ない人には思えないけど、卜伝さんは意思を変えなかった。もしかしたら、オレが思った以上に足利義輝を認めて心配しているのかもしれない。
義統さんと信秀さんはなにも言わない。無論、オレとエルも。答えは不要だろう。あとは義輝と会ったオレたちが考えて決めればいいだけだ。
問われたことに、どう答えるかということをさ。
たった一度の会見で世の中が激変するかもしれない。今までにない、ヒリヒリするような緊張感がある。
上洛するべきじゃなかったのかもしれない。
オレたちはいい。立ち回り次第でなんとかなる。ただ、多くの人の運命を変えて、命が失われるかもしれないというプレッシャーは今までにないものだ。
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