第六百七十九話・旧主との再会

Side:六角定頼


「両名ともようやった」


 尾張から後藤重左衛門尉と出迎えに行った蒲生藤十郎が戻った。ひとまずは安堵した。北近江三郡は今も小競り合いをいたす者がおるのだ。囚われた浅井家の者を奪い、諍いを有利にせんとしても驚かぬからな。


「しかし驚いたわ。塚原殿が供におるとは……」


「はっ、噂はまことのようでございます」


 公方様が自ら請うて武芸を習った塚原卜伝。その名は天下にとどろいておる。嘘かまことか、久遠の今巴に師事したと笑い話のようなことも聞いたが、まことであったとは。


 晴元めが最後まで騒いだようで、観音寺城に入ってからも公方様のご機嫌はあまり優れなんだ。公方様の側近である細川藤孝は、晴元側からの襲撃があるのではと考えたほどだからな。


 それが塚原殿の名を聞くと一転して機嫌が良くなられた。会う前に精進しておかねばと鍛錬に行ってしまったほどだからな。よほど嬉しかったのだろう。


「やはり織田は運も持っておるな。組むならば、ああいう相手を選ぶべきだ」


 塚原殿の本意は分からぬが、これで武衛殿と公方様の謁見が拗れることはあるまい。そもそも官位の受領は使者を迎えればよいだけのこと。それが上洛になったのは、主上がこの乱世で民を重んじる織田に会いたいとお考えになったことが根底にある。


 主上は天下の乱れ、世の衰退を憂いておられるとも聞く。兵を挙げて来てほしいのが本音であろうが、それが無理なのはご承知のはず。せめて直接会うて、年に幾度も贈られてくる献上品の礼を述べたいと願われたのは仕方なきことだ。


 当然、公方様もそれをご存じだ。公方様もまた戦を好まぬ織田が領地を広げ、美濃の斎藤家を戦わずして臣従させたことに衝撃を受けておられたからな。会いたいと強く望まれたのだ。


 ところがだ。武衛殿も弾正忠殿も公方様に献上品を贈ってはおるが、なにやら謁見にはあまり乗り気ではないようであった。


 畿内の争いに関わりたくない。本音はそんなところか。されど上洛して公方様を避けられると面目が立たぬのは公方様のほうだ。


 ただでさえ、仏の弾正忠と評判なのだからな。


 結局、わしが仲介してここまで持ち込んだ。最後の最後で晴元めが騒いで、いかがなるかと危惧したが、塚原殿のおかげで助かったというべきか。


 晴元は恐らく帰路で武衛殿が会いに行かねば、なにか謀を仕掛けるはず。ところがだ。一行は帰路を自慢の南蛮船を用いて帰るというのだからな。


 沈めば危うい船で帰るとはよほどの自信か、それとも晴元を嫌っておるのか。いずれであろうな? もっとも、これはわしと数名の宿老を除き、六角家家中も知らぬ秘中の秘であるが。




「よう参られたな。武衛殿」


「お世話になり申す」


 公方様との謁見は別の席を用意するが、まずはわしが一行と会う。


 斯波武衛殿、織田弾正忠殿、嫡男の三郎殿、そして久遠殿などがおるが……。噂の久遠殿の奥方はこの場に呼んでよいのか分からず、呼ばなかったのでおらぬがな。


 戦場に出ておるとは聞くが、それでも尾張隆盛のかなめの者の奥方であることに変わらぬ。下手に呼んで斯波家の面目を傷つけてもいかんからの。


「久しいの。八郎殿」


 ただ、最後にわずかだが見覚えのある顔があった。久遠殿の後ろで控えておるこの男が忠義の八郎こと滝川八郎か。正直なところ、会うた記憶はわずかにあるが、あとはなにを話したかも覚えておらん。


 随分と立派になったのは分かる。身なりも他の尾張者と比較しても変わらぬだけ立派だ。


「はっ、お久しぶりでございます」


 わしが声を掛けると、家臣たちが驚きの顔を浮かべた。顔を知る者はほとんどおるまい。三雲は睨んでおるところを見ると知っておったらしいがな。


「そなたの活躍を聞くたびに嬉しく思うておる。同じ近江に生まれしそなたが、尾張で立身出世を果たしておると思うとな」


「もったいないお言葉、ありがとうございまする」


 わしが八郎を褒めると三雲の表情がさらに苦々しくなる。愚か者が。このような場で褒めずして、なにを言うことがあるというのだ。せめて顔は敵を称えるくらいの芸当を出来ぬのか。


 ただ、そんなわしの心中を察したのだろう。蒲生藤十郎が三雲を睨むと、奴はすっと下を向いてしまった。


「惜しい男を出してしまったと後悔しておるわ。わしもまだまだ未熟よの」


「そうおっしゃっていただいたこと、生涯の誉れと致しまする」


 三雲の醜態を見たからだろうか。つい本音が出てしまった。惜しい男だと本当に思う。南蛮渡りの久遠殿に、仏と噂される弾正忠と武衛殿の信も厚い。


 若く日ノ本に来て日が浅い当主を戴く久遠家が、これほど大きくなり上手くいっておるのは八郎の手腕も大きいはず。


 もう少し家柄さえ良ければ、今頃は六角家の重臣でもおかしくはない男だ。いっそ三雲と換えてくれんかの?




Side:滝川資清


 柔らかい面持ちで語りかけてこられた管領代様の様子に、わしは一族総出で城と故郷を捨てた日のことを思い出す。見たこともない多額の良銭と倅からの知らせがあったとはいえ、かような日が来るとは夢にも思わなんだ。


 新参の家臣としてそれなりでいい。飢えて素破働きに出なくていいならば。その程度だったのだ。倅を召し抱えて頂いた殿への感謝は無論あったがな。


 先程までこちらを睨んでいた三雲定持。かつてはあの男にすら、わしでは遠く及ばぬ程度だったのだ。


 他の六角家の重臣たちは、表向きは歓迎しておる様子だ。内心では裏切り者と謗っておるのかもしれんがな。


 わしと管領代様の目通りをご覧になられる大殿と守護様は楽しげであったな。旧主に会うということでわしは少し気が重かったのだが、気が重いのは管領代殿のほうであろうと守護様は笑うておられたほどよ。


 その言葉に、かつて大殿がおっしゃっておられたことを思い出す。わしは素破如きを管領代様が気にすることはないと申し上げたが、管領代殿は気が気であるまいと言われたことだ。


 今の管領代様を見ると、大殿のお言葉が正しかったのが分かる。先ほどわしを睨んでおった三雲定持に、管領代様はほんのわずかだが不快そうな顔をなされた。


 管領代様の苦労も見えてしまったな。かつてのわしならば理解出来なかったであろう。殿やお方様がたに、大殿や守護様のご苦労を見ておればこそ分かるというもの。


 出ていった素破如きを褒め称えねばならぬお立場には、同情したくもなる。佐々木源氏嫡流として天と地ほどの身分の差があるというのに。


「久遠殿は初めての近江であろう? いかがかな?」


「近江は素晴らしきところですね。近淡海は広く、土地は豊か。それに八郎殿や出雲守殿など私の家中には近江の者が多く、まるで故郷のように親しみを覚えております」


 一通り挨拶も済み、わしに声を掛けた流れで管領代殿は殿にも声を掛けられた。その途端にまるで殿を見極めんとばかりに六角家重臣たちが見つめた。


 だが殿はいつもと変わられぬ。斯様かような場にあっても、気負うこともなく、なにかを企図きとされることもない。それ故であろうか。大きな失態などされたことがない。


 そんな殿を不気味だと語る者もおれば、たいしたことがないと語る者もおる。見た目で侮ると六角とて殿は軽々と飲み込んでしまうのかもしれぬな。


「それは良かった。出立までゆるりとされるがよい」


 管領代様は我が殿をいかに見たのであろうか? まさかとは思うが用心に越したことはないな。三雲のこともある。気を引き締めねばならん。


 現状では争う理由などないが、人が争い戦をするなどつまらぬ理由なのだ。今の織田は大きゅうなった。いつ六角と争うことになってもおかしくはない。


 ここはすでに敵地なのだと思って掛からねばならん。たとえ旧主を討つことになってもわしは久遠家のために尽くさねばならんのだ。




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