第六百七十八話・近江の地

Side:久遠一馬


 西美濃を進む一行には、是非、我が城に来てほしいという誘いが後を絶たない。基本的に効率重視で宿泊地はこちらで決めているが、それでも挨拶にと馳せ参じる者も当然いる。


 元の世界でもそうだけど、お偉いさんとの挨拶にどれだけの時間を自分のために取らせたかを重視するから、引き留めが凄い。


 まあ雨が降ったりすると近隣で雨宿りすることもあるし、予定通りいかないのもこの時代では当然だ。


 それでも旅は順調に進み関ケ原と今須宿を過ぎると近江に入る。


「某、蒲生藤十郎がもうとうじゅうろうでございまする。この先はお任せくだされ」


 近江に入ってすぐに出迎えがいた。しかも大物だ。蒲生藤十郎定秀さだひでさん。六角家の重臣の中でも管領代である定頼の信頼厚い人だ。史実で六角六宿老と言われた蒲生賢秀がもうかたひでの親父さんになる。


 出迎えに来るような身分ではない。とはいえ北近江三郡は浅井家の大敗でまだ揺れているからね。生半可な人がくると、一悶着あるかもと不安もあったんだが。


 六角家から使者として尾張に来た後藤さんもオレたちと同行していて、蒲生さんと会ったことでホッとしている様子でもある。


 実は今回の旅には浅井久政と家臣たちが一緒に連行されているんだよね。なにかあれば大変なことになると随分気を使っていた。


「良しなに頼む」


 義統さんが軽く挨拶をして、一行は蒲生さんの護衛で一路観音寺城に向かう。


 特に代わり映えのしない景色だ。山か原野か田んぼがある景色が続く。たまに立派な建物があれば寺社だったという程度。


 しかし、今須宿を離れると一気に道が悪くなった。


 極論を言えば、人が一人と馬一頭が歩ければ、街道に支障がない時代だ。織田領は西美濃を含めて、周囲の草を刈ったり道の凸凹を改修したりと、整備を賦役で行なっている。さらに気の利くところでは、領民が自発的に保全作業をしているところもある。無論、村の近くだけだが。


 それと比較するわけではないものの、今須宿を離れた途端、人と馬が踏みしめた跡が道としてある程度だった。季節的なものもあるのだろう。雑草なんてすぐに伸びるからね。


 まあ、正直なところどこもこんなものだ。ただ、さすがに東山道は人がすれ違える程度の広さがあるところもある。山道は獣道程度のところもあるが。


「おお、あれが近淡海か!」


 代わり映えのしない景色が変わった時、一行から驚きとも喜びとも言える声が上がった。太田さんはその正体を口にして嬉しそうに笑みを浮かべている。


 近淡海。元の世界で言う琵琶湖だ。太田さんはさっそく慶次にスケッチを頼んでいる。


 余談だが、太田さんの道中記は織田家中で人気なんだよね。今回も記録係として来ているけど、太田さんの指名で慶次が同じく記録係として同行している。メルティ仕込みの写実的な絵が人気なんだ。


 思っていた以上に大きいなとオレでさえ思う。戦略的にも重要な琵琶湖は水運を担う湖賊の活動も盛んで、近江の力の源泉でもある。


 元の世界では、日本海と琵琶湖を繋ぐ運河を築きたいという話が何度かあったとされるほどで、早くから確立していた日本海航路と京の都や畿内を結ぶ重要な水運でもある。


「帰ってきた……」


「我が故郷だ……」


 蒲生さんが気を利かせて琵琶湖が見えるところで休憩にしてくれた。みんな景色を楽しんでいるが、感極まった様子なのは浅井家の家臣の皆さんだ。琵琶湖を見て涙を流している人たちもいる。


 一度の戦で家の命運を左右することなんて滅多にないとはいえ、捕まったら終わりだ。身分が高いと生かされることもあるし、身代金目当てに生かされることもあるだろうけど。


 ただ、浅井家の家臣たちは死を覚悟したはずだからね。


 織田に捕まった時点ですでに武士としては死んだも同然だけど、それでも生きていれば先がある。ましてや、この人たちは単に浅井の戦に参陣しただけで、変な謀や策に関わっていなかったから、近江に返されるのだから。




 近江に入ってしばらくすると、エルたちのために輿が到着した。ここまでは馬に乗ってきたんだけど、六角家が気を利かせてくれたらしい。輿が使える、つまりここからは道幅が格段に広くなるんだ。古くから栄えている地なんだなと実感する。


 実は織田家中でも彼女たちの上洛同行には賛否があった。理由は単純に危険だということだ。ジュリアがいかに強くても、多勢に無勢では危ういのではとの意見は当然あった。


 六角を敵に回しても捕らえたいと考える者がいてもおかしくない。まあ最終的に信秀さんはオレたちの判断に任せてくれたけどね。


 エルは単純にオレが心配だったんだと思う。自分と戦闘型のジュリアと医療型のマドカがいれば、最悪でもオーバーテクノロジーを露見させずに尾張に戻れるとの自負もあるんだろう。


 信秀さんには、京の町と畿内が見たいので同行したいと語っていたけどね。多分、信秀さんには心配していたことがバレている。


「あれが、観音寺城でございまする」


 近江に入り幾日か過ぎた頃、六角家の観音寺城に到着した。少し懐かしそうに見ている資清さんの表情が印象的だ。かつての主君の城。まさかこんな形で来るとは思わなかったんだろう。


 しかし凄いね。四百メートルほどの山ひとつがそのまま城になっているよ。土塁や石垣もあるんだろうか? たくさんの曲輪が山に縦横無尽に築かれて砦のようなものも幾つもある。観音寺城に関しては去年から改修をしているという知らせが入っていたが、現在も改修しているようだ。


 どうも清洲城の大規模改築と鉄砲の成果を知っての改修らしい。史実でもこの前後に観音寺城が鉄砲の対策として改修していたというから、それに準じるものなんだろうが。


「さすがに賑わっているね」


「管領代様は商いの力もご理解されておるお方でございますからな」


 正直、近江に入ってパッとしない町や城が続いていたが、観音寺城は別格だ。しかも城下町もあって賑わっている。


 清洲と少し似ている気もする。城とか風景ではなく概念というか考え方が。絶対的な籠城を目的とした城というよりは、政治・経済をも考慮したバランスのいい城という印象だ。


 城下には町も整備されていて東山道を行き来する人が立ち寄っているし、家臣の屋敷もあるみたい。


 実は史実で安土城があったのは、ここのすぐ近くになる。琵琶湖を押さえて近江を支配するには絶好の場所なんだろう。


「殿、公方様、すでに観音寺城に入られておるようでございます」


 一行が城下町に入ると、密かに忍び衆の報告が入った。蒲生さんと護衛の兵に気付かれないように、人混みに紛れて接触したのか? 凄いな。


 資清さんが報告してくれたことを、そのまま信秀さんと義統さんにも報告するように指示を出す。信長さんはいつの間にかオレの横に馬を寄せて聞き耳を立てていたので、目配せだけだ。


 しかしまあ、本当に信秀さんたちに会うために観音寺城まで来たんだね。足利義輝は。


 将軍が守護やその臣下に会うために、わざわざ出向いたなんて驚きだ。史実を見ると、足利義輝は権威と権力にもっと執着するかと思ったんだけどね。


 なんというか足利将軍家の者としての責務というか義務で動いてはいても、本人自体はそこまで頑なではないのかもしれない。


 そういえば卜伝さんがちらりと言っていたね。武士しての義輝と将軍としての義輝は別なのだと。武芸を好み己の武芸を極めんと努力するのも一面ならば、将軍として考え動くのもまた一面なのだと。


 卜伝さんは少し同情的だったようにも思える。武芸の修練の時だけが、義輝をひとりの武士に戻す時なのかもしれない。


 さて、歴史にないこの対面が、今後にどう影響するのかね。西では大内が滅ぶのも近く、東では武田と今川が生き残りをかけて戦うだろう。


 動き出している世の中は、オレたちにも止められない。


 精いっぱい生きるしかないんだ。なにがあってもね。





 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る