第五百八十一話・食文化普及のために

Side:久遠一馬


 大垣の支援として、金生山かなぶやまの石灰岩と大理石の本格的な採掘に関する支援策をまとめた。


 金生山の採掘現場の本格的な露天掘りによる開発計画と、運搬するための道と河川湊の整備などになる。水運を使える場所は水運で行うが、陸路の部分は将来的にはトロッコや鉄道馬車を用いるのもいいだろう。


 まあ現状では山の開発と最低限の道の整備が必要だね。


 大垣の場所は西美濃のど真ん中なので、これにより西美濃での織田の賦役を本格的に始めたい。四年前には大垣城の改築などを賦役でやったこともあるが、あれから随分と情勢も変わっている。


 西美濃では未だに西美濃三人衆である安藤と稲葉などの独立領主も多い。斎藤家の臣従も近いことだし、織田に従う者と従わない者の違いを西美濃に明確に示す必要がある。




 テーブルの中央にはグツグツと煮えている土鍋がある。テーブルの真ん中には小さな火鉢を埋め込めるようになっていて、その上に元の世界でよくみるような鍋料理用の土鍋が置かれていた。


 鍋を囲んでいるのは、オレ、エル、パメラ、鏡花に、信長さんと信康さんと義龍さんになる。


 テーブルはもちろんこたつだ。信長さん信康さん、義龍さんは次回の評定の打ち合わせのためにウチに来ているんだけど、ちょうどお昼なので昼食を出した。メニューは寄せ鍋だ。


 信長さんはよくウチでご飯を食べるので珍しくないだろうけど、信康さんと義龍さんはテーブルとして使えるこたつと、この時代では見ない鍋料理用の土鍋を物珍しそうに見ている。


 余談ではあるが、現在尾張には椅子と食卓がセットのテーブルと、床に座って使う食卓がある。ウチではさらに、冬場はこたつとして使えるものを特注で頼んで使っているんだ。


 テーブル自体は相変わらずそれなりに売れているみたい。尾張ではなかったものだが、武士や寺社などを中心に広がっているようだ。


「そろそろ食べ頃です。与次郎様と新九郎殿はお取り致しますね」


 信長さんはすっかりウチの流儀に慣れているので、自分で鍋から食べたいものを取って食べ始めるが、信康さんと義龍さんはそんな習慣がないので戸惑っていて、エルが取り分けている。


 何度も説明しているけど、この時代では食事は基本的にお膳だ。食卓がないので鍋をみんなで囲むなんて経験がないんだろう。身分が低かったら囲炉裏鍋の経験があるだろうけどね。


 ただ、最近はウチのやることにいちいち疑問が出なくなったのは楽になったね。久遠家のやり方と言えばみんな一応納得してくれる。


「そういえば鏡花よ。南蛮船の解体はいかがなっておる?」


「順調ですえ。みんなやる気があるから、物覚えがええですわ」


 取り分けるのを見計らってオレたちも自分で鍋から取って食べて始めるが、信長さんが鏡花を見て昨年の本物の南蛮船、二隻のキャラック船のことを思いだしたのか現状を聞いていた。


 鏡花は普段は蟹江の屋敷にいることが多いからな。実は蟹江に造っていたウチの屋敷が、昨年末に完成している。蟹江を任せるミレイとエミールも正月に尾張に来て以降はそのまま蟹江に滞在しているので、現在は三人が蟹江に滞在しているんだ。


 特に鏡花は船大工たちに対して南蛮船の解体などを指導していて、今後は解体した南蛮船を用いて尾張で南蛮船を造るべく指導と研究をしていく予定だ。


 肝心の解体している南蛮船も、補修と改修をして運用する予定になっている。佐治水軍にはキャラベル船を貸しているし、南蛮船の操船を出来る船乗りも増えていることが理由だ。


 そこまでいい船じゃないらしく、部材を新しくするなど手間もかかるらしいが、経験と割り切ってやってみることにした。


 使用目的は関東への交易かウチの島との定期船に使うことになるだろう。昨年の島への旅で久遠船は苦労をしたが、それでもまた行きたいと訓練に励んでいるからね。


 佐治水軍にも大型船が必要なんだ。最悪、大型船の訓練に使えればいい。


「お豆腐、美味しい~」


 一方パメラは、程よく味の染みた木綿豆腐を頬張り笑みを浮かべていた。こうして見ると医師には見えないね。


 ただ、豆腐は本当に美味しい。程よい硬さがあり、ちゃんと大豆の味もしてダシが染みていて美味しいなぁ。


「今日の豆腐は、若様が清洲の豆腐屋から買ってきてくだされたものなんですよ」


 オレもパメラにつられるようにハフハフと熱々の豆腐を食べていると、エルが今日の豆腐について教えてくれた。


 あそこの豆腐かぁ。どうりで美味しいわけだ。実は少し前から清洲に豆腐屋さんがある。作っているのは忍び衆の年配の人なんだけど。


 経営はウチになるのかな。資金も材料もウチが用意しているし。


 忍び衆も増えているからね。食文化の多様化のためにも、彼らの仕事を増やしてやるためにも豆腐屋を出したんだ。


 メニューは絹ごし豆腐・木綿豆腐・油揚げ・凍み豆腐・豆腐の味噌漬けに、副次生産物の雪花菜おからとなる。


 時代的に豆腐は高級品なので、そこまで安くはしていない。手間がかかるし、にがりも使うし燃料代とかかかるからね。


 他にも堅豆腐とかも教えてあるので、落ち着いたらいろいろ試して売ってみてどれが売れるか見極める必要があるだろう。


 でも豆腐屋の売れ行きは悪くない。織田家はもちろんながら、寺社とかも買ってくれるんだよね。領民は奮発しないと現状では雪花菜以外は買えないけど。


 元の世界では江戸時代半ばまでは高級品として庶民には手が出なかったものだが、こういうこの時代でもあるものを普及させていくことも意義があることだと思う。


 凍み豆腐と豆腐の味噌漬けは保存も出来るので、最近増えている近隣からの商人にも売れると考えている。雪花菜は安価で栄養面も優れているが、日持ちがしないし、調理法つまり食べ方が広まっていないので、大半が牧場に運ばれている。


「豆腐屋は久遠殿の店だと聞いたが?」


「ええ、銭の面ではウチで出していますね。年配の者の仕事にいいかと思いまして」


 寒い季節なので温かい鍋物は本当に美味しい。椎茸も入っているし、昆布でとった出汁もいい。こういう元の世界で当たり前の味も、ここではまだ高級品なんだよなぁ。


 みんなの話を聞きながらマイペースで食べていると、義龍さんに豆腐屋について聞かれた。商いに興味があるんだろうか?


「何故、豆腐屋など出されたのだ?」


 義龍さんの疑問にオレとエルは少し苦笑いが出てしまう。織田家の皆さんには、まだ稼ぐ気かと陰で言われているんだろうなと感じたからだろうか。


 義龍さんはあまり裏表のない人だからなぁ。


「豆腐は体にいいのですよ。それに美味しい。これを誰でも食べられるようにすれば、長生き出来る人も増えるでしょう。さらに商いの定石じょうせきとして、少ない客を相手に売るよりも多くの客を相手に売るほうがいいのですよ。しかも豆腐は寺社ならば知っていること。広めてもウチが損をしませんし」


 信康さんはおおよその理由を悟っているようだ。驚きはない。領民を富ませることで国を強く大きくする。富国強兵ではないが、そんなイメージがあるはずだ。


 にがりは製塩で手に入るし、大豆自体も安い。燃料も炭の効率的な生産や植林などを進めていけば、庶民が食べられるようになるのもそう遠い未来の話ではないはず。


「そのようなことまで考えるとは……」


「奪うのではなく、増やす。難しいことですが、それを理想とすることが必要だと思いますよ。今ならばウチの商いで手助け出来ていますから」


 他国では真似しようとしても難しいだろう。新田開発と耕作放棄地の復旧などは可能だろうが。それでさえ資金がなくて進まないのがこの時代だ。織田家の資金力はチートだからね。


 とはいえ社会を発展させていくには、領民の生活水準を上げることが必須なんだ。


「美濃でのわら半紙を作る話も同じということか」


「ええ。そうです。紙作りといえば美濃でしょう。美濃の新たな安い紙となれば諸国がこぞって欲しがると思いますよ。尾張はいろいろなものづくりがあって、もとの手配も働き手も追い付かないのです。美濃でも叶うことは、順次美濃に広げていきたいんです。そういう意味では斎藤家には本当に助かっていますね」


 義龍さんは先入観とか既存の価値観にそこまで固執しないので、説明すれば比較的早く理解してくれる。


 紙に関しては尾張の上四郡でも生産するべきかと検討しているが、顧客はいくらでもいる。今後も需要が伸びることはあっても減ることは当分ない分野だからね。


 義龍さんには期待している。頑張ってほしい。




◆◆◆◆


 天文年間に清洲にて豆腐屋があったという記載がいくつか残っている。


 滝川資清の『資清日記』によるとこれは久遠家で出させた店らしく、当時忍び衆と呼ばれていた久遠家に仕える者たちの仕事のひとつとして開業したとある。


 当時の豆腐は庶民では口にすることも出来ないほどの高級品であったが、一馬はそれを庶民へと普及させられないかと考えてのことだと伝わる。


 久遠家は贅沢をしていたという批判が時折あるが、様々なものを庶民の手に渡るようにと人一倍努力したのもまた、久遠家であるという事実は揺るがぬものである。


 当時あった八屋と同じ久遠家の店だから安心だと、武士から僧侶に領民にまで愛されていた店だったようである。


 現在は店そのものは残っていないが、久遠食品がその伝統を引き継いでおり、戦国豆腐として当時の製法で作っているものが売られている。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る