第三百七十四話・夏のお茶会・その二

Side:久遠一馬


「お初にお目にかかります。拙僧は証恵でございます」


 お茶会が始まって早々に相手から挨拶に来たのは願証寺の証恵上人だった。


 この人は史実のイメージとまったく違う人なんだよね。そもそも長島は反織田の急先鋒で史実では鬼門だったのに。


 もちろん反織田にならないように弱体化と懐柔策をしてきた結果ではあるけど。


「久遠一馬です。御高名な証恵上人とこうしてお会い出来て、光栄の極みでございます」


 立場的に向こうから出向くような人じゃないんだけど。証恵上人は割と物腰も柔らかそうなお坊さんといった雰囲気だ。


 オレの礼儀作法は可もなく不可もなく、外国人としては問題ないレベルだろうか。気を付けているけど、特に気にする様子もない。


「道円。我らの宗門より破門に至った服部友貞でございますが。彼の者の件ではご迷惑をおかけして誠に申し訳なく。真の帰依の心持たぬ慮外者ではあれ、導けなんだは拙僧の不徳。今一度、謝罪させていただきます」


「いえ、こちらこそ願証寺のおかげで多くの血が流れずに済みました」


 偉いお坊さんに敬語を使われるのは違和感があるなぁ。オレというか織田家に対しての譲歩なんだろうけど。


 なにかと思えば、服部友貞のことか。


 話はすでに終わっていることだ。ただ発端となったのはウチの荷物を運んだ船を襲ったことだったんだよね。願証寺にあまり罪はないが、服部友貞が願証寺の名前を使っていたことが関係しているといえばそうだが。


 話のとっかかりとしては上手いのかもしれない。宗教臭い話をされるよりは断然いい。


 周囲の高僧は黙って話を聞いているだけだが、それがかえってこの人の力を物語っている気がする。


 願証寺は個人と言っていいかわからないけど、ウチの最大クラスのお得意様であることには変わりがない。金色酒はもちろんのことウチの商品は、硝石や鉄砲などの武器以外はなんでも売るし、売る品物はすべて買ってくれる。


 資金は石山本願寺からも出ているほどだ。陶磁器とか絹織物とか馬鹿みたいにいくらでも買ってくれるんだから。


 それが石山本願寺に渡り、贈答品としたり転売したりしている。


 支払いも悪くない。高額取り引きということもあり、銀や粗銅などウチが欲しがる物での取り引きなんだ。


 悪銭でぼろ儲けしようとする堺とは大違いだ。金持ちなんだろうね。買っていく商品もすべて言い値に近いし。


 少し世間話を交えながら話していると、話題は偽金色酒になった。


「ほう。南蛮の金色酒でございますか」


「左様です。もっとも偽物であることは掴んでおりますが。この件は都でも話題で朝廷も憂慮しておるほど」


 本願寺はやけに偽金色酒の件に神経質になっているんだよね。


 肝心の偽金色酒を売っている堺の商人は、あれを南蛮の金色酒だと言っているらしい。彼らは最初から尾張の金色酒だとは言っていないと開き直ったみたい。


 まあ、もとは蜂蜜酒だからなぁ。その気になれば手に入るかもしれないけど、南蛮人は簡単に秘密を教えないだろうし、そもそも日ノ本に来る南蛮人が金色酒の秘密に気付くかどうかも分からない。


 正直、よほど酒に詳しいか、よく飲んだことがある人とかでないと気付かないだろう。それに正体に気付いたからといって作り方を知っているかは別問題だ。元の世界でも多くの日本人がビールを飲んでいたけど、その作り方を知っている人などほとんどいないだろう。


 しかし、金色酒の件が政治問題と化してるのが気になるね。


 朝廷には四季に合わせて献上品を贈ってるし、足利家にも量と品数は朝廷より少ないが金色酒などの贈り物をしている。


 その効果といえばそうなんだろうが、ここまで反応すると少し悩む。現時点で畿内の争いに巻き込まれたくないのが本音だ。




 入れ替わるように近寄ってきたのは、白粉で顔を白塗りにしたお公家様たちだ。


 名前を聞いても知らないな。向こうもオレが外国人だと理解しているようで、名前を覚えてほしいという感じだ。


 知らないことは知らないと詫びることにしている。聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥って言葉もあるしね。知らないことはちゃんと聞いておこう。


「これは……、初めてじゃの」


「明の茶を参考に当家で作った紅茶というものでございます」


 彼らには紅茶を出そう。メルティが隣で紅茶を淹れるのを興味深げに眺めるお公家様たちに簡単に説明する。


 ティーカップも白磁の西洋式カップを用意した。もっともこの時代では欧州には紅茶がないから、完全にウチが先取りした形になるけどね。


 話題はまあ在り来たりな世間話から、ウチの本領や商いのことなど興味本位と情報収集を兼ねて聞いてくる感じだ。


 そうそう西洋絵画に関しても聞かれた。ちょうどメルティがいたからかもしれないが。


「これは、なんとも良き香りであるな」


「すっきりするの」


 抹茶と違うので抵抗があるかと思ったが、意外とすんなり飲んだね。反応は上々らしい。茶菓子は紅茶には甘さが控え目のカステラを用意した。


 尾張では八屋で日替わりの菓子として時々売っているから、清洲辺りでは庶民でも馴染みがある菓子だ。


「おおっ、これはなんと美味しいものであるな!?」


「甘い菓子など滅多に食べられるものではないからのう」


 驚いたのは、この人たちは貧乏なのを隠しもしないことか。もっとプライドと権威主義の塊のような人を想像していたんだけど。先入観が強すぎるのかな?


 まぁ、そんな連中は尾張まで来ないということかもしれないけど。


 皆さん、感動した様子で喜んで紅茶とカステラを味わっている。


「これは……」


「牛の乳で紅茶を淹れたものになります。公家衆の皆さまは牛の乳を飲むと聞きましたので。よろしければいかがでしょう」


「祖先は飲んでおったと聞く。一度飲んでみたかったのである」


 一杯目を飲み干し、お代わりが欲しそうなので、二杯目はロイヤルミルクティーにしよう。公家衆なんかは伝統的に牛乳を飲むと歴史にもあったからいいかと思ったが、すでに途絶えていたのか。


 まあ戦乱と貧困で京の都から逃げた公家だしね。そんな贅沢をする余裕はないか。


「これも良いのう」


「牛の乳で茶を淹れるとは、これも明や南蛮の知恵か?」


「はい。広大な明の地、その中ではこれに近い飲み方を大事とする領の話を聞いたことがあります」


 祖先の文化を疑似体験出来たことで公家様たちは感慨深げだ。ロイヤルミルクティーではないが、モンゴルとかチベット辺りでは伝統的に牛や羊の乳とかバターを入れてお茶を飲むはずだ。オレは飲んだことはないけどね。


「近頃では牛の乳を飲むと牛になるなどという愚か者すらおる。嘆かわしい限りである」


「久遠殿はよく日ノ本のことを学んでおるな」


 平安の世では牛乳を飲んでいたものの武士の台頭により廃れたのは事実みたいだね。でもかつての伝統がまだ忘れられてないのはいいことかもしれない。伝統を重んじることのいい例かも知れない。もちろん悪い例もあるけど。


 牛乳を飲むという祖先の日常を体験出来て、オレがそれを知っていたことに公家様たちは嬉しそうだ。イメージで人を避けるのは駄目だなぁ。オレも反省しよう。


 ロイヤルミルクティーを用意するように言ったのはメルティだったはず。どうやらこれを狙っていたらしいね。


 異なる文化ばかりでは反発や違和感が大きいかもしれない。歴史や伝統を大切にして利用していくことも必要かもしれないな。


「実は南蛮では牛の乳を料理や菓子に用いるのですよ。ただ日ノ本ではなかなか手に入らぬので、当家では牛を育てております」


「なんと!? 南蛮ではそのようなことをしておるのか」


 公家の伝統文化と南蛮の文化は共通点があることも少しアピールしておこう。


 南蛮とは言葉の通り南から来る蛮族のこと。この時代の人だと明や朝鮮以外はみんな南蛮扱いだからなぁ。本音では馬鹿にしているのかもしれないが、多少でも共通点があれば違うだろう。


 お茶会自体はあまり堅苦しい侘び寂びなんて感じではない。


 みんなでお茶とお菓子で楽しむガーデンパーティーに近いと言える。もともと茶の湯は利休が確立したものだしね。


 室町時代だと闘茶というお茶の銘柄を当てる賭けとか、大陸の茶器である『唐物』の茶器を用いた盛大な茶会があったらしいし、侘び寂びの茶の湯より歴史がある。


 戦国時代である今は余裕がなくなりほとんど行われてないとも聞くが、地域や人により好みや演出が違う茶会も珍しくはないんだろう。


 織田家の茶会は信秀さんの好みが色濃く出ている。はっきり言えば畿内の最先端の流行なんて無視しているしね。侘び寂びの茶の湯を完全に否定する気はないが、尾張には根付かないかもしれないな。


 今回の茶会は、オレたちと関わってる影響がかなり大きい茶会だろう。


 みんな立場や地位にあまり固執しないで、楽しい茶会にしてほしいところだ。



◆◆


 天文十八年。花火大会の数日後、清洲にて大茶会が開かれたと『織田統一記』にあり、願証寺一行や駿河や越前から来た公家衆などを招いた茶会であった事が複数の記録に残されている。


 この茶会は現在の久遠流や尾張流の原点ともいわれていて、当時畿内で流行しつつあった侘茶などとは対極の茶会だったと伝わっている。


 織田家ではこの茶会で牛乳で紅茶を淹れたものを公家衆に出したと伝わっており、当時すでに風習としては途絶えていた牛乳を飲む機会を得られたことに感動した公家の手紙が現存している。


 尾張文化と現在では呼ばれているが、久遠家が伝えた文化や風習が着実に尾張に根付いていた代表的な逸話としてこの大茶会が挙げられている。




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