第三百二十四話・お市ちゃんのお出かけ

Side:お市ちゃんの乳母


「かじゅまー、えるー」


 姫様は今日も久遠様と大智の方様のことをお探しして、城の中を走り回っておられます。ですが、いくらお探ししてもお二方はおられません。


 もともとお二方が清洲城にお越しになるのは月に数日くらい。先日まではお役目で度々お越しになられておりましたが、近頃はお役目も落ち着き、清洲城へお越しになることも少なくなりました。


 お忙しいお二方ですので仕方ないことと存じますが、姫様は日々お二方をお探しして、時には城の大手門近くで待っておられるのはさすがにお可哀想になります。


「ちちうえだー!」


 今日もおられぬとご理解されるとしょぼんと落ち込んでしまわれましたが、殿がお姿をお見せになると一転して嬉しそうな表情を見せてくださいました。


「なんだ。また一馬を探しておったのか?」


「あぃ!」


 近頃ではすっかり清洲城内で評判となり、守護様のお耳にまで届き、笑っておられたとか。殿も少し困った表情をなされております。ご猶子ですし、殿と久遠様の仲は良好でございますが、さすがに姫様のために日を置かずに清洲城に来いとは命じられぬのでしょう。久遠様にもお役目がございます。


 他の殿のお子様たちも、久遠様がお越しになるのを楽しみにしておられますが、姫様は何分まだ幼く物事の分別がつかないお歳です。


 何故、おられぬのかご理解されていないことが、なんともお可哀想になります。


「たまにはこちらから会いにいくか?」


「かじゅま?」


「うむ。一馬の屋敷に行くか。籠で行ってもそう遠くないからな」


 姫様が外出されたのはお宮参りの時だけです。それは特におかしなことではありませんが。まさか、幼い姫様を那古野までお連れするのでしょうか?


「すぐに支度をいたせ。それと一馬に先触れも出しておけ」


「畏まりました」


 どうやら本当に久遠様のところへと姫様をお連れになるようです。殿ご自身もよく久遠様のところへ行かれておられるので珍しいことではありませんが。


 常ならば家臣の屋敷を頻繁に訪ねることはございませんが、殿は鷹狩りや遠乗りと称され、久遠様の屋敷を訪れておられることは周知の事実となります。お方様が『殿方はいいですね』と、少しご不満を口にされてからはお土産が増えたほどです。お土産を用意する久遠様も大変でございましょうが。




 話はすぐに城内に伝わり、同行する方々が増えました。お方様を筆頭に奥方様方と他のお子様たちも同行されるようです。


 それほど大げさな支度は必要ありません。那古野はご嫡男の三郎様の領地でございますし、久遠様はご猶子です。とはいえ警護の者や私たち乳母や侍女は大変でございますが。


 ご名目は那古野の学校のご視察だとのことです。あそこは民ならば身分や男女問わず無償で学べるところです。日ノ本には多くの者が学べる学び舎はあると聞きますが、本当に誰でも学べるところはここ以外にはないと聞き及んでおります。


「姫様、それは置いていかれたほうが……」


「や!」


 皆様が、久々の外出にお喜びのようです。ただ、姫様はどうしても犬のぬいぐるみを持っていかれると聞き分けてくださいません。貴重なものですので、汚したりなくしたらと思うと困るのですが。


 いかがするべきかと思案していると、さすがにこれは駄目だとお方様が説得してくださいました。


 私は姫様と一緒に籠に乗ります。左様な身分ではないのでございますが、姫様おひとりでは退屈されてしまいますので。


 ゆっくりと進む籠の窓から姫様は楽しそうに町を眺めておられます。城の外は姫様にとっては見知らぬところです。珍しいのでしょうね。


 あまり興奮されて騒ぎすぎないようにして頂かねばなりません。




Side:久遠一馬


 九州から知らせが届いた。裏表問わず宣教師とカトリックの危険性を周知させる活動はそれなりに上手くいっているらしい。


 まあ本物がいないので説得力がない部分もあるが、少なくともなにも知らぬままの史実よりはマシだろう。とはいえ戦国大名も宣教師の教えを信じたと言うよりは、南蛮貿易がしたくて布教を許したとも言うしね。今後も警戒はしていこう。


 ただ、カトリックの危険性を周知させるときに、加賀の一向一揆が役に立つのはなんとも言えない皮肉だな。宗教の危険性を現実のものとして体現したのが国内にもあるなんて。


 それでも宣教師が日ノ本に入ると、大友とか肩入れする者は現れるだろう。そしていつの間にか、信じる者は必ず出ると思う。なんというか洗脳みたいに感じる。


 ただ、宣教師の来日は来るとしても、史実よりは確実に遅れるだろう。白鯨やクラーケンの影響だ。馬鹿高い建造費が掛かる南蛮船がどんどん沈んだり破損したりしているんだから、船主なんかは立場上、教会勢力を敬遠するに留めているが、命に直結する船乗りに宣教師はかなり警戒されている。


 宣教師の乗る船を優先的に沈めて、宣教師は海に嫌われていると少し噂を流しただけなんだが。効果は抜群らしい。


 インド洋と東南アジアも船や宣教師の数は確実に減っている。エルはスペインの破産と没落が早まると言っているが、日ノ本にはあまり影響はない。


 疑心からはより深い疑心が生まれる。船乗りの噂は南蛮人から現地人にまで広がり、宣教師の布教活動までが停滞し始めている。


 海の恵みで生きている人たちから海に嫌われる宣教師の教えに疑念が生まれ始めているためだ。


 人の信仰心なんて様々だ。信心深い人もいれば、そう見せかけてそうでない人もいる。この時代の欧州はカトリックの教えに反するだけで罪人となることもある。堂々と逆らう者は庶民にはいないかもしれない。だからみんなが信心深いなんて単純な世の中じゃないからね。


 カトリックは史実だと二十世紀後半くらいまでなると、そう悪くないんだけどね。現実と信仰のバランスを取っていたから。ただしカルト集団はいつでも湧くが。


 とはいえ、それは世界が欧州とアメリカ中心で、所謂いわゆる白色人種社会に余裕があったからかもしれないと思う。史実より苦しい立場になったカトリックはどうなるんだろうね。


 悪いけどウチは本物の南蛮人と貿易をしたいわけじゃない。欧州は遠いし基本は放置のままでいいだろう。


 宣教師は日ノ本国内には入れない。今後もその方針を堅持するつもりだ。同時にキリスト教の危険性と実情を広めて将来的にも入ってこないようにしたい。


「殿ーっ!」


「ん? なんかあった?」


「はっ、清洲より早馬が参りましてございます。これより大殿と土田御前様、お連れのご子息、ご息女の皆様がおいでになるとのことです!」


 この日は庭の畑に野菜の種を蒔きながら考え事をしていたが、慌てた様子の資清さんが走ってきた。


 何事かと思えば、信秀さんが来るのか。先触れを出したのは珍しいね。土田御前とか子供たちを連れてくるからだろうか? 


「わかった。すぐに着替えるよ」


 今は汚れてもいい服装で農作業をしていたが、さすがにこの服装で信秀さんたちを迎えるわけにいかないな。先触れがあった以上はきちんと出迎える必要がある。


 おっと。その前に畑で走り回って泥んこになったロボとブランカを洗ってやらないと。このまま屋敷に上がられるのはさすがにね。


「かじゅまー! えるー!」


 家臣のみんなも慌ただしくお出迎えの支度をしていると、馬や籠に乗った信秀さん一行が到着した。


 それはいいんだけど、嬉しそうなお市ちゃんが手を振りながら一番に走ってくる。危ないよ。転んだら大変だ。乳母さんが慌てている。


「あっ!?」


 とてとてと走って来たお市ちゃんだが……。


「危ないですよ。姫様」


 そのままオレに倒れ込んでくる形で転びそうになった。本当に危ない。みんなの見てる前で受け止め損ねたらどうするんだ。


「あそぶの!」


 うーん。反省していないし、下手すると自分がつまずいた事も気づいてないね? 一緒に遊ぶことで頭がいっぱいらしい。


「くーん?」


「クンクン……」


 ああ、ロボとブランカも興味津々な様子でお市ちゃんにそんなに近寄ってこないで。泣かれたら大変なことになる。


「だれ?」


 ただ、お市ちゃんは不思議そうにロボとブランカの二匹を見てキョトンとしている。ああ、犬を見るのも初めてか。


「ウチの家族です。ロボとブランカと言います」


「そっくりだ!」


 うん? そうか。ロボとブランカのぬいぐるみとそっくりだと言いたいのか。お市ちゃんは怖がる様子もなくロボに手を伸ばすと、ロボはお前誰だと言いたげにクンクンと匂いを嗅いでいる。


 なにはともあれ、まずは信秀さんたちに屋敷に上がってもらわないと。


「ろぼ! ぶらんか!」


 放っておくとそのまま二匹と追いかけっこでもしそうなお市ちゃんは、さっそく乳母さんが抱きかかえている。こういうことに慣れている様子だ。お転婆なんだろうね。


「かじゅま、あそぶの!」


 信秀さんは仕方ないなと言いたげに笑っている。幼い娘だしね。甘いのかもしれない。お市ちゃんは遊びたくて、うずうずしていて、それどころじゃないらしいけど。




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