第三百二十三話・帰蝶さんの尾張見学
Side:久遠一馬
今日は帰蝶さんの尾張見学に同行して、久々に学校に来たけど、随分と生徒が増えているなぁ。まだウチの家臣や忍び衆が多いけど、他の武士の子弟も増えた。それに一部だけど領民の子供もいる。
武士は武芸優先な時代だけど読み書きは当然必要だ。余裕がある家では信長さんのように師を付けて学ぶが、そうでないところは親や家臣が片手間で教えることになる。信長さんの師である沢彦さんみたいな人に、伝手も要らず無償で教われる学校は徐々に生徒が増えているみたい。
まあ通学距離の関係で毎日来る生徒は多くないみたいだけど。
「アーシャ、どう?」
「バッチリよ。みんないい子だもの!」
学校を任せているアーシャに最近の様子を聞く。彼女は牧場村の孤児院に住んでいるので割と頻繁に顔を合わせているし報告も受けているんだけどね。
「伊勢守殿の子たちは?」
「ヤンチャだったわね。でもいい子よ」
わざわざ聞いたのは伊勢守、信安さんの子供たちの報告があったからだ。
信安さんからは信長さんのもとで新しいことを学ばせたいと言われて、その為に彼らは那古野に屋敷を構えて住んでいる。とはいえ最近まで織田の嫡流である伊勢守家の子として育てられただけに、妙にプライドが高いと言うかなんと言うか。
歳は十四歳と十二歳だったか。
さすがに口には出さないが彼らが弾正忠家に臣従したのを納得してないことには、信長さんも気付いている。しかし所詮は子供だと特に気にしていないようだけどね。
報告では『女なんかに教われるか』と、来て早々騒いだと聞いたが、アーシャが武芸と学問で
アーシャは『ヤンチャ』の一言で片づけるんだな。
先日信安さんに会った時には、迷惑を掛けたと謝られたほどだ。まあ、信安さんもこの件についてはさすがに怒ったらしく、
これには
「大丈夫なのか?」
「もちろんよ。任せて!」
元の世界であった古い教師ドラマ並に大変なはずなんだが。アーシャは楽しそうだ。
学校の玄関には黒板に講義の予定が書かれているが、なんというか学校というよりも市民センターの講習みたいなラインナップだね。
学問と武芸以外にも一般常識とか茶の湯のような文化指導に、アーシャが主に務めるウチ由来の知識の授業がある。公開する知識はこちらで調整出来るからね。これはそれほど問題はない。
「ああ、寮の件は大殿の許可が出たよ。熱田の宮大工に頼んだから直に建築が始まると思う」
「本当!? よかったわ」
学校に関しては遠方の生徒向けに寮の建築をアーシャに頼まれていたんだが、信秀さんと熱田の宮大工の調整がついたんだよね。
宮大工には学校の施設として頼んだ。地震とか水害の際には避難所になるからね。他の人では駄目だとお願いしたんだよ。
普通は宮大工は寺社以外の仕事はしないからなぁ。でも、特殊技能を持つ宮大工には、定期的に仕事を与えて技術を継承してもらわないと困るんだよね。神宮の式年遷宮も宮大工の技術継承が目的の一つではとも言われているくらいだし。
ところでさ。アーシャの趣味である元の世界のインドダンスまで教えてるんだね。受講生はいるんだろうか?
「織田ではかような場所があるのですね」
さて肝心の帰蝶さんが驚いたのは女性の授業だ。今のところ男女は別に教えているが、女性専用の授業にも意外に生徒が来ている。
まあ授業が花嫁修業になっているのは仕方ないんだろう。ただ、意外にも武芸は女性にも人気だ。この時代は女性も籠城したりすれば戦うし、実際に傭兵などには女性の兵もいる。
女性向けの武芸はジュリアやセレスが主に教えているが、関東でジュリアが活躍してから確実に女性の生徒は増えてると思う。
「帰蝶、そなたは武芸の心得はあるか?」
「はい。人並にでございますが」
「見てみたい。アーシャ。少し相手をしてやってくれぬか?」
「はい! わたしに
この日はちょうど道場が空いていた。
信長さんはなにを思ったのか、帰蝶さんとアーシャを手合わせさせると言い出した。自分の妻の力量を知りたいのだろう。
得物は薙刀だ。身分があるし帰蝶さんが接近戦をやることはないだろう。あくまでも習い事の一環だと思う。
「アーシャは強いぞ。本気でかかれ」
「はい。参ります」
道着に着替えて薙刀で対峙する帰蝶さんとアーシャだが、緊張気味なのはやはり帰蝶さんだ。
信長さんは何度か子供たちに武芸を教えているアーシャを見ているので、強いのは知っている。いつの間にか久遠流なんて呼ばれているけど、もとはジュリアたちと同じギャラクシー・オブ・プラネットの軍用戦闘術なんだよね。
久遠流は表向きとしては明や南蛮渡りの武芸を纏めた技による流派となっている。
帰蝶さんは数えで十四歳だったか。真剣な様子でアーシャを見ている。
「やあ!」
多分教わった型なんだろう。帰蝶さんは綺麗な動きでアーシャに木製の薙刀で攻撃を仕掛けるが、動きがわかりやすい。受けるまでもなくアーシャはかわした。
「お方様。大振りは必要ではございませんよ」
「ですが、女の身ではそうでもしないと通用しないと……」
「お方様がおひとりで戦うことは、まずありえません。相手を威嚇したり、傷つけるだけで十分でございます。理想を言えば、
手合わせのはずが、習い事どころか実戦的な指導を始めるアーシャに、帰蝶さんは少し戸惑いながらも従って練習を始めている。
まあ、集団での実戦的な戦い方なんてさすがにやっていないんだろうなぁ。この時代は基本的に個人の技量で戦おうとするから。
「うむ、なかなか鍛えておるようだな」
ただ、ウチのみんなを除けば悪くない腕前かも。信長さんも感心している。
帰蝶さんは分からないが、お市の方は史実では小谷城で籠城しているんだよね。武芸も習い事ではあるが、身を守る手段でもある。戦国時代では、自分の身は自分で守るのが常識だ。真剣なのは当然か。
その後は、工業村視察のために移動をした。
帰蝶さんは、高炉の堅固で巨大な
まあ精錬する前の鉄が山積みになっているからね。よそでは鉄が貴重なのにここでは使いきれないほどの鉄がある。商人にも売っているし、川舟で大量に運び出されている様子は隠しようがないからね。大量の鉄を作っていることは道三さんぐらいなら知っていて当たり前だ。
「あの……、いいんですか?」
「構わぬ。そなたとは兄弟であろう」
工業村を一通り見学して代官屋敷で休憩した時、信長さんが唐突に風呂に入りたいと言いだした。
ここのお風呂は高炉の排熱利用でいつでも入れるからどうぞと言ったが、何故かオレも入ることになった。帰蝶さんとか彼女の侍女さんと一緒に。
なんで? まあ混浴の温泉だと思えばいいのか。相変わらず信長さんは時々よく分からないことを言い出すなぁ。
ああ、今日のオレのお供はセレスだ。エルは婚礼の祝いの品を横領した人の後始末が忙しくてね。当然、セレスとウチの侍女さんも一緒にお風呂に入った。
ここのお風呂はそれなりに広く作ったが、合計六人もいると少し狭く感じるね。
「父が言うておりました。すでに戦で家の存続を決める世ではないと。その意味が分かった気がします」
まだ外は肌寒いから温かいお風呂は気持ちいい。
ゆっくりお風呂に浸かっていると、帰蝶さんは突然父である道三さんの話したことを口にした。
「ほう。義父殿がな」
「はい。戦で勝ってもその先に待つのは滅びだと」
信長さんは興味深げに聞いている。織田のことをそこまで理解していたとは思わなかったのかもしれない。この世界では道三さんの評価は微妙だからね。
でもそんな道三さんでさえ、史実では義龍に討たれて死んでいる。戦国時代を生き抜くのは難しいって改めて感じるよ。
道三さんと義龍さんが裏切らないなら、今後は楽になるんだけどなぁ。
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