第三百十八話・信長さんの結婚式・その九

side:エル


 美濃三人衆は来ましたか。史実を見ても国人衆として優秀なのは間違いありません。とはいえ、これからの織田に彼らは付いてこられるのでしょうか?


 まずは安藤守就、彼は野心家であると歴史にあります。かの有名な稲葉山城乗っ取りの際には、安藤守就の娘婿の竹中半兵衛が兵を出していたのは知られていますが、そもそもあの事件は一次資料に乏しくどこまで真実か怪しい話ではありますからね。


 一応それらしい一次資料はあったようですが、安藤守就の斎藤家に対する謀叛に竹中半兵衛が参加しただけの可能性すらあります。


 俗説では半兵衛は半年に渡り稲葉山城を占拠したのちに斎藤龍興に返還したと美談になっていますが、それも根拠がなく斎藤龍興に取り返された可能性が高いのかもしれません。


 そもそも竹中半兵衛の場合は実像がよくわからず、天下統一した秀吉が自身を美化するのに利用したか子孫の自慢で誇張されたと見るべきかもしれません。


 少し話が逸れましたが、安藤守就は史実では天正八年に信長公に追放されていて、本能寺の変が起きると旧領を奪還に出るものの、同じ美濃三人衆の稲葉一鉄に敗れて自害したということ。


 信長公による追放は他にも追放された人物がいましたのではっきりしませんが、どうも彼は戦略的な思考が出来ない人に思えます。よくも悪くも戦国時代の国人領主という印象でしょうか。


 現状でも独立心が強く織田への臣従をしていません。これは織田の働きかけが史実より弱いことも影響しているのでしょうが。


 次に稲葉一鉄、彼は頑固者という逸話が残っています。もっともこれも俗説が入っている可能性があります。元の世界では一次資料の裏付けが怪しい逸話も多かったようですから。


 彼もやはり独立心が強い国人領主のようです。史実では信長公亡き後は混乱した美濃で岐阜城を押さえて独立をしようとします。まあ安藤守就も稲葉一鉄も本能寺の変のあとの行動は責められないでしょう。


 隙を与えた織田家に問題があったとも言えますので。彼の子孫は九州の豊後にある臼杵藩で幕末まで残ります。それなりに戦略的な人ということでしょうか?


 ただ彼は美濃三人衆の中で、現時点では一番織田に臣従する可能性が低い人かもしれません。彼の姉が斎藤義龍殿の母だからです。斎藤家と織田家の関係が固まるまでは動かないでしょう。


 最後に氏家直元、彼は第一次長島攻めで亡くなっており、三人衆では一番資料が少ない人です。史実においては斎藤家時代から大垣城の城主をしており、その後の信長公時代も治めています。


 現状でも領地は広いほうで決して弱くはありません。


 まあ、三人衆は織田に対して徹底抗戦しないならば構いませんが。今回来たということはそれなりに上手くやりたいのでしょう。美濃にはまだまだ反道三や反織田がいます。彼らだけに構ってはいられません。


 土岐家旧臣や斎藤家の血縁者など、史実を見ても油断出来ない国人衆は多いですから。本音を言えば、美濃の安定には五年は欲しいですね。


 尾張の改革とそれを美濃の従順な国人衆にも広げるには、相応の時間をかける必要がありますから。




「では、運んでください」


「はっ!」


 さて、今日は最後のお披露目の宴となります。最後のウェディングケーキも完成しました。


 今日はチョコレートケーキです。チョコレートの原料のカカオは中央アメリカから南米原産です。


 この時代ですと、すでにスペインには伝わっています。ただし元の世界であるような固形のチョコレートは十九世紀に入るまで存在せず、砂糖や香辛料を入れて嗜む飲み物としてあっただけですけど。


 今回のようなチョコレートケーキは、史実において初めて記録に現れるのは西暦一七〇九年になります。今回のケーキが歴史に残れば百七十年ほど早まりますが。


 このチョコレートは織田の未来に大きな影響を与えるでしょう。武力でも財力でもなく権威でもない。未知の甘味が織田の新たな力として、大湊や願証寺や美濃の国人衆に大きな圧力になるはずです。


 皆さんがどう反応するか楽しみですね。




Side:大湊の会合衆


 願証寺は今回も大勢で来ましたな。さすがに桑名を押さえておっただけあって、織田様の力をよく理解しておるようだ。


「おおっ、あれは!!」


「これは久遠家に伝わる祝いの菓子、今宵初お目見えの特別なケイキとなりまする」


 婚礼を挙げるふたりの顔見せに、祝い客の祝辞も終わり宴に入ろうとした時、見たこともない大きさのなにかが運ばれてくると集まった者たちがどよめいた。説明しておるのは平手殿か。


 されど、あれが菓子だと!? 膳にも乗らぬ大きさで漆塗りの台に乗ったケイキという菓子の大きさには、諸国の物産を扱う我らですら見聞きしたことがないわ。


 切り分けるのは久遠家の奥方様たちか。久遠様は今年に入り織田様の猶子となったと聞いたが、やはりこれほどの菓子は他の者では出来ぬのであろうな。


「甘い……」


「なんだ、この甘さは……」


 これは静かに食すのが仕来りと教えを受けたが、驚きの声があちこちから上がる。


 甘いのは理解する。甘味は高価だが買えぬこともないのだ。だが、この甘さはなんだ? 香ばしいと言うべきか、甘さに初めて味わう深みがある。


 すべてにおいて柔らかい、豆腐より更に柔らかく、ふわりと甘く、濃い焼け焦げたかんのある光悦茶こうえつちゃとも焦色こがれいろとも呼ばれるような色をした、なにかが塗られておる。


 口に入れると塗られておるなにかは溶けてしまい、決して忘れられないような力強さがある味が、焼き付くように残っておる。久遠家はいずこまで我らが知らぬことを知っておるのだ?


「美味いなぁ」


「まことですな」


 これだけでも来たかいがあるというものだ。美濃の国人衆など固まっておるわ。




「本日の料理は天竺や遥か西の果ての料理を再現したものです」


 ケイキの次は料理と酒だ。この日は坊主がおるからか予め生臭などが駄目な御仁ごじんはおらぬかとは聞かれはしたが、ほぼすべての者が拒んでおらぬ。


 肉にしても薬として食す者は多く、この日も新郎新婦と来賓の長寿を願った料理だと言われたので坊主も受け入れやすいのであろうが。


 なにより天竺料理と言われると坊主は嫌と言えぬだろう。そこまで考えたのであろうな。


「これはカレーという天竺の汁ものになりまする」


 膳が三つもある料理が運ばれてくるが、天竺料理とは緑色の汁らしい。珍しい色と匂いに戸惑う声が聞かれるが、湊屋の顔は嬉しそうだ。


 美味いものが食いたくて隠居して久遠家に仕えた男が、あの顔をする以上は本当に美味いのだろう。


「なっなんだ、これはっ!?」


「なんというべきだろう。胡椒でもないが、似ているような刺激がある」


 さすがにこれは我らも坊主たちも驚き騒いでしまうわ。我らは久遠家の料理は幾度か食うたことがあるが、総じて味が複雑で忘れられぬ味になる。だが此度はケイキともども見知らぬ味ばかりだ。


 口の中に広がる刺激は癖になりそうだ。具は伊勢エビや蝦夷の帆立か。ああ、海の幸の味が見事にカレーという汁と絡んで美味い。これは飯が進むな。


「これは、フライですかな?」


「そうですな。猪肉を油で揚げたものです。殿は『かつ』と言うておられましたぞ」


 次に箸を付けたのはきつね色をした揚げ物だ。形と大きさはすずりくらいあるか?


 湊屋にいかなる料理か問うと猪肉だと言う。明や南蛮人が肉を食べるというから驚きはない。以前大湊に来られた久遠様に料理を振る舞って頂いた時と同じ、秘伝のたれが掛かっておるな。


 うむ? サクッとした歯ごたえがいいな。にしても久遠様の料理はみな癖がなく美味いのは何故であろうか?


 肉も獣臭さがない。わしは気にならぬが嫌いな者は嫌いなはず。


 それともうひとつ。この時期にはないはずの野菜や見知らぬ野菜があるのは何故であろうか? もちろん生ではないようだが、漬物でもないはず。


「これはまた初めてですな」


「それはチーズという南蛮の醍醐だいごに近きものを使うた粥ですな」


 おおっ、これが粥か!? なんと美味い。とろと溶けておるチーズなるものが白い米と絡んでこれほど味が変わるとは……。


 極め付きは南蛮の赤い酒だ。ワインと言うたか。金色酒に負けず劣らずの味わいだ。


 この酒は、遥か博多に来たという南蛮人と話をした商人から噂を聞いたことがある。なんでも南蛮人は血のように赤い酒を飲むと。堺では珍陀酒などと呼ぶそうだが、南蛮ではワインと呼ぶのが正しいらしい。堺の奴らに教えてやりたいわ。


 人によっては南蛮人は人の生き血を酒にするなど言うが、湊屋に問い正したところ元は果実らしい。詳しくは教えてくれなんだが、そんな噂があると言うと『あり得ん』と笑われたからな。


 ああ、いい気分だ。来てよかった。祝いの品に悩んだが、これはやはりほかでは味わえぬものばかりだ。


 これでなにか新しい商売になれば更にいいのだが……。




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