第三百十九話・信長さんの結婚式・その十

side:織田信長


 長かった婚礼も終わったか。評判は上々のようだ。爺が目を細めて喜んでおったのがオレには一番嬉しかったかもしれぬ。


 親父や母上と離れて暮らすようになり、物心付く頃には常に傍におってくれたのは乳母と爺だったのだ。


「かような婚礼があるものなのでございますね」


「織田も初めてのことよ。かずのところの流儀を取り入れつつ変えただけだ」


 ケティに進言されて以降、帰蝶は本音を語るようになった。まさか銭のことを案じられるとは思わなんだが、婚礼もまた厳密な武家の流儀とは違う。


「変えるでございますか。なかなか聞かぬことでございます」


「飯とケイキは美味かったであろう? 久遠には我らとは違うモノが数多ある。オレはそれを世に示したかった」


 形式から外れると騒ぐ輩も尾張ではだいぶ減った。畿内の公家や武士の真似事をしたとて面白いこともなければ得るものもないのだ。


「土岐家とて名門で守護家だ。ところが世の安寧よりも己の力と家のことしか考えておらなんだ。武士とはかような者ばかりではないか、オレはそんな世に嫌気が差しておる」


 親父はとっくに畿内を見限っておろう。此度もオレの好きにさせてくれた。


「新しきことを始めるのは楽しいぞ。そなたにも見せてやろう。かずらが尾張にもたらしたものをな」


 古きをすべて否というわけではない。されど、乱世を終わらせるには変えるしかないのだ。少なくとも今ある武士の世をな。


「久遠様はそれほどのお方でございますか」


「皆、気付いておらぬのだ。かずは日ノ本の外の者。帝にも公方様にも従っておらぬ。己が力で生きておる一国の王と称してもおかしゅうない男だ」


 帰蝶の顔が驚きに変わった。こやつも気付いておらなんだか。親父や爺は最初から薄々気付いておったことだ。されど、かずは巧みに己の力を隠して疑われぬようにしておるからな。


「父が申しておったと聞き及んでおることがございます。久遠家は斎藤家より力があるだろうと……、氏素性も定かではない久遠様を信じる大殿ならば、斎藤家も生きる道があるだろうと」


「さすがは義父殿であるな。国の広さや兵の数はオレも詳しく知らぬが、そこらの国人風情とは桁が違う。織田と変わらぬ力があっても驚かぬわ」


 ほう、義父殿は左様なことを言うておるのか。やはり親父と争うておっただけのことはあるな。


「なにゆえ信じることが出来るのでございますか?」


「そなたにもそのうち分かるであろう。あれは左様な男だ」


 よく知らぬ者は何故信じられるかと驚き首を傾げるというが、まことであったな。


 争い奪うだけが道ではない。それはかずらがオレに教えてくれたことだ。与え共に生きることで強く大きくなる道もある。


「斎藤家も安泰であろう。義父殿ならばな」


 義父殿は賢く世が見えておると見える。左様な男はかずやエルの見せるものを見てしまうからな。この先も無益な争いをすることはあるまい。




◆◆

 天文十八年、二月二十四日。織田信長と帰蝶姫が婚礼を挙げたことが、『織田統一記』などに記されている。


 織田弾正忠家は久遠一馬の臣従により前年には尾張をほぼ統一しており、美濃と三河で勢力を伸ばしている最中のことであった。


 婚礼の直前には美濃土岐家最後の守護であった土岐頼芸が家臣に討たれてしまい、美濃が揺れるかどうかという微妙な時期である。


 和睦の席で狼藉を働いた土岐家家臣の一件にて織田を怒らせた頼芸を隠居させて、廃嫡にされていた土岐頼栄を擁立しようとした家臣の謀叛になる。これは『織田統一記』を始めとして、頼芸亡きあとの一族が頼った六角家にも同様の資料が残っており、確かと思われる。


 この婚礼は当時としては当たり前だった政略結婚であり、織田と斎藤は和睦と同盟を含めて交渉した結果のようである。ただ、実際に決まった条件は同盟とは言えるものではなく、むしろ和睦と臣従を前提とした婚礼になる。


 斎藤家側の資料ではすでに力の差は歴然としていて、とても対等な同盟を結べる状態ではなかったとある。実際に見届け人として尾張に出向いた斎藤義龍はどちらかといえば同盟反対派であったが、尾張との力の差を痛感したようで、これ以後は織田と争わず斎藤家の生きる道を模索している。


 婚礼自体は当時の武士の様式を継承しつつ、白無垢ケイキや久遠料理を振る舞うなど当時の常識から変えている部分もあった。これは織田家のみならず尾張や織田の支配領域でこの前後から見られていることだが、畿内を中心とした先例を重視することを止めており、久遠に倣い、自ら国を造っていくひとつの象徴的な出来事であったと思われる。


 また清洲や那古野では領民に酒や菓子を振る舞うこともしており、尾張を挙げた婚礼となっていたようで領民も大いに喜んだと記録にはある。


 現代では力と権威で支配し従える統治からの変革が確実に見られる分岐点として、この婚礼が挙げられる。


 なお、白無垢ケイキが世に広まるきっかけもこの婚礼である。久遠家家臣である東島金次の婚礼で白無垢ケイキを振る舞ったというのが日本では最初の記録となるが、それを信長が取り入れたことで、これ以降は婚礼でケイキを振る舞うのが一種の流行のようになったと思われる。

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