第三百十六話・信長さんの結婚式・その七

Side:織田信長


 女を知らぬわっぱでもないが、妻を迎えるのは初めてだ。


 帰蝶は利政の娘にしては似ておらぬな。


 親父や一馬は幾人もの妻を迎えておるが、それぞれに様子は違う。親父のところは母上たちが一歩下がった様子であるが、一馬のところはのびのびとしておる。斯様かよう差異さいは一馬のところが武家らしくないのであろうな。日ノ本に来る前は武家ではなかったのだから当然か。


 床入れも済んだが、帰蝶は共におっても、こちらから声を掛けねばなにも言わずに座っておるのみ。なんと言うか話の流れが続かぬな。これが当然なのであろうか……。


 息が詰まると感じるのは気のせいなのだろうか? まあ考えても仕方ない。


「薬師の方様、参りました」


「通せ」


 誰ぞに問いたいところで、ちょうどよくケティが来た。帰蝶の診察を頼んであるのだ。常ならば具合が悪うなったら医師を呼ぶが、ケティはそれでは遅いと言うからな。


「この者、名は『ケティ』、尾張では『薬師の方』と称されておる。薬師如来やくしにょらい変化へんげあがめる者がおるからだ。一馬の奥方のひとりで医師だ。そなたたちも診てもらうがいい」


 話が続かぬといえばケティも同じか。とはいえケティは息が詰まる感じはないのだが。ともかくケティに帰蝶を診せねば。嫁いで来て具合でも悪うなったら要らぬ噂になろう。


「前から気になっておったが、それはなにをしておるのだ?」


 ケティの診察は他の医師とも薬師とも違う。素肌を晒すので男どもを下がらせて診察をさせるが、奇妙な道具を使うておる。


「これはしんぞうの音を聞く道具。これを使えば、よく聞こえる」


 心の臓の音を聞くか。それがなんになるかまでは聞かぬ。前に医術について違うことを問うたが、医術の心得のないオレには理解出来なかったからな。


 今では親父から母上たちや弟妹たちまで診ておるが、評判がいいのは母上たちだという。同じ女故に診せやすいようだ。


 帰蝶も素肌を晒すことに少し嫌そうな顔をしたが、拒絶まではしなかった。ケティの噂は美濃でも知っておるのだろう。


「特に懸念はない。ただし虫下しの薬は出しておく」


 帰蝶と美濃より連れてきた侍女を診るに、いつもの診察より少し時がかかったのは気のせいか? まあ懸念がないならばよいか。


「会話はしてる? お互いに思いは伝えたほうがいい」


 診察も無事終わると胸を撫で下ろしておったが、オレと帰蝶を見たケティは、遠慮せずに意見を述べた。帰蝶の侍女たちは驚いておるが、ケティはいつもこんな感じだ。親父や母上にでさえ必要とあらば意見をする。


「人は話さねば伝わらぬか」


「そう」


 ケティらにオレが常々言われておるのは、言葉に出さねば、人は相手を理解出来ぬこと。そして言葉に出したからと言うて、それがまことか分からぬこと。相手のことを理解したと思うた時が一番危ういのだと、よく言われる。


 かずもそうだが、ケティもまた考え方が武家のものではない。だが……。


「帰蝶。尾張は、織田の家はいかがだ? なにかあらば遠慮せずに言うがいい」


 オレもかずたちのように、帰蝶と共に在りたいとは思う。そのためにはオレのほうから、もっと声をかけてやるべきであろうな。


「特には……、ただ……」


「遠慮せずともよい。あまり遠慮されるとオレも疲れる」


 じっと見据えるケティの様子から、オレの言葉に納得した様子なのが分かる。自ら歩み寄るべき。かずがようしておることだ。


「はい。ずいぶんと散財なされているようですが、よろしいのでしょうか? 私のことならば気にせずとも構いません。織田家の女として生きる覚悟はございます」


 少し間を開けて帰蝶が答えたことは、オレの思いもせぬことであった。


「ははは。なるほど、確かに話さねば理解出来ぬな」


 遠慮がちではあるが、まさかに嫁いできた妻に銭のことを案じられるとは思わなんだ。考えてみれば当然か。宴席に出る数々の美味なる馳走に美酒、酒や菓子を美濃兵や領民にあれだけ施し撒けばいいのかと思うてしまうか。


 ケティの言うた通りだ。オレは帰蝶のことを分かっておらなんだ。


「銭は案ずるな。蔵にはまだ山ほどある。そなたには教えねばならぬな。かずから教わった織田の国の治め方を」


 銭を使い、銭で戦をする。織田のやり方はオレが思うより、周りは理解しておらぬようだな。ちょうどよい。帰蝶に教えて、いかに思うか聞いてみるか。




Side:帰蝶


 嫁いだお方は繊細なお方のようです。床入れの日に酔い潰れてしまった時には、この先を案じてしまったほど。このお方に大きくなった織田家を治められるのかと。


 父上は大器だと語っておりましたが、美濃では遊び惚けている織田の大うつけと評されていると聞き及んでいます。


 あまり口数も多くなく、ここ数日の贅沢な暮らしもこのお方の見栄かと思うと先行きが気になって仕方ありませぬ。


 無論、先頃までは敵方だったのです。仕方のないことかと思うておりました。そんな息詰まる時が変わったのは、薬師の方殿が来たことがきっかけです。


 薬師の方殿は、明や南蛮の医術を会得しているという久遠殿の奥方。失礼かもしれませんが思った以上に若いですね。


 武士から僧侶や民に至るまで万民に治療を施すお方だとか。美濃でも知らぬ者はいないでしょう。一度会ってみたいと思っていましたが、こんなに早くに会えるとは。


 私も医師には見ていただいたことがありますが、薬師の方殿は他の医師とはまったく違います。なにより三郎様に堂々と意見を述べていたことが驚きです。


 家臣の、しかも妻の身分で、主君の奥向きのことに口を出すとは……。


 されど、殿は左様な薬師の方殿の言葉を忠言と受け止めたようで、私に本音を問うてくだされました。


「面白きものを見せてやろう」


 そんな私の懸念に殿は面白げに笑みを浮かべると、『織田は銭で国を治め、国を広げるのだ』と語り、薬師の方殿と私を清洲城の金蔵に連れてきました。


「これは……」


 広い蔵にところ狭しと置いてあるのは、銭と金銀の入った木箱です。どれにも銭や金銀がいっぱいです。稲葉山城にもこれほどはないでしょう。これはいったい……。


「ここの他にも那古野の城や久遠家にも銭はある。あの程度の婚礼をしたとて織田が困ることはない」


 ここが織田のすべてではない。あの程度の婚礼? あまりの豪華さに兄上が大人しくなったほどの婚礼が?


「帰蝶。覚えておけ。銭を使って国を富ませることで、織田は大きくなった。ああ、ケティの医術もあるがな」


 銭を使って国を富ませる? そんなことが出来るのでございますか? 銭は使えばなくなるもの。先ほどの『織田は銭で国を治め、国を広げるのだ』というお言葉のほうはまだ理解出来ますが……。


 控えている侍女の雪に視線を向けますが、分からないと首を横に振られました。


 無論、兵糧を買うにも武具を買うにも銭が必要なことは分かります。されど富ませるとはどういう意味でしょう?


「裕福な人が増えれば、多くの税が入る。だから税を増やすには多くの人を裕福にさせる必要がある。そのためには、まずは飢えないようにする。賦役で民に銭を払い、田畑を整えて、しょくせるもの、売れるものを増やす。織田家が今やっているのはここになる」


 私が戸惑うのを感じたのでしょう。薬師の方殿より殿の言葉を補うようにお教えいただきました。ですが、左様なことが出来るのでしょうか?


「そして民が豊かになって、品物を買う人が増えれば、商人も商売の儲けが増えて、織田家も更に豊かになる。それを実行するために銭は使うべき」


 飢えないようにする。それは分かります。義父となった大殿がしておられることですから。


 正直まだ十全には理解出来ませんが、織田家は今までとまったく違うことを始めたということなのでしょう。


「それで織田が豊かに……」


「金色酒に続くものを増やすのだ。あれで織田は莫大な銭を得たからな。近頃は鉄も売れておるが」


 私としたことが、戸惑いを見せてしまいました。殿はそんな私に金色酒を例えとしてお教えくださりました。


 口数は多くありませんが、お優しい方なのですね。


 父上が織田家に下る決断をしたわけが、やっと分かったかもしれません。


 織田家の力はすでに斎藤家を遥かに超えています。織田の商いを止めぬ限りは、織田の力は衰えないのかもしれません。


 少なくとも銭の心配は不要のようです。


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