第三百十五話・信長さんの結婚式・その六

Side:帰蝶


 兄上が美濃に戻りました。私は今日より織田家の女として生きねばなりません。


 ただ、織田家は斎藤家とはまったく勝手が違います。まずはしょく、料理ですが、斎藤家では父上が京の都で学んだ者を召し抱えていましたので、私はその味で育ちました。


 美濃では尾張は塩辛いだけの料理だと昔から聞いておりましたが、実のところまったく違います。味に深みがあり塩辛くないのです。


 変わったのはここしばらくのようですが。噂の久遠家の料理を学んでいるということ。いかにやら塩辛いのはあまり体によくないと、これまた久遠家の薬師の方が進言したらしいことも理由のようですが……。


 今日も朝から料理が豪華でした。焼き魚に玉子焼きというものに、豆腐ともやしを明の技法でまかなった炒め物と呼ばれる焼き物。それに味噌汁とお漬物がありました。


 美濃から連れてきた侍女の雪が織田家の侍女に聞いたところによると、これが織田家ではいつものようです。


 他家ではご馳走と言えるものを、日々食しているなんて……。


 婚礼の料理もやはり驚くほどの味ばかりでしたが、さすがに日々これを常と致すのは、少し贅沢が過ぎるのではないでしょうか?


 それとあの四角い夜着。あれはなんなのでしょう。柔らかく温かいあんな夜着は初めてです。


 あれも久遠家からもたらされたものだとか。なんでも南蛮伝来の夜着なんだそうです。あれのせいで起こされるまで起きられませんでした。


「これは……、美味しいですね」


「紅茶という茶でございますよ。茶の湯と違い飲みやすくて評判でございますから」


 昼、うまこくどき、織田家では軽い昼食ちゅうじきをとるようで蕎麦を麺にしたものを頂きました。なんとも深い味わいの汁と蕎麦の風味がとてもよかったです。


 食後に出されたのは、紅茶なる茶。これも香りといい、さっぱりした味わいといい素晴らしいです。


 織田家はなんと贅沢をしているのでしょうか。戒めるべきかもしれませんが、嫁いできたばかりの私が口を出すのは少し早いですね。


 織田家は美濃からきた兵にも酒と菓子を褒美の土産にしたようです。いったいいかほどの銭を使ったのでしょう? 蔵が空になってないか不安です。




Side:久遠一馬


 この日の宴の参加者は、織田家の重臣と信長さんの直臣が中心になる。ちなみに明日には尾張国外の来賓が主で、大湊と願証寺と臣従を問わずに西美濃の国人衆を招待しての宴だ。


 体裁とか気にする時代だし、友好勢力とかは明日にしたらしいんだよね。


 オレ自身はこの時代の仕来しきたりなんて分からないから、『いつ何時いつ、こうだ』と言われれば、『分かりました』で流されているけど。こういう気遣いは必要らしい。


 それと最後に帰蝶さんと奥方たちだけの宴が明後日に予定されている。これは今までにはない試みだが、オレが信秀さんに提案して決まった。なんというか、もう少し女性のみなさんが親交を深める場が必要だと思うんだ。


 さて今日のウェディングケーキは、和風の抹茶ケーキによるウェディングケーキになる。いや、昨日と同じだと飽きるかと思ってさ。連続参加している人もいるし。


「緑のケイキですか?」


「はい、お茶のケーキです。美味しいですよ」


 なんか噂が噂を呼んでるらしく、みんなケーキを楽しみにしているんだよね。白くないケーキに予想と違ったからか少しざわめきが起きるが、これも美味しいよ。元の世界で魔改造大好きの日本が生んだ抹茶のケーキだからね。


 うん、クリームもスポンジケーキも甘さは控えめで抹茶の風味が生きて甘さとのバランスがいい。柔らかい食感も最高だ。


「南蛮にも茶があるのですかな?」


「あっ、いえ。これはウチで少し前に作ったものですよ。茶は明にはあるらしいですが、南蛮では聞きませんね?」


 やっぱりケーキは静かに料理の前に食べるんだね。この日もお隣さんの信広さんはお茶とケーキの組み合わせに驚いている様子だ。ケーキですら初見に近いのに、そこにお茶を混ぜちゃうんだからなぁ。


「婚礼で南蛮ゆかりの縁起物の菓子を食べられるとは。なんと贅沢な……」


「これは八屋にもありませんからな」


 ちょんまげを結っていて、武将髭を生やしているいい歳をした男性たちが、ケーキで感動する姿は不思議な光景だ。


 もちろん今日もウェディングケーキを切り分けてるのはエルたちだ。重臣の中には隣の人のケーキと比べて、どっちが大きいとか気にしている人もいるけど。


 というか八屋はすっかり有名な店になっちゃったなぁ。ただ、ケーキは教えていないんだよね。クリームは冷蔵庫がない時代なだけに作るのが大変だし、難易度が高いからな。パンケーキとかカステラくらいならやれるか?


 手間とか考えると当面は無理だろうね。八屋は今でも混んでいるし。なんというか高級な店じゃない時代劇にある庶民の飯屋みたいな店だからな。今度は、お菓子屋さんでも作ってみるべきかな?




 この日の料理は、鯛の甘酢あんかけと伊勢海老のチリソース、猪肉ともやしの中華炒めと、フカヒレのスープとアワビの姿煮などの明風の料理ということになった。


 あくまでも明の料理をウチが再現したものだと説明している。特にエビのチリソースは中華料理をもとに元の世界の日本で生まれた料理だからね。


 当然、食べ慣れていないこの時代の人に合わせて、全体的に辛さや刺激と油分は控えめにしてある。


 正式にはお披露目の儀と言うらしいが、家臣からの挨拶とか形通りのことはある。ただ、早く宴がしたいのが大半の人の本音だろう。


「これはまた珍しい料理ばかりでございますな」


「初めて見ましたぞ」


 ウチの中華を食べたことがあるのは、信長さんとか信秀さんを筆頭にごく一部の人たちだけだ。他家に行ってご飯をご馳走になる。この時代だと身分もあるし毒を盛る危険もあるのであまりしないんだよね。


 重臣の皆さんは楽しみにしていてくれたようで、ワクワクした表情で料理に箸をつける。


 なんというか料理の匂いがまったく違うね。香辛料も調味料も、この時代の日本とはまったく違うからなぁ。織田家ではこの時代では貴重な香辛料も普通に使っているから。


 調理法も調理器具も違うから、今夜の料理はほとんどエルたちが作っている。


「これは美味い。なんと甘い酢ですな。斯様かような食べ方があるとは……」


 料理で皆さんの目を一番引いたのは、立派な鯛を油で丸ごと揚げて、甘酢のあんをかけたものだ。表面はカラッと揚がっていて、中はふんわりとした鯛に甘酢のあんがよく合う。


 佐治さんも驚き半分に食べると、その味に驚きつつ酒をくいっと飲んでいる。


「あれは……」


 その時、賑やかな宴の席が一瞬にして空気が変わった。


 宴を開いている広間の障子が開いたかと思うと、なんとロボとブランカのぬいぐるみを両手に抱えたお市ちゃんが単身で入ってきたんだ。


「市か。いかがした?」


 賑やかだった部屋が少し静かになるが、まあ信秀さんはあまり気にしないで声を掛けた。ああ、どうやら乳母さんの隙をついてこっちに来ちゃったみたいだね。


「けいき、おいちい」


 とてとてと歩いて信秀さんのもとに行くと、膝の上に乗って甘える。どうもケーキを食べておいしかったことを伝えに来たらしい。


 でも夜も遅いよ。お眠じゃないの? いや、興奮して眠れない様子かな。


「申し訳ございません!」


「よいよい」


 微笑ましい光景だが、すぐに乳母さんがやってきて顔を真っ青にして謝罪しているのが戦国時代なんだと感じさせる。お隣の元守護様のところでこんな大失態をやらかしたら物理的に首が飛ぶからね。


 お市ちゃんは理解していないみたいだけど。そのまま乳母さんに抱かれて、ぬいぐるみと一緒に強制退場だ。出ていく時にこちらに気付いたようで、ぬいぐるみを抱えながら手を振ってくれた。


 まあ、幼子が元気なことはいいことだ。


「この汁はまた初めてですなぁ」


「この透明で細いものはなんだ? 麺ではあるまい?」


 お市ちゃんがいなくなると、再び賑やかな宴になる。元の世界だと高級中華になるだろうフカヒレのスープは、この時代の日本ではやはり未知の汁になるらしい。フカヒレやアワビは知多半島産だ。明への輸出品として生産して貰っているからね。


 まあフカヒレはそのものには味がないので、宇宙要塞産の金華ハムと鶏がらベースのスープなんだけど。


 アワビは日本でも縁起物であり食べられている。ただ、こちらも柔らかく煮て、味付けが中華風だからね。独特の食感も相まって美味い。


 帰蝶さんは大人しく食べている。口に合わない様子ではないな。でも、周りが初対面の人たちばっかりの中でお披露目の宴って地味に大変そうだな。完全にアウェーだ。


 オレの場合は普通の結婚すらしたことがないから実感はないが、こうしてみると結婚って大変だね。





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