第二百四十二話・帰還後の日常

side:久遠一馬


 柳生新介って、あの柳生石舟斎じゃないか。そんな有名人がなんで牢人なんかに混じっていたんだ?


「柳生家は筒井家に敗れ臣従したようです。ただ新介殿と若い者たちはそれを不服に思い、諸国に武者修行の旅に出たとか」


「へぇ。柳生って苦労してるんだね」


 牢人にそんな有望株がいたなんて。でも柳生って有名なのは石舟斎の息子宗矩だよね。石舟斎は剣術に長けてるイメージがあるが、上泉信綱に負けて弟子入りして新陰流を学ぶんだっけか?


 どうやらその前らしい。柳生新陰流の完成前にセレスに弟子入りしたら新陰流は生まれなくないか?


 まあいつまでウチにいるかわからないし、そこまで気にする必要もないか。上泉信綱はそのうち招けないかね? 会ってみたいな。


「桑名では大店の商人が一人、殺害されました。犯人は不明ですが、押し込み強盗による一家皆殺しとして、一応の決着を図っております」


 桑名に関しては、オレたちがいない間にすっかり寂れたみたい。商人ばかりか、様々な人の流出が止まらず、桑名を統治する有力な商人にまで不慮の死を遂げた人がいるとは。


 ただの強盗なのか、それとも桑名を滅茶苦茶にした戦犯として恨まれての犯行か不明らしい。状況的に織田の桑名攻めを恐れた誰かに殺された可能性も高いと資清さんは見ている。


「大殿はこの件にはなんて?」


「放っておけと言うておられました。桑名を取る利はないと」


 まあそうなるよね。六角や北畠を警戒させるだけだし、あそこは元々朝廷の御料所。織田が領有したら返さないと朝廷がどう思うかわからない。


 北畠とか六角に警戒されたり恨まれながら、朝廷に返すために桑名を取るのもね。


「なら放置でいいか。引き抜ける人は引き抜いてさ」


「あと流民に間者が増えておりまする。中にはわざと騒ぎを起こして、流民と領民の対立を狙う者もおる様子」


 織田領は景気もよく人が増えている。ただ、やはり人が増えれば相応に問題が出てくるわけだね。対策は今までと大きくは変わらない。 問題を起こす人を罰していくことが中心となる。


 治安維持と処罰をきちんとすれば、現状が破綻するまではいかないだろう。


 この対策はすでにセレスの進言で実行している。周りと比較して織田だけ食えるようになってきたからね。盗人や賊なんかも入ってきてるんだろう。


「我慢の時だよなぁ」


 清洲・那古野・津島・熱田では警備兵が活躍している。その効果は高いだろう。資清さんの話ではウチの兵も津島や熱田に回している。


 問題は曖昧な国境と、国人領主になる。国境の管理って難しいんだよね。日本列島とかウチの島なら少なくとも船がないと外部から人が来られないからいいが、陸続きの国境管理はこの時代では難しいだろう。


 しかも、織田領も端に行けば行くほど、独立意識が強い国人も珍しくない。空気を読めるならいいんだけどさ。関東の誰かさんみたいに無駄に誇りだけは高いような武士も珍しくないからね。


「考え過ぎても駄目だね。散歩でも行こうか」


 まあそちらは放置しても致命的な問題にはならないだろう。どうせ改革が進めば、中途半端な国人衆は付いていけずに飼い殺しで終わるはずだ。


 それよりも散歩をしたくてウズウズしてるロボとブランカと散歩に行こう。


 のんびりと津島の町を散歩すると、普段はなかなか来ないような場所にもロボとブランカが連れてきてくれる。今日は下町の長屋のような町を散歩するのかぁ。


「これは久遠様。無事のお戻りと聞き、安堵致しておりました」


 庶民の長屋のような地区を抜けると、ロボの実家の商家にたどり着いた。ここもオレのウチだと言わんばかりに入っていこうとするロボのおかげで、元飼い主の商人さんと出くわして縁側で少し旅の話をする。


 ロボとブランカはロボの兄弟や両親と戯れていて、そんな光景を見ながら関東の話に花が咲く。


 ここでも桑名の話が出たが、東海道における伊勢の最初の宿場町としてはそれなりに栄えているらしい。


 主に熱田から船で桑名まで渡り西を目指すには、やはり桑名で一泊するのがいいんだろうね。


 ああ、お土産に買ってきた寺社のお札とか梅干しを後で届けてあげよう。そんなに大きな商家じゃないけどね。ウチとは数少ない縁のある商人さんだから。




 翌日には那古野に戻るが、待っていたのは書類の山だった。


 実務は資清さんとセレスたちがやってくれたんだけどね。各種報告書や命令書にはオレの判子がいる。


 この時代だと紙は貴重だから必ずしも書類は作らない事も多いんだが、ウチは特に報告や命令は必ず書面にするようにしてるからなぁ。


「あの人が柳生新介殿か」


「あの若さでなかなかの腕のようですね」


 書類と格闘してると庭から木刀を打ち込む音がした。覗いてみると、石舟斎さんがジュリアと手合わせをしている。


 彼がセレスに弟子入りした理由は、目の前で素手のまま武器を持つ牢人を叩きのめしたかららしい。そりゃ驚くわな。


「ああ、ジュリアのやつ。勝っちゃってるし」


 庭では石舟斎さんがジュリアに負けたことで郎党たちがざわついている。エルいわく剣の腕前はあるらしいし、まだ若いからブイブイ言わせてたんだろうね。


 一時雇いというより食客みたいな感じか。ウチでセレスに武術を習って修行しているようだ。


 この時代だと武芸者が武家に滞在したりするのは、まあよくあるらしいし別にいいんだけどさ。


「そういえば、戦の褒美も考えないとだめだね」


「禄を増やすのと一時金を与えるのでいかがでしょう。あとはお酒も悪くないと思います」


 ジュリアは自由でいいなと思いつつ書類を片付けていくけど、関東での後始末というなら戦の褒美も考えないと駄目だったんだ。


 ウチには信秀さんと信長さんから褒美があるだろうが、そこからまた家臣に褒美をどうするかは、オレたちが考えなきゃならない。


 ぶっちゃけあげる土地もないし、結局現金や現物しかないんだけどさ。


「太田殿。なにか欲しいものある?」


「殿。左様なことは殿がお決めになること。聞かれても困りまする」


 一緒に書類整理をしてくれてる太田さんも先の戦では活躍してた。ちょうどいいから褒美に欲しいものを聞いたら困った顔をされたよ。


「太田殿は文武両道だから一番忙しいんだよね。そこも加味しないと」


 太田さんはなにをやらせても器用にこなすんだよね。空気も読めるし有能だから、いつの間にか忙しく働いてたりする。


 今日も旅の報告書を纏めてくれるだけでいいって言ったんだけど、先にオレの書類を手伝ってくれてるんだよね。


「殿。少しよろしいでしょうか」


「うん。どうかした?」


「実は信濃の本家から文が某宛に届いております」


 みんなの褒美を考えつつ書類に判子押していたら、望月さんが少し困った表情でやってきた。


 信濃の望月家って、今は武田家に臣従してるんだっけか? 確か史実だと千代女さんが嫁ぐはずだったような。


「返事をいかがするべきかと思いまして……」


 望月さんは本家が寄越した文をオレに見せてくれたが、内容は信濃の話や本家の話が書かれている。そのうえでそちらはどうだと気遣うような探るようなことも書かれてるね。


 本家が心配してくれてると見るべきか、武田が探りを入れてきたと見るべきか。難しいとこだけど。いや、文を武田に内緒で出せないだろうから本家はともかく武田は探りだね。


「任せるよ。本家との関係もあるだろうし」


「……武田が探りを入れてきたのかもしれませぬが」


「うーん。問題ないよね?」


「そうですね。季節の挨拶程度ならば問題ありませんよ。返事と一緒に金色酒でも送ったらいいかと。恐らく武田に流れるでしょうから。ただ清洲の大殿には事前に了承を頂いたほうがよろしいかと、若様にはすぐに使いを走らせます」


「じゃあ、清洲には報告にあとで行くからその時に許可をもらってくるよ。大殿と若様の意向にかんがみて、出すのはそのあとにしようか」


 望月さんも武田を警戒したか? いや、オレたちに武田に内通したと疑われないか気にしたのかもしれない。


 親戚付き合いまで口を出す気はないけどね。この状況で武田に内通するほど愚かならウチには要らないし。まあ、先に知らせておいたほうが、望月さんとしても余計な心配しなくて済むってことか。


 前に信秀さんが言ってたけど、家中を疑心暗鬼だらけにするのは嫌だからね。手紙くらいなら許可するよ。




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