第二百四十三話・帰ってきた佐治水軍

side:佐治水軍の船乗り


「生きて帰れたな」


「ああ……」


 本当に死ぬかと思った。一面に海しか見えなく、雨が降り続いても、風が吹き荒れても、船から降りるどころか島影に避難することも出来ないのは怖かった。


「あの古い船は、もう駄目だろう」


「殿もそうお考えのようだ。新しい船を造るそうだ」


 迷ったり転覆しなかったのは、久遠様のところの船乗りのお陰だ。ただ、さすがにあの改造船は駄目だ。古いだけにあちこち傷んでいたし、よく転覆しなかったもんだ。


 聞けば新しい船は古い船より丈夫で造りも複雑らしい。船大工が苦労したと溢していたからな。


「俺。あのみかんの砂糖漬けをひとつ残したぜ。おっ母と子たちに食わせてやるんだ」


「へへへ。俺はふたつ残したぞ!」


 関東では敵なしの黒船と言われて騒がれてたが、本音を言えばウチの船はかなり厳しかった。


 ただ、飯だけは久遠様から頂いたものだから良かったな。透明な壺に入ったみかんの砂糖漬けとかは絶品で、油紙に包まれていた『びすけっと』とかいうものも意外に悪くなかった。ずっと食いたいもんでもないけどな。


「お前らなぁ……」


 困ったことがあったとすれば、みかんの砂糖漬けとか酒を土産にしようと残す奴が多かったことか。酒も濃くて美味かったからな。


「お前らのせいで久遠様からの褒美が、みかんと酒になっちまったじゃねえか」


「いいだろうが! 銭なんか要らん!」


 噂だとウチの船の様子を聞いた久遠様が、頭を抱えていたとも聞く。みんなで食い物を節約して、結局半分以上を残してきたからな。


 そのせいだろう。褒美がみかんの砂糖漬けと酒になっちまった。次回からはきちんと船で食べるようにと、かしらたちと幾人かの者がお叱りも受けたって話だ。


 なんでも食わないといざという時に、病になって困るんだとか。本当かね?


「次はいつだ?」


「しばらくはないって話だ。これからは野分が来るからな」


 しかし、船も戦も変わったな。船は大きくて頑丈になるし、玉薬は信じられないほど使うんだからな。北条の水軍衆が鉄砲や焙烙玉の使う量に、驚いていた心情がよく分かる。


 費用はすべて久遠様が出してくれたんだが、おかげで俺たちまで驚かれる側になっちまった。


「俺たち、いつの間にか久遠様の水軍みたいになってるな」


「構わんだろう。服部や里見の水軍衆みたいになりたいか?」


「まさか。しかし殿はいいのかなと……」


「報酬が凄いらしい。それに佐治水軍の名も売れた。殿はご機嫌だよ」


 気さくでいいお方だし、気前もいいんだけど。いつの間にか俺たちは久遠様の水軍になりつつある。元々の仕事も当然しているが、それ以外はほとんど久遠様からの仕事だ。


 米や麦も安くなったんだよなぁ。久遠様が熱田の商人に頼んでくれたとのことで、安くて食うに困らぬ量の米や麦が入ってくるようになった。


 長老衆と女衆は留守中にも、山に木を植えるために励んでいたらしい。他にも久遠様の家臣が井戸の新しい堀り方を教えてくれたんで、あちこちで井戸も掘っているそうだ。


 前より深く掘れるらしくってな。田んぼは無理でも畑は増やせるようだ。


「戦がない世の中か……」


「どうしたんだ?」


「前に久遠様がおっしゃっていた話だよ。戦がなくなった時のために備えるって。そんなこと考えるか?」


 あれほど戦が強い久遠様が、何故戦がない世の中なんて考えるのか俺にはわからねえ。


 ただ、もうかつてのような貧しい暮らしには戻りたくないな。


 その為にも俺たちは負けられねえ。


 久遠様のように広くてでっかい海を渡り歩く船乗りになるんだ。




side:久遠一馬


「里見か」


「ご存知でしたか」


「名前くらいはな。正直それ以上は知らぬ。よう分からぬ出の者が、いつの間にかいずこかの一族になっておるのは、ようあることだからな」


 書類の山はまだ片付かないけど、信秀さんにアポを取り、呼ばれたので清洲城まで報告に来た。


 信光さんや信長さんからも報告があったんだろうけどね。いや、あの二人なら詳細は信安さんや政秀さんに丸投げの可能性も。でも船とか戦に関してはウチからも報告しないとね。


「おかげで関東で織田の名を売ることができましたし、力も示せました。戦の費用は北条に出していただきましたし。友誼も深められたと思います」


「人の銭で名を売り、力を示したか。そなたたちらしいな」


「佐治水軍との連携は始まったばかりです。北条水軍の力があれば、仮に連携が上手くいかなくても負けはないと判断しました。いい実戦鍛練でした」


 里見水軍には悪いけど、織田水軍の実戦には手頃な相手だったんだよね。北条水軍も誇りに懸けて戦うだろうし。


 ジュリアの突撃で大勝したけど、あれがなければこちらの船も一隻や二隻は損傷または沈んでいた可能性もあったけど。


「北条からは時勢満つるならば、同盟も考えたいと言うてきたぞ」


「北条側は現時点で、そこまで踏み込みましたか」


 氏康さんからは信秀さんへの書状を、信長さんが預かってきたんだよね。なにが書いてあるのかと思えば。先に同盟を切り出したとは。思いきったね。


「北条はいかがであった?」


「手強そうでしたね。左京大夫様も噂以上だと感じました。ただ、やはり敵が多いのが懸念ですね。今のところ敵は纏まりに欠けるのでいいのでしょうが、敵が纏まると大変かもしれません」


 北条の最大の問題は敵の多さだよね。臣従した国人衆も謙信が来れば簡単に寝返るし。謙信の関東遠征の分だけ領地は荒らされる。


 謙信を領外の野戦にて迎え撃てればいいんだけど。籠城とそこからの反撃では北条領は今以上に豊かになるのはなかなか難しそう。


 正直なところ国人衆とか戦国大名とかは、戦国時代のこの時期に叩けるとこは叩いて土地から切り離してしまう必要がある気もする。


 ただそうすると連中の前に室町幕府が邪魔なんだよね。室町幕府と戦うにはまだまだ力も準備も足りない。


「あっ、そういえば。望月の信濃本家から文が来たようです。返信してもよろしいでしょうか?」


「望月の信濃本家は武田に従属しておったな。武田が探りでも入れてきたか?」


「そうかもしれません。今川と北条の様子が変わりましたので、その理由を当家に見ているのかも」


「よかろう。武田はあまりいい噂も聞かぬが、無視するほどではあるまい。そなたの家から早々に裏切り者が出るとは思えぬしな」


 まあ北条の問題は北条が考えることで、オレが考えることじゃない。それより尾張の問題と、ついでに望月家の手紙の許可をもらわないと。


「現状だと武田の相手までする必要はないですからね。三河を攻めるなら別ですが」


「攻められぬわけではないが悪手であろう。尾張を安定させるほうが先だ」


 手紙の許可はもらえたか。ついでに三河攻めも聞いてみたが、その気はないらしい。尾張を統一したのはつい最近だしね。やはり数年は内政に励みたいところだ。


 あとは秋の収穫と、その後に計画している戦国版運動会の話を少しして終わった。


 武闘派のガス抜きのためにも家中の融和のためにも、武術や身体能力を競う大会は必要なんだよね。





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