第二百二十六話・贈答品とケティ

Side:久遠一馬


 宴は大盛り上がりで終わった。金色酒とか梅酒とか酒精の強いお酒を飲んでいたせいで、後半はかなり酔っぱらっていた人がいたけど。


 ただ、いつも宴会では一番飲んで盛り上がるジュリアが今回は終始大人しかったし、信長さんとか織田家のみんなは緊張していたのか醜態を晒す人がいなかったのは良かった。


 ここはまだ敵か味方か分からない場所なんだと、みんな思っているからだろう。こういうことは常識なんだろうね。


「エル、梅酒の評判は良かったし、友好関係を構築するためにも梅酒の作り方を教えようか」


「氷砂糖の歴史は古くからあり、紀元前三世紀の資料に類似する記載があります。日本では石蜜という名で、同じく類似する物が遣唐使により持ち込まれたとの記録があります。教えても良いと思います」


 原材料の焼酎と氷砂糖がこの時代では馬鹿高くなるだろうな。薬として売るか。


 そもそも砂糖ですら薬として売られているからな。別にウチでは薬としては売ってはいないんだけどね。末端の商人なんかは、当然のように薬として売っている。


 ウチで正式に薬として売っているのは金色薬酒だけなんだけどね。金色薬酒は金色酒の数倍の値段で、少量ずつ売っているけど大人気になりつつある。


 梅酒も梅と蒸留酒の生産量が大幅に増えない限りは、高価な薬にでもしないと品薄になるだろうね。




「これが日ノ本とな?」


「はい」


 翌日には北条家の皆さんに贈答品を贈った。


 金色酒・砂糖・鮭・昆布・椎茸・胡椒・唐辛子・絹織物・綿織物などのウチの代表的な商品に、地球儀・硝子・陶磁器も持参した。ウチの醤油やみりんなどは商品じゃないので、料理を習った幻庵さん個人のお土産物とした。


 ほとんどは今後の商いのための試供品だけど、氏康さんが食いついたのはやはり地球儀だった。


 大地が丸いなんて意味が分からないと言いたげだ。ただ、小田原から見える水平線は丸いから多少の想像はつくのかな?


 西へ向かって出航した船が東から戻ってくるということと、天測により位置を調べると大地が丸いと説明するしかないよね。


「南蛮までは、如何許いかばかり掛かるのだ?」


「船で一年ほどでしょうか」


「それほど掛かるのか」


 地球が丸いという話は反論がないというか、半信半疑というのが本音か。あり得ないとこの場で言い切る者がいないのはさすがとしか思えない。


 伊達に先進的な統治法をしているわけではないようだ。


 それよりも北条家の皆さんの興味は南蛮にあるらしい。日ノ本から南蛮まで行くのに掛かる日数や南蛮の国がひとつではなく幾つもあること。


 南蛮が遥か離れた土地を侵略したことなど教えていく。ああ、宗教が危険なことも、もちろん教えなくてはならないね。


「なるほど。弱く無知な国は生き残れぬということか」


「はい。ただ、現状ではそこまで大軍を送り込んではいませんね。南蛮の国も関係などいろいろと複雑らしいので」


 やっぱり海外の紛争事情は、この時代の武士には理解がしやすいみたいだね。正に弱肉強食の戦国時代そのものだからな。宗教の話も一向宗のことがあるから理解しやすいんだろうな。加賀では国を乗っ取った実績がある。


 そんな話をしつつ、話は尾張から相模までの船旅に変わった。


 難所が多いだけに、どうやって早く来たのかが気になるらしい。この話は西堂丸君や幻庵さんが旅の道中を知っていることなので話しやすい。


 正直、余計なことを言わないかが心配でハラハラしたよ。説明はエルに任せたい。


 その後は商いの話もあった。ウチが欲しいものを知りたいらしい。


 まずは、硫黄と湯の花は取れるだけ欲しい。あとは、小田原名産の梅干しに真鶴半島の本小松石も欲しいな。優先度は低いが、北条で盛んだと言われてる鋳物もいいかもしれない。


 なんとか交易が一方的にならないようにしないとなぁ。


「それで当家からご提案があります。昨日の梅酒を北条家で作りませんか?」


「あれを作れるのか?」


 その提案にさすがに驚いたのか氏康さんの表情が変わった。交易が一方的にならない切り札でもあるんだよね。これは。


「はい。元となる酒と氷砂糖はこちらから融通致しますので」


「なるほど。それで双方に利があるのか」


 梅酒を北条で作れると知ると、北条家の重臣の皆さんが少しざわめいた。どんだけ酒好きなんだ。


 材料はほとんどウチから買わないとダメだけど、自分たちで作れば利益にもなるし気持ち的にも違うよね。自分たちで全部飲んでしまいそうな気がするが。




 Side:北条氏康


 思うた以上だ。


 地球儀とやらは驚いたが、まだ織田家と朝廷にしか出しておらぬ代物と聞いて家臣がざわめいた。


 他にも久遠家が扱う品に、透明な硝子の器や陶磁器。絹と綿の織物とは。返礼に悩むほどだ。


 目的が商いと分かっておるが、それにしても多すぎるだろう。こちらを格上として顔を立てておるのだと思うが、それ以上の返礼をしなければならぬこちらの身にもなってほしい。


 これは税の優遇も含めて考えねばならぬな。硫黄と湯の花とやらも用意させねば。


 そういえば織田一行は鶴岡八幡宮と温泉に行きたがっておると、叔父上が言うておったか。支度をさせるか。


 しかしさすがは叔父上だな。恐れるべきは久遠家の知恵であろう。風魔も明や南蛮まではいけぬからな。


 聞けば叔父上は尾張の武士に大層慕われたとか。学校にて教えたともいう。その返礼として明や南蛮の話を我らに教えてくれたのであろうな。


 格下として扱ってはならぬな。銭の力と知恵を考えると同格でも驚かぬわ。




 本日の謁見も主要な話が終わり、叔父上から久遠殿の奥方を改めて紹介された。


 叔父上いわく今川の寿桂尼じゅけいに殿のような聡明な奥方たちのようで、医師や絵師でもあると聞く。


「健康に懸念はない。ただ虫下しは出しておきます」


 特に薬師殿は西堂丸の腹が弱いのを治したというので、わしを含めて診てもらうことにした。


 正直、ただの娘にしか見えぬが。叔父上の顔を潰すわけにもいかぬ。


 幸いなことに誰も病ではない。皆が虫下しを出されたが薬師殿の薬はよく効くという。


「あなたは?」


「侍女でございます」


「その者がいかがしました?」


「懐妊しています」


「おおっ! それはめでたい」


 薬師殿が最後に声をかけたのは侍女であった。薬師殿が少しだけわしの方を見たのは、話していいのか気にしたのであろうな。


 懐妊の話に叔父上が喜ぶと、すぐに安堵した表情を浮かべた気がする。


 侍女の懐妊となると何かと騒ぎになることもあるからな。聡明との話は確かなようだな。


「しかしまだ見ただけでは分かりませぬな」


「まだ初期だから。あまり無理はさせないほうがいい」


「そうじゃな。奥方様には某から話しておこう。その方は静養しておるがいい」


「畏まりました」


 しかしわが子の懐妊が分かるとは。織田はわしに吉報をもたらす存在やもしれぬな。




◆◆

くすの方


 北条氏康の側室。


 生年や両親は不明。氏康の側室の侍女だったようで、氏康のお手付きとなり側室になった模様。


 彼女に関して歴史に名が残ったのは、織田家側の『天文関東道中記』に記されているからで、北条家における彼女の正式な名前も通称も不明。


 ただ、氏康も懐妊を喜んだとあり、彼女が側室になったと記されている。




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