第二百二十五話・留守を守る人と宴
Side:滝川資清
「そろそろお着きになった頃でしょうかな」
「風次第ですが、着いていると思います」
「無事にお帰りになられるとよいのですが……」
「船は大丈夫でしょう。沖を走るのは確かですが、陸地から近いですから」
殿がおられぬと尾張は静かな気がする。セレス様を筆頭に奥方様は幾人もおられるのだが。
それにしても大殿は大胆なことを為されるものだ。セレス様は船旅に不安はないとは言われるが。万が一、船が沈めばいかがなることやら。北条が敵になり織田家と久遠家の関わりもいかがなるか分からぬものを。
久遠家と船は切っても切り離せぬ。慣れるしかないのだろうな。
「失礼いたします。桑名の商人の件で職人なども引き抜けそうですが、いかが致しましょう」
ため息が出そうになったところで湊屋殿が姿を見せた。
「素行に懸念がなければ構わぬ。すべて引き抜いてよい」
「そうですね。支度金を出しましょう」
わしもそこまで案じてばかりはおられぬ。殿の代わりにやらねばならぬことが多い。尾張の各地でしておる普請や商いや桑名の件も裁定して、時には大殿や奥方様たちに決裁して頂かねばならぬ。
商い自体は奥方様たちがされておられるものの、各商人との取次などはわしらがせねばならぬからな。
殿や奥方様たちは需要と言うておられたが、商人がなにを欲して、領民がなにを必要としておるかなどを把握せねばならぬ。
同じ尾張の者でも武士などは、殿たちや我らの苦労は理解しておらぬのであろうな。
「しかし、桑名がこれほど変わってしまうとは……」
大湊から仕官した湊屋殿の動きが桑名を追い詰めておる。明らかな引き抜きだからな。
桑名に力があれば阻止も出来るのだろうが、最早、大店ですら逃げ出す者がおるという。少し前ならば信じられんことだがな。それに去る者は追わず、とは出来ん。反織田・反久遠の根深き者が逃げた先で、第二・第三の桑名を作られては堪らぬ。暫くは見張らねばならぬ。
「予定より早いですが、警備兵を津島と熱田に少数でも先行して送りましょうか」
桑名の取り乱しようにセレス様は新たな一手を考えられた。
「牢人対策でございますか? ですがまだ鍛錬が足りずに未熟でございますぞ」
「津島と熱田に送るのは、当家の警備兵から選抜して派遣しましょう。臨時でなら問題ないでしょう」
ふむ。確かに桑名の牢人については良からぬ話を聞く。町の中で乱暴狼藉をする者や盗みを働く者が絶えぬという。
面倒なのは桑名が牢人を町から追放する、との話があることだ。銭も持たぬ牢人などろくなことをせぬのは明らかだ。
「では清洲に行って大殿に話をして参ります」
「お願いします。将は任せます」
「はっ」
決して口には出せぬが、セレス様は殿よりも現実が見えておられるな。殿は少し人を信じすぎるが、セレス様は常に緩みなく警戒はしておられるお方だ。
津島と熱田は織田家に臣従しておるし、久遠家とも良き誼を築いておる。しかし、当家の技を与える以上は相応に警戒すべきだ。
無論、今この時に津島と熱田が裏切るなどとは、さすがにわしも思わぬがな。派遣する将は大殿が下命されるならばいいが、任されるならば当家から出すか。
ああ、桑名から来る者たちの家と仕事の用意もせねばならぬな。太田殿がおらぬだけに忙しくてかなわぬ。
各所との交渉は太田殿が得意であったからな。
Side:久遠一馬
信長さんたちは小田原の町と小田原城に驚いていた。伊達に難攻不落の城と言われたわけじゃないね。
史実の小田原攻めの時のような町を包む総構えはまだ存在しないけど、相模湾が広がり背後には山がある。小田原城も広い堀と土塀に囲まれていて敷地も広い。
尾張にはここまでの城はないからなぁ。改築中の清洲城も単純な防御力では敵わないだろう。地形的に清洲では無理だね。美濃の稲葉山城のほうが単純な防御力は上だろう。
そもそも信秀さんは、清洲での籠城戦なんかほとんど考えていない。元々弾正忠家は表向きの地位が低く津島や熱田を守らないとダメだったし、尾張の地形とか、いろいろな理由があったんだろうけどね
「荷降ろしには数日ほど掛かります。贈答品を最優先にさせていますが」
「急がせなくてもいいんじゃない?」
氏康さんとの対面も終わり、小田原城の一室にて休憩することになりエルたちと合流した。
幻庵さんが手配したらしく、扱いが丁寧だったらしい。こういう細かな配慮が出来るところが、あの人の凄いところなんだろうな。
「町に行きたいわね」
「今日はさすがに無理ですね。明日には行けると思いますが」
ただ、ジュリアとメルティは城よりも町に遊びに行きたかったみたい。
エルは少し苦笑いを浮かべて困った顔をしている。二人は面倒な公式の対面とかエルとケティに丸投げするからなぁ。
夕食は歓迎の宴になるらしい。驚いたのは使節団の主要メンバーやオレと一緒に、エルたちも氏康さんの出席する宴に呼ばれたことか。
人数が多いからね。選抜したメンバーを氏康さんと一緒の宴に招いて、身分の低い人たちは別に歓待するらしい。なのにエルたちを同席させた。
幻庵さんの指示だろうね。
「いかがですかな」
「美味しゅうございます」
宴は和やかな雰囲気だ。さっきの謁見の時はガチガチに堅苦しい雰囲気だったのに。
料理はやはり鯛の塩焼きがドーンとあって、程よい焼き加減でふっくらとした身が堪らないね。
鯛の白身の甘さを程よい塩加減が上手く引き出していて、シンプルだけど腕の良い料理人の仕事だと分かる。
ああ、汁物はきちんと出汁が取られてる。魚のつみれのようだ。
これはアレだね。エルたちが教えた調理法だね。魚の臭みはないし出汁も雑味がかなり少ない。
個人的には信長さんが別人のように大人しくて違和感がある。よくよく考えてみると、氏康さんは今まで他国で会った中で一番権威のある武士なのか。官位なら氏康さんが従五位上で信秀さんは従五位下だし、幕府や朝廷でそれぞれの格付けがあるからややこしい。
斯波義統さんは、治部大輔の官位を持っているから正五位下なんだよね。元々主家だから特に意識したことはないけど。
伊勢神宮のお偉いさんに会った時はすぐに終わったからなぁ。
酒は金色酒に
北条側は北条一族と重臣が出席しているね。でもあんまりエルたちが注目されていないのはなぜだろう?
まさか、そこまで気を使ったの? 河越城の戦いであれだけ大勝した北条家が?
こうして見ると、北条家での幻庵さんの影響力が分かるね。だとすると織田と北条の関係は予想以上に上手くいくかもしれない。
「それにしても金色酒はいいですな。このような酒がこの世にあるとは思いませんでした」
「左様。近頃は手に入りやすくなりましたな」
「実は本日は尾張でもまだ知られておらぬ、新しき酒をお持ち致しました」
和やかな雰囲気の中で信長さんは、お酒の話題で盛り上がる北条家のみなさんに切り札のひとつを切ることにしたみたい。
「これは……」
「梅を趣向にした酒でございます。蒸留酒という酒に砂糖と梅を漬けたものになります。小田原は梅が名産と聞き及びましたので持参致しました」
信長さんの言葉で運ばれてきたのは壺に入った梅酒だ。もちろんこれは宇宙要塞で作ったものになる。
酒飲みにはこれ以上ないお土産だろう。
今後北条家との関係が上手くいけば、ウチから蒸留酒と砂糖を売り北条の新しい名産になるだろう。
もちろん尾張でも作るが生産量を考えると、とても足りない。砂糖と蒸留酒を売れれば尾張にも十分儲けはある。
共通の利益が出る商いを今回の土産に用意したんだ。
「これは……、また酒精が強いですな」
「しかも美味い。それに砂糖が酒にもなるとは……」
北条家のみなさんは初めての梅酒を喜んで飲み始めた。すでにそれなりに飲んでるんだよね。大丈夫か?
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